案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。
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2026年6月3日水曜日

里山風景

「里山風景」

軽便鉄道の築堤の下に、一軒の民家がひっそりと建っている。庭先には洗濯物が干され、暖かい春の日差しを浴びていた。

当時、浜松郊外に自然豊かな里山があった。やがて各地で繰り広げられたのと同様に、丘陵は削られ、広大な宅地へと姿を変えていった。昭和30年代は、都市近郊にそんな里山がまだ息づいていた最後の時代だったかも知れない。

昭和30年代のをカラーにしてみると、写真を見ているというより、あの時代の空気の中へ戻って行くような感覚になる。


祝田駅から谷駅へ向かって三方ヶ原台地を上って行く列車。
その車窓に自然豊かな里山があった。1964.3.23


遠州鉄道 奥山線  1964年春
(AIカラー化画像

2024年10月6日日曜日

講演「地方私鉄めぐりの旅 魅力のナロー情景」より(3)

1963年4月30日で部分廃線となった気賀口~奥山間を日中1往復の気動車に乗って奥山へ向かったのが1963年の4月。奥山は桜が満開だった。
 


全てオリンパスペンSハーフ判カメラで撮影
1963.4.4 

奥山駅が近い.


気賀口から20分ほどで桜満開の奥山駅に到着した.



2024年7月31日水曜日

遠州鉄道 消えた気賀口~奥山間

私が見ることができた1962年以降の軽便鉄道で人気の沼尻、頸城、井笠、尾小屋は多くの書物で言い尽くされた感じがする。早くに消えた西大寺を除くと仙北、駿遠、奥山、花巻となるがこの中で紹介が少ないのは奥山線の非電化区間(曳馬野~奥山)で、今でも切り口がいろいろと楽しめる。



昭和38年に消えた廃線区間(赤)




1963(昭和38)年4月に部分廃線になる前、気賀口の先の急カーブで北へ方向を変え神宮寺川沿いに山間を奥山へ向かっていた。


気賀口  1963.4.4

2024年4月29日月曜日

奥山~気賀口間の部分廃線

遠州鉄道奥山線の春爛漫の奥山駅をRM LIBRARY 第10巻に掲載したのは2000年5月でした。1963年4月30日に部分廃線となった奥山~気賀口間。これまで奥山駅は写真集でも取り上げてきたので今回の情景集には掲載されていません。秋までにこの廃線区間と奥山駅にまつわる話を纏めようと思っています。



春爛漫の奥山駅はまさにジオラマ的な情景であったRM LIBRARY 第10巻

以下は1点除きハーフサイズカメラで撮った情景

気賀口から奥山へ続く線路.どの駅にも人影がない.



桜満開の奥山駅 1963.4.4

ハーフサイズカメラの広角42(35mm判カメラ換算)mmレンズで撮った写真.
味わい深い駅舎、桜の木、子供達、自転車、貼紙など全体の小道具の集積でジオラマ的な情景となる.


望遠アップで「おくやま駅の風景」を撮るとこんな感じになるのでしょう.
写真に訴求力がアップするが部分的な情景となる.


発車まで20分程のひと時.


駅の脇に川が流れ周辺は桜が満開だった.


気賀口駅風景.
前方を右手にカーブする線路が奥山まで伸びていた1963年の4月。

2022年7月26日火曜日

奥山線 金指から祝田へ

 爽やかな朝の陽を浴び、電車スタイル踏襲のキハが客車1両を牽いてラッシュ時に活躍していた。今の時代に思うのは、あの貧しい時代の日本でも何か元気を感じるものがあった。

撮影:1964.3.24


朝日を浴びた金指駅。


国鉄二俣線

国鉄二俣線のC58と並んだキハ。廃線後 花巻電鉄へ行った悲運のキハ。
こんな小さな気動車一両に車掌さんが乗っていた。それが当たり前だった時代。

金指駅を発車した遠鉄浜松行キハ。
前方に停まっている小さなクルマが気になりました。もしやあの軽便探訪の著者 新井清彦さんの愛車三菱コルト600では? でも新井さんは1966年に草軽の模型で軽便に目覚めたそうで、1964に奥山線を撮っている筈がありませんね。


