2010年の投稿から
上武鉄道(旧日本ニッケル鉄道)
八高線の丹荘から西武化学前まで6.1Kmを、客を乗せた列車が1日5往復走っていた。地方私鉄といっても実質は西武化学の工場と国鉄を結ぶ専用鉄道であった。
訪問した1962年の12月、ピッツバーグ製古典蒸機7号機が最後尾にハフ3(元篠山鉄道ガソリンカー)を連結した貨物列車を牽いていた。
当時、この線のディーゼル機関車はD1001(元鹿島参宮鉄道)だけで、他は古典蒸機だらけ。終着西武化学前の駅に降りるとそこは工場の中で、構内のあちこちで古典蒸機が煙を上げていた。
7号機 1897年アメリカのピッツバーグ社製
4号機 1902年イギリスのナスミス・ウィルソン社製
3号機1891年イギリスのダブス社製など
北関東の一角でこんな古典蒸機が煙を上げていた。
案内文章
高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった。
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
を回想してみました。
2023年6月5日月曜日
2023年6月2日金曜日
2023年5月22日月曜日
夕暮れの樺穂(かばほ)
筑波鉄道で雨引から土浦方面に2つ目、樺穂の一枚。
樺穂あたりから見る 筑波山が魅力的であった。筑波北方の中心地 真壁近辺には紫尾(しいお)、常陸桃山、樺穂(かばほ)、雨引 といった素敵な駅名が多いが、この山裾一帯は昔から人を惹きつけける土地のせいで旧所・名跡が多いのだろう。夕暮の樺穂を訪れてみた。
樺穂 1987.3.22
2023年5月20日土曜日
筑波鉄道の雨引駅
2023年5月10日水曜日
2023年5月4日木曜日
2023年5月2日火曜日
頸城鉄道 最後の残存区間
最後に残った百間町~飯室間の沿線は森に囲まれていて、この森の中には集落が点在していた。森を出ればそこは広大な穀倉地帯で人家はなかった。集落は直江津行のバスが走る道路から外れていてマイカー普及までは鉄道が生活に密着していた。
2023年4月29日土曜日
鉄道写真の添えもの。
2023年4月27日木曜日
2023年4月24日月曜日
画像サイズ
スマホ(iPhone)で撮った画像をそのままスマホのfacebookに投稿すると自動リサイズで長辺2048pixの画像がアップされます。長辺2048pixにリサイズした画像とはこんな巨大な画像です。
画像を右クリックして「新しいタブをひらく」の画面にして更に左クリックするとフルサイズの画像になります。
スマホではこんな巨大サイズが当たり前に使われていて、この先さらに拡大して行くのでしょう。PC画面で見る鉄道ブログの画像よりも、スマホの小さな画面で見る画像の方が遥かに大きい。
昔撮った鉄道写真ブログの場合は盗作(無断使用)があるのでそう大きくは出来ない事情があるかと思います。
2023年4月22日土曜日
facebook投稿例
お問い合わせがあったfacebookで最近の投稿例です。
facebookはスマホで見ることが多いのでモバイル版ですがパソコン版でも投稿は同じです。
facebookに投降した原稿。
梁川線終着駅 梁川の駅前風景
梁川線終着駅 梁川
レールは泥に埋もれ、その上にボンネットバス、いすゞベレット等が並ぶ昭和41年の風景
レールは泥に埋もれ、その上にボンネットバス、いすゞベレット等が並ぶ昭和41年の風景
駅の奥にあった貨物風景。ホワ13
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