案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2026年3月11日水曜日

奥山線 最後の日

ハレーションの失敗作を何とかトリミングで隠した1枚です。


遠州鉄道奥山線 気賀口 1964年10月31日
奥山線が廃止になる最終日、気賀口の駅に立った。小さな駅には、静かな時間が流れていて、線路の先に客車が1両休む風景はいつも変わりない。見送る人も、名残を惜しむ声もない。秋の草が線路脇で揺れていた。この駅も線路も明日で終わる。そんなことを思いながら、去っていく列車を見送った。これから夜になると最終列車の見送りがある。


曳馬野では、「さようなら奥山線」の看板の下、地元の人々が盛装してお別れ列車を乗りに来ていた。


寂しげに都田川を渡る列車。


気賀口の最終列車と見送りの人々。

2026年3月8日日曜日

煙の中へ

遠鉄奥山線 1964年 秋
稲刈りが始まった秋の田んぼ。
二俣線の蒸機列車と奥山線の小さな列車が、
ここですれ違った。

通り過ぎた蒸機の煙が、田の上にゆっくり残る。
煙の先にかすかに見えた列車は、
二俣線の線路を越えて消えていった。

翌日から奥山線はバスに切り替わった。






1964.10.31



                                                        

2026年3月6日金曜日

湯野上温泉

 国鉄会津線  1974年 
一枚の鉄道写真を見ると、
あの日のことが鮮明によみがえる。

若い頃に撮った写真は、なぜか記憶によく残る。
さらに鉄道写真には、
日付と場所がしっかり記録されている。

この一枚から、湯野上温泉で泊まった宿のこと、
雨が上がった朝の駅を撮りに行ったこと、
対岸から貨物列車を狙ったこと、
同行した友達や家族のこと、
などが思い出される。

鉄道だけではない。
あの頃はどんな時代だったのか。
50年たった今でも、
ついこの間のことのように蘇ってくる。



朝の湯野上駅.1974年

2026年3月3日火曜日

新宿警察署前

都電杉並線 1962年
都電を撮っていると、クルマが写り込み、
がっかりすることがあった。
路面電車の撮影では、いつもクルマが邪魔に思えた。

しかし何年も経って昔の写真を見返すと、
クルマのいない写真はどこか物足りない。
クルマもまた、その時代を映す存在だったのだ。

この写真でも、
当時の東京にこんなクルマが走っていたことが楽しい。
路面電車だけが走る道路よりも、
クルマと共にある風景にこそ、街の息づかいがある。

それに気づいたのは、ずっと後になってからだった。



青梅街道の杉並線 新宿警察署前


2026年3月2日月曜日

夏の朝

 仙北鉄道 1964年夏
地方へ鉄道を撮りに行くと、よく声を掛けられることがあった。

「どこから来たの?」「何を撮っているの?」
まだカメラをぶら下げて線路端に立つ者が珍しかった時代だ。

仙北鉄道では早朝に列車を待っていると、背後の家から声が飛んできた。
「お茶でも飲んで、ゆっくりして行きなされ」
縁側に呼ばれて、お茶と漬物をいただく。
どこから来たの等、取り留めのない話をしているうちに、
庭の先を朝の列車が通り過ぎて行った。
列車のことよりも、あの夏の朝のことが強く思い出される。

地方では見知らぬ者に声を掛けることは、ごく自然なことだったのだろう。
沿線の人のぬくもりが感じられた夏の朝だった。



朝の通勤通学時間.瀬峰

60年前の親切な沿線のおばさん.
仙台まで行商に行っているそうだ.
 

沿線の静けさ

仙北鉄道 1964年夏
終点の登米に近い畑の中に、気動車が現れると、
手前の道にリヤカーを牽く家族が通りかかった。
母親と祖母とお手伝いの子は一家なのだろう。
ちょうど夏休みだった。

沿線で列車を待っていると、人に会うことは滅多にない。
見かけるのは、畑に出ている人影ぐらいだった。



2026年2月27日金曜日

朝の東和歌山駅前

 和歌山軌道線 1964年夏
この頃、各地の小私鉄で、こんな朝の風景をよく見かけた。
団塊世代がいっせいに通学する、独特の賑わいである。
おそらく、そのピークは1965年前後だっただろう。

2026年2月26日木曜日

雨の耶馬渓

 大分交通 耶馬渓線  1967年春
耶馬渓を流れる山国川は、雨が降るとすぐに増水する。その川沿いを、耶馬渓線が走っていた。羅漢寺駅周辺は観光地として知られた土地だった。だがあの日は雨が楽しさを奪っていた。

耶馬渓に冷たい雨が降り、観光客の姿は見えない。増水した川辺に下り、雨に濡れながら一人列車を待った。何のために飲まず食わずでこんな辛いことをしているのか。学生だった私は、よくこんな問いかけを自分にすることがあった。

あれから40年余りが過ぎた頃、やっと苦労が報われる時代がやって来た。あの時に撮り歩いた蓄積は無駄ではなかった。



羅漢寺駅の向うにそそり立つ耶馬渓の奇岩.

青の洞門.


