大山街道手前の踏切を走り抜ける電車の前を、
人が足早に渡っていく。
自転車に乗ったおばさん、塾通いらしい女の子。
下駄を履いた若者、どこにでもある街の昼下がり。
こうした街の風景は、早くに消えてしまった。
気がつけば街はすっかり姿を変え、
路面電車が走っていたことさえ忘れ去られて行く。
あれは何気ないある日の記録で、
今思うと、それは時代のひとコマだった。
電車は踏切を渡ると木立の脇をカーブし併用軌道(大山街道)に入る。
国鉄会津線 1974年 夏
一枚の鉄道写真を見ると、
あの日のことが鮮明によみがえる。
若い頃に撮った写真は、なぜか記憶によく残る。
さらに鉄道写真には、
日付と場所がしっかり記録されている。
しかし何年も経って昔の写真を見返すと、
クルマのいない写真はどこか物足りない。
クルマもまた、その時代を映す存在だったのだ。
この写真でも、
当時の東京にこんなクルマが走っていたことが楽しい。
路面電車だけが走る道路よりも、
クルマと共にある風景にこそ、街の息づかいがある。
それに気づいたのは、ずっと後になってからだった。
仙北鉄道 1964年夏
地方へ鉄道を撮りに行くと、よく声を掛けられることがあった。
「どこから来たの?」「何を撮っているの?」
まだカメラをぶら下げて線路端に立つ者が珍しかった時代だ。
仙北鉄道では早朝に列車を待っていると、背後の家から声が飛んできた。
「お茶でも飲んで、ゆっくりして行きなされ」
縁側に呼ばれて、お茶と漬物をいただく。
どこから来たの等、取り留めのない話をしているうちに、
庭の先を朝の列車が通り過ぎて行った。
列車のことよりも、あの夏の朝のことが強く思い出される。
地方では見知らぬ者に声を掛けることは、ごく自然なことだったのだろう。
沿線の人のぬくもりが感じられた夏の朝だった。
大分交通 耶馬渓線 1967年春
耶馬渓を流れる山国川は、雨が降るとすぐに増水する。その川沿いを、耶馬渓線が走っていた。羅漢寺駅周辺は観光地として知られた土地だった。だがあの日は雨が楽しさを奪っていた。


