案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2021年4月28日水曜日

レッドアロー・クラシックのラストラン

ラストランの最終日4月29日、この日も懲りずに撮ってしまいました。


夕方の上り 武蔵関  2021.4.23



雨の最終日 朝の上り    2021.4.29

2011年秋にリバイバルカラーで登場した西武特急レッドアロー。
9年半に亘ったリバイバルカラーの定期運行が4月29日に終了した。
昨年3月から新宿線の特急「小江戸」号として使われて来たがコロナの中を走った悲運な1年であった。

2021年4月26日月曜日

西武新宿線 4月の朝

 

2021.4.26 ズーム280mm/35mm判換算


消えゆくレッドアロー・クラシックと新緑を組合わせようと狙っていたところ、
高校生たちの朝らしい風景が入ってくれました。

2012年までは朝の上り急行N101系前パン車で撮り続けていたアングルです。
このアングルで撮りたい列車はもうこれで終わりでしょう。


2021年4月22日木曜日

今日の西武新宿線

 珍しく新宿線を撮ってみました。

4月29日に終了するレッドアロー・クラシック。
この後は5月にイベントで数回運転されるようです。


田無-西武柳沢

東伏見-西武柳沢

夕方の下り列車を広角24mmで。武蔵関-東伏見 2021.4.23


2021年4月19日月曜日

のどかな時代の流山駅

4月20日発売のTMS 5月号
失われた情景 第23回は「のどかな時代の流山駅」流山電気鉄道です。

1962年頃の流山駅には貨物駅があり味醂工場へ貨物引込線が延びていた。流山駅から味醂の貨物輸送が行われていたのどかな時代があった。当時の流山駅の魅力は貨物駅の引込線、目前に迫る自然豊かな台地などにあった。




マンジョウ本みりんと小さな木造貨車ワフ31。1962年

2021年4月12日月曜日

駿遠線 謎の残骸

コメントさんから連絡戴いた「懐かしの軽便いまむかし」に掲載されたハ30の写真から、「謎の客車ハ30」が謎であるかどうかが確定するまで、ここに記載した「謎の客車ハ30」を取り消して「謎の残骸」だけに変更させて戴きました。



ところで、1963年4月に駿遠線袋井工場で撮った1枚の写真↓で、左下に転がった残骸に謎の客車ハ30によく似たホハ30の表示が読める。
もしやこの残骸は謎の客車ハ30と関係があるのではないか??

1963年4月に駿遠線袋井工場で撮った1枚の写真。
左隅に転がった残骸に表示されていたのが形式ホハ30と自重5.6t
これは一体何の残骸なのか????

写真左下に写った残骸を上下反転拡大したもの。


そんな謎の残骸は、先日髙井薫平さんのこの1枚の写真↓で一気に解決。
この残骸は草軽ホハ30のものであり、謎の客車ハ30とは関係なしが判明しました。

髙井薫平著「軽便追想」に掲載されていた1枚の写真(掲載了解済)
1962(昭37)年12月の袋井工場
草軽からホハ30形3両を譲り受けて自社工場で改造中の最後の1両。

私がこの翌年4月にこの袋井工場現場で撮った写真に写っていたのがあの残骸。
まさかこんな場所で元草軽の客車を改造していたとは思いもしなかった。
謎の客車ハ30を思い浮かべてしまう、何と紛らわしい残骸(ホハ30)であったことか。