2026年2月23日月曜日

上武鉄道を訪ねた日

上武鉄道 1962年12月
あの頃の撮り歩きは、日帰りだと宿や移動の心配もなく、一日撮影を楽しむことが出来た。十二月のある日、蒸機がまだ動いているらしいと聞き、上武鉄道を訪ねてみた。よく晴れた暖かな一日で胸が自然に高鳴っていた。

八高線の丹荘に降り立ち、どんな列車が来るのかと待つ時間が楽しい。やがて現れたのは、最後尾に客車一両をつけた貨物列車だった。構内で貨車を切り離すと、奇妙な機関車は客車一両だけ牽いて引き返すのでそれに乗った。

列車が終着駅に到着すると、そこは西武化学の工場の内部だった。構内で見慣れない蒸機が何両か煙を吐いている。事務所で許可をもらい蒸機を求めて構内を自由に歩き回り、夢中でシャッターを切った。

あの頃は情報がなかった。行ってみなければ、何が居るのか分からない。そこに大きな楽しみがあった。今は事前に多くのことが分かる。便利で効率的になったが、あの時の胸の高鳴りは遠くなった。


埃に煙る桑畑を行く.


丹荘駅構内の片隅.


西武化学の構内.

この日に活躍していたアメリカンロコ.

2026年2月19日木曜日

泗水(しすい)の朝

熊本電鉄 1967年春
あの朝、ホームに犬がいても誰も驚かなかった。菊池からの上り電車が到着し、小学生の一団が改札へ向かう。犬は動かない。ただ、線路の向こうを見ている。

やがて下り電車が到着し、降りてきた男の足もとへ犬は迷いなく寄り添った。声もなく、尾を振るだけで迎えは済んだ。

改札の駅員も、運転士も、乗客もそれを特別な事にはしなかった。危ないと叱る者もいなければ、規則を持ち出す者もいない。私も何も感じなかった。それが当たり前の時代だった。
今になって思うのは、あの当たり前はもう戻らない。


菊池初の上り藤崎宮前行が到着するとホームに犬が一匹。

犬はホームに残り小学生の一団が改札口へ向かう。


やがて客車を牽いた下り菊池行が到着し電車は交換する。


到着した電車から降りてきた乗客に寄りそう犬。


電車が去り静まり返った駅に駅名表示「しすい」の文字が美しい。


2026年2月12日木曜日

北陸本線 石動駅(再掲)

10年前の2015年10月28日に投稿した過去の思い出記事です。


北陸本線の金沢と高岡の間にある石動(いするぎ)駅といえば加越能鉄道加越線。
北陸本線はこの年に金沢まで電化され石動は電化工事が始まる頃で、石動駅の片隅には加越能鉄道のりばがあって砺波平野を庄川町まで19.5Kmを走っていた。東急車両製で湘南型2枚窓のキハ120形2両は加越能鉄道の廃線後関東鉄道に転じ鹿島鉄道で有名な人気者キハ431と432となった。。
一連の北陸を撮影した田辺さんは富山から金沢へ向かう途中、石動駅に降りて加越能鉄道とDF50や特急白鳥を撮っていた。 加越能鉄道はこの9年後1972年9月に廃線となった。

撮影:田辺多知夫 1963.07.12  石動駅

北陸本線石動駅の全景 特急「白鳥」

石動駅の端から出ていた加越能鉄道加越線.発車を待つキハ3 昭和6年日車製

石動駅の加越能鉄道

ハフ31(元キハ1)  サボに表示された「石動⇔庄川町」


まるで模型のような外観の機関車DL112 昭和32年東急車両製
中々アカ抜けしたスマートな機関車です.

加越能の珍車キハ15001. 構内には北陸本線電化工事の電柱が並ぶ.
昭和28年輸送機工業製で、将来の電化に備え過ぎて失敗した車両.外観は電車形で台車はFS13を履いている(鉄道ピクトリアル私鉄車両めぐり4より)
FS13台車を履いた電車になりそこねた珍車

「いするぎ」の駅名

石動駅信号機切替レバーで、1本しかないのは国鉄用ではなく加越能鉄道用ではないかとのこと。ネコパブ「国鉄時代」に連載中「鉄道施設探検」の榊原氏談


石動駅のDF50 (再掲載)

キハ82系特急「白鳥」

これから電化工事が始まる北陸本線を倶利伽羅峠へ向かう汽車の車窓で、沿線の民家や電柱を運ぶ日通トラックが見える.

参考: 鉄道ピクトリアル私鉄車両めぐり第4分冊 1963年

2026年2月6日金曜日

京王線の中型車

 


甲州街道をゴロゴロ走った。1963.3.31
翌日の4.1に京王新宿地下駅が開業した。


デハ2403を先頭に全車パンタ付5両編成。下高井戸


つつじヶ丘を出た下り電車、遠くに国分寺崖線の台地が見える。 1963.7.31

デハ2150形 1961.8.31 笹塚  先輩のアルバムより。

デハ2150形 下高井戸 1962.12.7


新宿行 デハ2125 つつじが丘  1963.07.31


1963年4月に開業した京王線新宿地下駅。
まだ昇圧化がされてなく中型車が数か月地下駅にやってきた。

2026年2月1日日曜日

かつての新宿駅はこんなだった

古い写真を見ると、私の10~20歳頃の新宿駅はこんなだった。(先輩のアルバムから)
60~70年前の新宿駅がその後すっかり変貌し、更に今また変わりつつある。 


 小田急の地上ホームで、上は手前にある新宿駅南口に向かう通路。地下ホームも出来て、駅の上に出来た小田急百貨店は、今、取り壊されて再開発中。最も美しかった特急SE車(原形)だった。撮影は1957(S32)年7月以降


小田急のホーム脇で一段高い所にあった京王線の地上駅。駅は地下に潜り、駅の上に京王百貨店ができた。 1963.4.1 写真は地下駅が開業した日だった。


地上の京王新宿駅から甲州街道に出て来た京王線。京王新宿駅は地下に潜り、新宿駅南口がこれから大きく変わって行く。1963.3.20