案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2018年7月20日金曜日

仙北鉄道

ともに撮り歩いた青蛙さんの素晴らしい仙北鉄道を。

撮影:和田英昭 1964年夏
北上川の風を受け一関街道を行くリヤカー、孫の手をひく祖母、そして米谷を発車した気動車が登米へ向かう。 北上川のほとりに詩情あふれる風景があった。

先日アップした米谷駅はこちら→ 仙北鉄道米谷駅

2018年7月18日水曜日

静岡鉄道清水市内線

この写真の陽ざしは朝でしょう。
自社工場製の模型的な車両の魅力、路面電車が専用軌道を走る楽しさなど、魅力溢れる路線であった。といっても私は何べんも計画立てながら他を優先してしまい、訪問が叶わなかった路線。
田辺さんが撮った清水市内線からです。

撮影:田辺多知夫 1967.1.7
 じっと見ていたくなる新清水の朝の光景。朝の光線が素晴らしいですね。
巨大サイズにプリントしてみたくなります。

1枚目と2枚目の写真はシーケンスで、電車の動きや人の動きが分かる。電車(55)は国道から新清水駅に入って行くところで、湊橋に向かう電車(60)が接近し、向こうに横砂行きの電車(66)が朝もやの中に消えていく。電車の背後に写る新静岡センターでは正月明けの新春初売り出し中。

湊橋行きの62。

東海道本線越えの撮影名所。

電車は1台1台外観が異なっている。


背後の山並みの向こうにうっすら見えるのが富士山の頭のようです。
59+58でパンタが一丁、固定編成でしょうか。
59+58

路面電車が専用軌道を走る魅力溢れる風景。

清水市内線といえばこの海坊主55~59。

2018年7月16日月曜日

土佐電 はりまや橋

昭和44年、南国の夏の日差しと思ったら5月のことであった。

はりまや橋。  1969.5.5

今もこんなに賑わっているのだろうか。はりまや橋。

サラリーマンでも車が買えるようになって、急速に車社会へ突入した頃。はりまや橋。

はりまや橋

ごめん行の後に続く知寄町行。路面電車の写真は楽しいけれど、どうしてもこういう1パターンの写真のオンパレードになってしまいがち。使い道のない写真からの1枚。

はりまや橋。田辺さんの1枚  1969.2月

2018年7月12日木曜日

くびき野に消えた軽便

今回の本「地方私鉄1960年代の回想」でキャプションがいらない1枚がこれだったと思います。
12年前の写真展ではこの写真で多くの人が物語を想像して楽しんで下さいました。
この写真の前や後に一体どんなことが起きていたのだろうか、
どんな家族だったのだろうかと。

そんな写真の楽しみ方を東京都写真美術館で開催中のTopコレクション 楽しむ、まなぶ「イントゥ ザ ピクチャーズ」で初めて知りました。
なるほど、今の写真展はメインタイトルだけで野暮なキャプションがないのはそれだったのか。

写真を時代の資料として見て情報を得るというだけではなく、自分の興味にそって写真の中に写っているものをじっくり見ることで、気づかなかった別の一面に気付いたり、わからないことを発見したり、わからないことを楽しんだり。東京都写真美術館より

くびき野に消えた軽便. 大池  1970年

列車が来る前だったか?

発車する直前にやってきた親子.

こんな解説は不要なんでしょうが、1と4枚目はネガカラーでフジカ35EE、2と3枚目がモノクロでペンタックスSPで撮影です。

そしてこんな場面もありました.

