案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2018年1月15日月曜日

廃線から半年後の沼尻駅

沼尻鉄道(磐梯急行電鉄)が営業休止したのは1968(昭43)年秋、廃止は1969(昭44)年4月1日で、その年の11月に撮ったこんな写真が出てきました。

安達太良山登山から沼尻に下り、中ノ沢温泉で見つけた客車とDCを撮ったあの日です。ネガに写っていなかったので山仲間が撮ったのでしょう。

 1969年11月、沼尻の駅舎はまだ移動していなく、ホームと駅舎はそのままであった。既に走っていない廃線後の遺構には全く関心がなかった私は1枚も撮らなかった。


現役時代の沼尻駅。1964年1月

1984年8月 移動後の駅舎

2018年1月12日金曜日

オリンパスペンS

オリンパスペンSで撮った花巻軌道線の西公園停車場。1964.08.02
待合室には客が何人かいて外のベンチでは昼寝している学生風、まるで宮沢賢治が出てきそうな駅。
わたしの帽子の静寂と風の塊  いまくらくなり電車の単線ばかりまつすぐにのび レールとみちの粘土の可塑性  宮沢賢治『風の偏倚』より。

オリンパスペンSで撮った花巻軌道線の一休み。

2018年1月10日水曜日

栃尾線 草軽のなごり

オリンパスペンSで撮ったネガの片隅から。
この頃、栃尾線には草軽電鉄のなごりがある電車、客車、貨車が何両も在籍していた。
また、改造されて全く草軽イメージが消えてしまった電車もあった。


元草軽の小さな客車。悠久山 1964.03.22


外観は草軽モハ103のままだが、駆動部に垂直カルダン・ドライブを組込んだ栃尾のモハ208。悠久山 


 繊細でか細い208のパンタ

208の室内
日鉄自動車製の雨宮コピーの板台枠台車(電装解除車)
花巻の雨宮製とは枕バネが異なる。

 草軽モハ102→栃尾ホハ29、その後サハ303となる。

2018年1月8日月曜日

栃尾線 上見附駅

オリンパスペンSで撮ったネガの片隅から。


上見附駅前は雨上がりで大きな水溜り。1964.3.22

上見附のホームで発車を待つガソリンカー崩れの大きなトレーラ。

古風な日通倉庫とカマボコ客車ホハ20。2両のうち1両はスマートなモハ211に化けた。上見附


上 かまぼこ客車、下 タブルルーフ客車の腰高の違い

木造ダブルルーフ客車ホハ5の車内。上見附
 
ダブルルーフ客車ホハ5のデッキ周り。枕木はスケスケで自連はナロー模型みたい。


2018年1月5日金曜日

栃尾線 長岡駅

オリンパスペンSで撮ったネガの片隅から。

モハ208+ホハ10+ホハ17の編成。長岡 1964.3.22
長岡の駅では元草軽モハ208に牽かれたオープンデッキのボギー客車ホハ10が発車を待っていた。明治27年製の2軸客車2両からできたボギー客車、こんなのが活躍していた。隣の悠久山行電車に牽かれているのは松井車両製の大きなガソリンカー崩れのトレーラだろう。ホームに数人、駅員に何か聞いているのは鉄仲間の二人、これから長岡工場の内部まで撮らせてもらう許可の窓口を聞いているのかも知れない。右手の車両工場の内部では元草軽の客車を改装していた。春とはいえ曇天で寒く暗い越後平野を愉快な軽便たちが走っていた。

ホハ17 上見附

2018年1月2日火曜日

栃尾線 越後平野を行く

オリンパスペンSで撮ったネガの片隅から。

軽便ED電機がボギー貨車を牽いて寒風の越後平野を行く。1964年3月

客貨車牽引の時代。1964年3月

2018年1月1日月曜日

新年

明けましておめでとうございます

昨年も皆さまからのアクセス、コメントをありがとうございました。
2010年に始めたブログも早いもので8年がたちました。
本年もよろしくお願い申し上げます



 栃尾線長岡 1964年

2017年12月26日火曜日

長崎慕情

1967(昭和42)年に訪問した長崎の街並みは天気も良くとても明るい感じで、誰もが訪れる観光名所の入り口となる石橋は、運河に沿った電車通りの建物がとても魅力的であった。観光名所でもない何でもない街並みの魅力は今だからこそ感じることで当時は何も感じなかった。

私の2年後に訪問した田辺さんが撮った長崎駅に近い五島町の街並みは私が感じた長崎とは違っていた。え~こんな街並みがあったのか。一歩踏み込めば長崎の街には戦後のイメージを残す生活感溢れる街並みがいくらでも残っていたのだろう。


  グラバー邸あたりから見た長崎の港。 1967.03.02. 


石橋 1967.03.02. 
 
石橋の背後に迫る住宅。1967.03.02.

魅力的な運河と建物があった石橋風景。  


私が見た2年後、1969年の長崎にまだこんな街並みが残っていた。 撮影:田辺多知夫氏
五島町 1969年2月

2017年12月22日金曜日

新宿南側の今昔

新宿南口のサザンテラスと呼ばれる一帯は、小田急の線路上の空間を利用して目覚ましい発展を遂げている。現在のビル群がまだできていなかった54年前と比較してみました。

南新宿駅側から新宿駅方面を見る。2017年5月
正面に高島屋のビルが建ち、左隣に昨年開業したJR新宿ミライナタワーが建つ。
このカーブしたところに昔の南新宿駅があった。

小田急新宿駅の立体化が完成した頃で、周辺にはまだ高いビルが建っていない。学生の頃、小田急で新宿駅に到着する直前によく見た懐かしい風景。1963年3月
貨物線ホームがあった。

斜めに渡る都道414線の脇に南新宿駅があった。右手に小田急旧本社が見える。

写真1枚目の位置から南新宿駅方面を見る。 2017年5月

2017年12月20日水曜日

新宿大ガードの今昔

西武新宿駅に近い新宿大ガード下を通ると思い出すのが・・・・・
で始まる西武軌道線跡はこれで二回目。
前回の2012年1月20日「新宿大ガード」から6年が経つ。
あの頃、街撮りはデジカメであったのが今やスマホに代わった。
この先5~6年が過ぎるとまた何かが大きく変化していることだろう。

そして、西武軌道線の跡があった大ガード風景(1962年)は益々遠い昔のことになった。改めて今の新宿大ガード風景と55年昔を比較してみました。

今の新宿大ガード 2017年12月

55年前、西武軌道線の跡が大ガートをくぐり新宿駅東口に向っていた。 1962年秋

大ガード下にあった西武軌道線の跡。
途切れた軌道の向こうに都電杉並線「新宿駅前」が見える。

現在の大ガード。 2012年