案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。
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2020年2月6日木曜日

栃尾線 最後の下長岡車庫

コメント欄で栃尾線廃線後の廃車について触れていてED51のことを思い出しました。
ブログで廃線直前のED51を取り上げたのがこちらで、もう9年前のことでした。

         ↓
越後交通 栃尾線 ED51の角度 2011年1月15日

ほんとうに惜しまれます、これらの車両だけでも残してほしかった。

 昭和24年日立水戸工場製 自重15トン  下長岡車庫 1975.3.8

ナローの顔つき



末期は吊り掛け式モハ216と217の2編成が主役だった. 1975.03.08


2015年3月18日水曜日

栃尾線の垂直カルダンドライブ車

鳥羽の神鋼電機で開発された垂直カルダンドライブが越後の軽便 越後交通栃尾線に採用されたことは前回紹介した通りです。

昭和32~41年にかけて東洋工機で新造されたモハ211~217の6両は軽便サイズながら近代的スタイルが魅力で、特にブドウ色からツートンカラー(西武カラー)になった総括制御編成の時代が華だったでしょう。ところがその直後に廃線を迎え解体全滅してしまい誠に不運な電車でした。

この東洋工機製新造6両の中に4両の垂直カルダン車が含まれていたのは下記の通りです。

モハ212 昭和32年 東洋工機製 垂直カルダン 電動機1ヶ/1台車 廃線まで活躍
モハ213 昭和36年 東洋工機製 垂直カルダン 電動機1ヶ/1台車 昭和48年廃車
モハ214 昭和36年 東洋工機製 垂直カルダン 電動機1ヶ/1台車 昭和48年廃車
モハ215 昭和39年 東洋工機製 垂直カルダン 電動機1ヶ/1台車 廃線まで活躍

モハ216 昭和39年 東洋工機製 吊り掛け式  電動機2ヶ/1台車 廃線まで活躍
モハ217 昭和41年 東洋工機製 吊り掛け式  電動機2ヶ/1台車 廃線まで活躍

ちなみに大きさを比較してみるとモハ215はこんなに可愛い.

旧型客車牽引時代の垂直カルダンドライブ車 モハ213. 1964.03.22
1973年に廃車

旧型客車牽引時代の垂直カルダンドライブ車 モハ214. 1964.03.22
1973年に廃車


廃線間近のモハ205+モハ212+モハ215の編成. 1975.03.08
垂直カルダンドライブは212と215だが215は電装解除?された.

4両の垂直カルダン車で唯一残ったモハ212. 1975.03.08
パンタが外された(なとさんご指摘) 垂直カルダン車モハ215

廃線間近のモハ205+モハ212+モハ215の編成. 1975.03.08

こちらは吊り掛け式モハ217の1M3T編成. 1975.03.08

末期は吊り掛け式モハ216と217の2編成が主役だった. 1975.03.08

栃尾線に入線した東洋工機製新造車で垂直カルダンドライブ装置が1975(昭50)年の廃線まで活躍したのは最古参のモハ212の1両のみであった。

この垂直カルダンドライブがメンテナンス面でいかに手こずったかは下図の構造を見ると想像できる。カルダンドライブのバネ下荷重低減のメリットよりもメンテナンス上のデメリットばかりだったのでしょう。
幅狭の軽便台車に平行カルダンでは収まらないモータを縦置きにして無理やり垂直カルダンとしたようで、なぜカルダンドライブに拘ったのか?  軽便の速度であればシンプルに吊り掛け式で十分であったのでは。

まだギヤ精度も十分でなかった時代に、パワートレインにこれだけギヤを配置すれば、ギヤ騒音(唸り音)もかなりあったのでは? 神鋼電機がチャレンジした垂直カルダンの実用化は次々と消えて行き1975年の栃尾を最後に途絶えてしまった。

図は三重交通志摩線 5401号のもの

この解説図は同志社大学鉄研OB会「デジタル青信号」に掲載されたもので、投稿者の沖中様に借用許可をいただきました。図の提供は堀幸夫様で原本は神鋼電機のパンフレットだそうです。


参考 「消えた轍」ローカル私鉄廃線跡探訪3 寺田裕一著 ネコ・パブリッシング発行

2011年1月19日水曜日

越後交通 栃尾線 廃線迫る 3

廃線迫る長岡駅に留置されていた3両の経歴は。

左: 元江ノ電115 →ホハ23→クハ111
中: 元草軽モハ105→モハ200→サハ306(同型サハは合計4両)
右: 元草軽ホハ23→ホハ26→サハ30→ホハ50
と、どれも興味深い経歴で、最後は栃尾規格型電車の間に組み込まれ総括制御編成の一員になった事でしょう。元草軽の客車は一時サハになって、その後また元のホハに戻っている。
国鉄のホームから見えた長岡駅の3両 クハ111+サハ306+ホハ50。   1975.3.8


