西大寺鉄道の後楽園駅の跡に、
竹久夢二の郷土美術館本館が建てられているのを今日初めて知りました。夢二生家記念館は西大寺の西方 瀬戸内市にあるのですね。
竹久夢二の待宵草と太宰治の月見草は似たようなイメージの花で、私にとってこの二人も似たイメージがあった。津軽が故郷なのは太宰治で、竹久夢二の故郷は岡山であった。
西大寺鉄道が現役時代に訪ねた後楽園駅の記録を書き出してみました。
西大寺鉄道 後楽園駅
岡山電軌
昭和37年7月29日
朝7時過ぎ岡山市内の宿を親切な女中さんに送ってもらい出発した。いよいよこれから西大寺鉄道訪問で後楽園の駅まで岡山電軌を見ながら歩くことにした。朝のメインストリートには岡電の単車が車体を前後に揺さぶって走っていた。
後楽園駅のキハ7
大きな堀を渡るとそこは後楽園、そこを左へ曲がりまた橋を渡ると「西大寺市行のりば」の看板がある後楽園駅が目前に現れた。待合室にいる乗客はお婆さんが二人だけ。駅に荷物を預け(15円)駅舎などを撮っているとボギー気動車キハ7がホームに入って来た。
キハ7車内
発車まで車内ではバス運転手と同じ格好をした運転手が朝刊読みながら客席シートで一服
していた。お客が4~5人乗るといよいよ発車で私は運ちゃん横の特等席に座った。
エンジンがブルルンと掛かるとチェンジギアのレバーを入れ替えて気動車は動きはじめた。
やはりナローの乗り心地は格別でカタンカタンとレールの気持ち良いジョイント音を響かせて民家の軒下をかすめて進んで行った。運ちゃんの気楽な恰好の足元はサンダル履き。
しばらくすると田んぼの中一直線の草ぼうぼうの線路を気動車はえらくスピードを上げてきた。左手に山陽本線が見えてくると、まもなくして気動車は財田(東岡山)駅に到着した。
財田の交換