2018年7月5日木曜日

尾小屋の暑い夏

強烈な夏の陽を浴びた尾小屋鉄道。
ガンガン照りでカチカチのネガであった。
どの写真も模型の参考に撮ったようだ。
モノクロ写真では分からないが、当時は木造客車ホハフ7に三重交通のクリーム/緑ツートンが残っていたり、DC121は濃淡グリーン、2両のキハは濃淡グリーンのツートンで赤帯が入っていたりで、旧カラーリングが残っていた。

撮影:1962年夏
DC121

朝顔カプラーの楽しさ。

最後尾のハフ3のオープンデッキ風景を見ると、2軸台車の振動とジョイント音が聞こえてきそう。

DC121 新小松


西大野の列車交換。 キハ1+ハフ1

DC121+ハフ3+ホハフ7+ホハフ3  尾小屋

 キハ2
キハ2の床下。

新小松の機関庫で休むDC121

新小松の機関庫。

DC121 新小松


DC122 新小松

2018年7月4日水曜日

「地方私鉄1960年代の回想」出版を祝う会

先日6月29日に渋谷の「パンダレストラン」にて「地方私鉄 1960年代の回想」出版を祝う会が開催されました。多くの皆さまにお集まりいただき誠にありがとうございました。
鉄道趣味を通してつながった皆さま、そして今回の出版で大変お世話になった関係者の皆さまに厚く御礼申し上げます。


巨匠に挟まれて。(画像:松本正敏様より)

会場には凄腕超絶モデラーが何人も揃いました。

プロに写真展のお知恵拝借。

当日配布のチラシや冊子。

秋の写真展日程が決まりました。チラシ制作:OFFICE NATORI


2018年7月3日火曜日

能登線 海辺を行く

5月2日にアップした「能登の漁港に近い小さな駅」では、北陸鉄道能登線の滝駅と漁港の位置関係を確認してみました。滝駅の先には海沿いに向かう線路跡がサイクリングロードとしてはっきり残っていました。そこで、今回は海沿いに走るサイクリングロードをGoogleマップ上に確認し、当時の海辺を行く風景を並べてみました。

能登の海辺を行くを2編をとり上げたのですが、拘りを捨てNゲージの車両置いておくだけのジオラマ「海辺の鉄道」の題材に素敵ではないでしょうか。この題材を忠実に再現するのもよし、海辺の線路を参考に取り入れるだけでもよし。


撮影撮影:1962.08.02
松林と草むした線路。柴垣-滝

海辺の松林と線路。

この辺りで最も海岸に接近する。

奇妙な客車を牽いて左に左にカーブして滝駅へ向かう。

柴垣 - 滝
滝駅を進むと海が開け、右にカーブして海岸に接近する。
google地図上のサイクリングロード(廃線跡)を赤で示してみました。


2018年6月27日水曜日

雲仙鉄道 廃線跡2

肥前小浜駅跡の画面からスタートし、57号島原街道から別れて201号(廃線跡)を北上する前面展望の動画をリンクさせてもらいました。
この前面展望を見ていると遠い昔に雲仙鉄道がどんなところを走ったかを偲ぶことができ、まるで気動車に乗っているようでした。

小浜からしばらくは山並みを右に左に勾配を上る。海沿いに平地は無くかなり高いところを走り、峠を越える感じだ。何か所か駅名票建てた駅跡があり、木津の浜駅跡では道路沿いにしっかりホームが残っている。

道路は千々石駅跡がある集落を抜け一気に海岸線に接近すると、そこは滅多にクルマも来ない崖下の海岸ぎりぎりの道路が延々と続く。よくぞこんな波うち際を1号蒸機や気動車カハ22などが走ったものである。しばらく波うち際を進むと濱駅跡の先で廃線跡は途切れた。

前面展望で走った201号線(廃線跡)をgoogle地図上に赤で示してみました。


地元の地方私鉄ファンが撮影された廃線跡 前面展望で、リンクを了解戴きました。

50年前に確認した展望台の崖下を海岸沿いに走る廃線跡。
この先、50年前には展望台下を海岸線に沿って走り愛野までそれと判る道があったのですが、今は通れるか不明です。当時も愛野近くになると農道や私道、果ては家があったりしてましたから。 車楽齋さんの写真とコメント。

                    ずっと先に小浜温泉がある。↓

雲仙鉄道カハ22と同時期に日車で製造された加悦鉄道キハ101で、バケット除く車体はカハ22と同形。加悦キハ101の片ボギーを偏心台車と交換しボギーすると、雲仙カハ22になるのでしょう。