元路面電車で江ノ電を経て入線し、様々な改造を重ねてクハ111となった。
古典客車の台車を活用した異色台車がチラッと見える。


元草軽の電車だったサハ306。この日はサハ302が総括制御編成に組み込まれ活躍していた。

元草軽の客車ホハ23だったホハ50。
草軽時代からの台車(車輪径530Φ)で、隣の元電車サハ306に較べ車高が一段と低い。

2011年1月18日火曜日

越後交通 栃尾線 廃線迫る 2

もう1本走っていた総括制御の編成は「クハ104+クハ同+サハ302+モハ217」で、興味深いのは元草軽の電車がサハ302として組込まれていた事である。そして小坂鉄道の明治生まれ古典客車の台車を履いた、新造クハ2両も組込まれていた。 10月19日アップの「元小坂鉄道の台車2

クハ104+クハ同+サハ302+モハ217の編成。  椿沢近辺 1975.3.8

クハ104+クハ同+サハ302+モハ217の編成(右側)

総括制御化で昭和42年にクハ102、103、104が新造された。

草軽モハ101~105について。
草軽の5両全てが栃尾線に譲渡され、全てが栃尾線の終焉まで活躍した。
モハ101→ホハ28→サハ302
モハ102→ホハ29→サハ303
モハ103→モハ208→サハ301
モハ104→モハ207(外観が変身)
モハ105→モハ200→サハ306
サハ化される前のモハ208  1964.3.22
総括制御編成化で付随客車となったサハは草軽電車の外観をよく残し、近代化編成を魅力的に感じさせてくれた。昭和16~19年日鉄自動車製の草軽モハ100形が近代化に生き残るとは、サハ化するのによほど使いやすい車両だったのだろう。台車もそのままで、長年走り込んだ鋼板台車(雨宮型)が美しかった。
何十年も走り込んだ元草軽の鋼板台車
(鋼板とアングル材で構成された雨宮型)

参考文献:寺田裕一著「消えた轍 3」

2011年1月17日月曜日

越後交通 栃尾線 廃線迫る 1

昭和39年3月訪問時に見たブドウ色のトレーラ(ホハ客車)が電車に牽かれる光景は、昭和45年頃まであったようだが、昭和40年代に入り着々と進められた総括制御化で、昭和50年3月の訪問時は総括制御編成に一変していた。
廃線迫るこの日の日中は2本の総括制御編成が長岡~上見附間を往復していた。その1本は、あのモハ205が栃尾規格型モハ212などと組んだ「モハ205+モハ212+モハ215」の3両編成であった。
モハ205は元ガソリンカーで改造に改造を重ね、その後総括制御編成に組み込まれ生き延びた。

モハ205+モハ212+モハ215  上見附 1975.3.8
11年前と全く変わってしまった上見附駅、そして生き延びた元ガソリンカーのモハ205。

午後の下り列車の賑わい。昭和39年の新造車モハ215  下長岡

モハ205の編成  椿沢近辺
モハ205の編成  椿沢近辺


2011年1月15日土曜日

越後交通 栃尾線 ED51の角度

軽便ならではの魅力を満載した箱型電機。
昭和24年日立水戸工場製 自重15トン  下長岡車庫 1975.3.8









廃線直前のED51   下長岡車庫 1975.3.8

貨物列車を牽いて活躍していた頃のED51。  長岡 1964.3.22

2010年10月19日火曜日

栃尾線 元小坂鉄道の台車2

次は元江ノ電の栃尾ホハ23。
1964年に見たホハ23は、その後クハ111に改造(S41年)されて総括制御時代を生き延びたが、これも廃線直前の長岡駅で撮ったネガに写っていた。台車を見ると何か異様な台車。これが元小坂の明治生まれの客車の台車とは知らなかったが、改めて見ると飛び出したバカでかい軸箱はそのままだが、イコライザーは消えて別方式になっている。元小坂の台車の基本部品を活用したように思える。
写真右: 元江ノ電の栃尾クハ111  長岡 1975.3.8
クハ111の台車  

次に総括制御時代の新造車(S42年)クハ102~104。
この新造車に元小坂古典客車の台車流用ということで、写真を拡大して台車を見ると上記の元江ノ電のクハ111とは違ってイコライザー式?のように見える。こちらの方はかなり元小坂の原型に近い台車だったのだろうか。
←側2両が新造のクハ。   クハ104+クハ同形+サハ(元草軽モハ)+モハ217     1975.3.8


ということで、1964年の栃尾線訪問時に見た珍品 元小坂の古典客車の台車、元草軽の客車、元江ノ電の客車は、その後の総括制御時代に生き延び、廃線まで活躍した姿の一端をネガから確認することができた。