案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。
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2017年8月27日日曜日

水浜線 なめ屋旅館と大貫の大カーブ2

すでにfacebookで紹介済みですが、海風さんの許可を得て同人誌の表紙を紹介します。51年前に消えた水浜線と今も残る「なめ屋旅館」と大貫の大カーブ。同人誌「海門橋の向こう側に」制作 海風さん、表紙イラスト ヒロンドさん、発行 樟の樹

同人誌の表紙「なめ屋旅館」と大貫の大カーブ。



電車の左手辺りに「なめ屋旅館」があり、その先の大カーブで海岸に出る。今に語り継がれる水浜線の大貫停留場と「なめ屋旅館」と大カーブ。物語が凝縮した一角となった。 
ブログで水浜線がスタートしたのがこの大貫停留場の1枚からであった。1966年5月 撮影:青蛙氏

2017年2月7日火曜日

ある日の水浜電車 昭和41年(4)廃線前日

田辺さんの水浜電車シリーズも今回が最終回となります。
4回目の訪問は昭和41年5月30日ということで廃線の前日ながら静かな一日であったようです。2015年7月20日にアップした「ある日の水浜電車 昭和41年」がそれでした。

田辺さんが3回目、4回目に訪問した昭和41年は戦後の車両は仙台へ売却済みで、戦前の旧型車だけが走っていた時代。この時期の水浜電車の風景が最も魅力的に見えるのは旧型車だけが活躍していたせいもあるのでしょう。

本町五丁目 本五丁目のSカーブを行く木造車.1966.05.30

 棚町(旧本社前) - 水戸駅前



平戸近辺か? 大串近辺

涸沼川橋梁 平戸 - 磯浜

大洗の松林. 東光台 - 大洗 

潮の香りが漂ってきそうな終点大洗.

大串と似ているようだが別の駅なのでしょう?

水浜線126~128と同型車で日立電鉄(常北電気鉄道)からやってきた雄勝線ホハフ5.1964年8月

2017年2月4日土曜日

ある日の水浜電車 昭和41年(3)田園を行く

田辺さんの水浜線第3回目の訪問で撮影場所が分からなかったのが田園地帯を走る風景でした。水戸の樫村様に現地調査戴き浜田~谷田間ということが判明しました。今も水浜と表記された杭があるそうで、小さな道路に水浜線の面影を残しているようです。

モノクロ写真 浜田 - 谷田 1966.02.09撮影 

田園風景の今昔 浜田 - 谷田.現在のカラーは全て樫村様撮影

浜田 - 谷田

水路を渡る風景の今昔.浜田 - 谷田

前回、新緑の木立を撮影した場所を再び訪問、今回は冬の木立.浜田 - 谷田

浜田 - 谷田

水浜の杭.

谷田 - 六反田  1966.02.09

谷田 - 六反田 1回目の訪問1964.04.13 
六反田風景の今昔.

2017年1月30日月曜日

ある日の水浜電車 昭和41年(2)大洗海岸

水浜電車が最も大洗海岸に接近する魅力溢れる区間を、これまでアップしてきた田辺さんと青蛙さんの写真を繋げて推定してみました。昭和41年、大貫から曲松まで海辺の電車の風景はこんなだったのでしょう。

昭和初期の大洗 国土地理院

昭和15年の大洗海岸 大貫を出て海に向かって左にカーブするところ.
鉄道ピクトリアル私鉄車両めぐり第5分冊より

 大貫停留場(再掲) 1966(昭和41)年5月
 
大貫停留場から海に向って直進し、ここで左にカーブする.1966(昭和41)年2月

左にカーブした先を直進し、その先で緩やかに右へカーブすると曲松駅がある.1966(昭和41)年2月 この頃、軌道から海岸までは昔の写真と違ってずっと遠のいているのでしょう.

大洗の海岸 (再掲) 1966(昭和41)年5月

磯浜海水浴場に隣接していた曲松駅(再掲) 1966(昭和41)年5月30日

2017年1月22日日曜日

ある日の水浜電車 昭和41年(1)

田辺さんはよほど水浜線を気に入ったのか計4回訪問していました。
今回は3回目の訪問です。

1回目1964.04.13 水戸駅前~大洗撮影 ある日の水浜電車 昭和39年
2回目1965.06.10 水戸駅前~上水戸撮影 さようなら水浜電車
3回目1966.02.09 水戸駅前~大洗撮影 ある日の水浜電車 昭和41年 
4回目1966.05.30 水戸駅前~大洗撮影 ある日の水浜電車 昭和41年廃線前日(全廃は1966.05.31)

難解な水戸駅前~東棚町間の軌道について、現地「しもいち交流会」の方に現状地図上に軌跡と撮影場所を表示した図を作成戴き、ありがとうございました。写真説明を訂正させてもらいます。

軌道の軌跡と撮影場所 作成:しもいち交流会(水戸市)様

特記以外は 1966.02.09撮影 

三高下~一高下の丘陵地帯.遠くの小さな駅が三高下で、そのすぐ脇のガーダー橋で水郡線を越える.

茨城縣立原子力舘の看板がある「三高下」駅  撮影:青蛙氏 1966年5月

左に降りていく国鉄貨物連絡線の軌道跡が見える.水郡線を越えた電車はこの先↙で水郡線常磐線を越える。

水浜線ガーダー橋近辺から撮った水郡線.

水郡線を越えるガーダー橋とその先の高架線(再掲).

一高下を過ぎて常磐線を越える.
そして常磐線と並走し高架を下り東棚町に向かう.

 背後の建屋は浜田車庫ですね.


松が多くなりここは大洗の街中でしょう.

背後に見えるのは大貫停車場ですね.


125号のZパンタの位置からすると手前が曲松となり、大貫-曲松間で海岸に出るカーブのところでしょう。

2017年1月20日金曜日

さようなら水浜電車(4)

水浜線最後の日、田辺さんは水戸駅前から大洗方面へも少し足を向けていました。
こちらの区間(水戸駅前~大洗)はこの後、1年ほど経ってから廃線となりました。


水浜電車は水戸駅前を出てまもなく水郡線をオーバクロスする.1965.06.10


遠くに見えた鉄橋がこれでしょう.

その下を水郡線が走る.

ホームに原子力舘の看板がある「三高下」駅

水戸駅前-棚町(旧本社前)