道路端を行く軽便。道路は砂埃がもうもうと舞い上がる非舗装路、それが当たり前だった時代。


朝の祝田駅は団塊世代の高校生達で賑わっていた。それも直ぐにバス通学に変わってしまったが、乗客(高校生)の賑わいが当たり前だった時代。

2020年7月28日火曜日

奥山線 気賀口~奥山間廃線の直前

これもストロー状となった末期状態のネガを最後のスキャンをしたものです。
再スキャンするたびに画素数を高めて行くので果てしない作業となり、どこかで欲を捨て妥協せざるをえません。

1963年4月30日で区間廃線(気賀口~奥山間)の最後の頃です。

撮影:1963.4.4
 曳馬野から牽いてきた客車をここで切り離し奥山へ向かうキハ1804。気賀口


奥山-中村

 日中1往復のみの列車は左にカーブすると奥山に到着する。

桜満開の奥山駅で発車までの静寂。

奥山から戻って来たキハ1804はキハ1802を連結し曳馬野へ。この先右へカーブした線路は奥山までつながっていた時代。 気賀口

2019年9月22日日曜日

遠鉄奥山線 遠鉄浜松駅風景

遠鉄浜松駅から奥山線が発車していた。
奥山行はめったになくて気賀口行がほとんどであった。


撮影:1963.4.4
遠鉄浜松駅の気賀口行列車。

発車した列車の最後部に見える乗客は女学生とほおかむりのおじさん。模型の人形のよい題材です。


遠鉄浜松駅の留置線にいた客車サハ1103他と遠鉄二俣線の線路。

9mmナローを作るとするとこの台車はグリーンマックスのN旧型気動車用がピッタリ。きれいな客車です。サハ1104は1103とともに国鉄松浦線(旧佐世保鉄道)から奥山線にやってきた。


訂正:よく調べると遠鉄サハ1104の菱枠台車は形状が似ているが軸距が1210mmと意外に大きく、グリーンマックスのN旧型気動車用はこちら尾小屋の客車の方がピタリでした。

有名な尾小屋鉄道 ホハフ8 三重交通から転籍した直後で三重交カラーのままでした。

ホハフ7、8の菱枠台車 軸距966mm、車輪径482mmФ

2019年9月20日金曜日

遠鉄奥山線の終点奥山

1963年撮影のネガ(ネオパンSS)もいよいよビネガーシンドロームで終焉を迎え、1963年奥山線の最後のスキャンをしてみました。it環境の進歩とネガの終焉で終わりのないスキャンが続きます。

撮影:1963.4.4
奥山駅
かっては奥山半僧坊の入口で栄えた奥山駅。裸電球の下の改札口に子供が二人、ベンチ脇にホウキとバケツとが並んでいる。日中はたった一往復の便でありバス利用が主であったのでしょう、駅に乗客の姿はほとんど見かけなかった。桜が満開の最後の日々。



気賀口で大きく右へカーブし引佐の街外れを通り山間を進むと、まもなく奥山に到着する。行先表示板は既に遠鉄浜松行になっている。

左にカーブして竹藪の脇で小さな鉄橋を渡ると奥山に到着する。こんなのどかな奥山も今では高速道路が通り、近くに「いなさ」ジャンクションが出来て全く面影が残っていないでしょう。


2018年11月13日火曜日

遠鉄奥山線 気賀口 2

気賀口駅周辺の5万分の1地図(S35年)がありました。

1963(S38)年4月まで気賀口の先、奥山まで延びていた線路は、気賀口を出ると井伊谷川を渡らず橋の手前で急カーブして道路を横切って井伊谷川の土手を走っていた。気賀の町外れで川向うにあった気賀口駅の位置関係と、川の手前の急カーブが地図でよく分かる。
井伊谷川を渡る道路形状が現在と異なるのは、橋が少しだけ上流側につけ替えられたのだろう。


撮影:1964年3月、10月
奥山~気賀口廃線後の気賀口の終端部。道路を横切って土手に向かう廃線跡(築堤)が残っていた。
当時の道路は橋の手前で今と違って左にカーブしている。

廃線跡めぐり 2000年5月


きがぐち駅前

気賀口最後の日 1964.10.31

以下は気賀口の遠鉄浜松方面の風景。
  気賀口から遠鉄浜松方面に向かう直線区間。

直線区間の先で国鉄二俣線に接近する。

二俣線に接近したところに小さな岡地駅があった。3'6''と2'6''ゲージの並走区間。

岡地駅を出て右にカーブすると暫く国鉄二俣線と並走してから二俣線をオーバークロスする。