案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2019年1月16日水曜日

大分交通耶馬渓線 車両の坩堝2

中津の奇怪な車両群でまず目についたのが驚きのホハフ101、102、103の客車であった。
昭和40年8月の宇佐参宮線廃止による余剰客車から、比較的程度のよいものを耶馬渓線に転属させ、混合列車の輸送力増強とともに2軸車の取り替えに引き当てられたそうだ。

愉快なのはボギー台車のオーバハングの関係から101、102は横揺れが激しく予備車になり下がってホハ103のみが元気に走っていたそうだ。
(鉄道ピクトリアル私鉄車両めぐり第8分冊より)

撮影:1967.3.5
 ホハフ102と101は宇佐参宮線より転属。
二軸、ボギーどちらにも対応できるように設計された驚きの客車。

ホハフ102と同形のホハフ101

ホハフ101(右)を真横から見ると、なんとアンバランスな台車とオーバハング。そしてなんと繊細なアーチバー台車と松葉スポーク車輪。きっと車体前後が頭ふりふりして走ったのだろう、こんな珍品客車に乗ってみたかった。 

そして 宇佐参宮線より転属してきたホハフ103。この台車の位置はバランスがとれている。車体が小さいせいか車輪径がとても大きく見える。

ハフ16(宇佐参宮鉄道 昭6年雨宮鉄工所製ガソリンカー)

2019年1月15日火曜日

大分交通耶馬渓線 車両の坩堝1

大分交通の非電化路線は昭和40年8月に宇佐参宮線、昭和41年4月に国東線が廃線となり、昭和42年の耶馬渓線 中津車庫には各線の残党が集まり奇怪な車両の坩堝(るつぼ)であった。多くのファンが日豊本線中津駅から耶馬渓線の車両を撮ったことでしょう。

撮影:1967.3.5
日豊本線 中津

中津の3番線が耶馬渓線のりば

昭和42年の中津の車庫には、蒸機2両、DL3両、気動車13両、客車19両、貨車16両の計53両が在籍しまさに古典車両博物館であった。
余りに奇怪な車両が多く、夢中で撮りまくって疲れ果てたことが鮮明に記憶に残る。そして、こんな現場に好き勝手に入って撮影するのを許可してくれた良き時代が今では考えられない。


  参考:「消えた轍」ローカル私鉄廃線跡探訪 寺田裕一著 ネコ・パブリッシング

2019年1月13日日曜日

大分交通耶馬渓線 羅漢寺

最近、facebookで耶馬渓線の廃線跡の今が紹介されましたが、
耶馬渓線の沿線でハイライトとなる羅漢寺駅は今や跡かたもないようだ。
今回の写真集や写真展で使わなかった羅漢寺の駅および周辺の写真を並べてみます。

羅漢寺駅に降りて行動した時の記録は全くないが、雨上がりの羅漢寺駅から山国川沿いにひと気が無かったのが印象に残る。一大観光地ながら観光客はバスでやってくるのだろう。沿線でカメラを持った鉄ファンに出会うこともまずない時代であった。

撮影:1967.3.5
背後に耶馬渓の競秀峰がそそり立つ素晴らしい雨上がりの羅漢寺駅であった。

写真集の「あと書き」に使う写真の候補として残ったのがこの1枚↑。車両は小さく、空は広く写った写真はなかなか無いもので「まえ書き」や「あと書き」に使う写真には苦労した。

羅漢寺駅(左に見えるホーム)と駅前の民家、そして背後に耶馬渓の競秀峰。

今回の写真展で全紙や全倍に引伸ばすのも車両が大きくては使い物にならない。
下の4枚も車両が大きく写真集では使えなかったし、ましてや写真展で大きく引伸ばすのには全く使えない。

羅漢寺に到着した「やまばと」号
悲しいかな、中津を出てすぐに運転席のワイパーのブレードがすっ飛んで無くなってしまった。雨で運転手は前方が見にくかったことだろう。

中津からやってきた列車はここで片ボギー車を切り離す。次駅が「かぶしの」

やがてやってきた上り列車。羅漢寺

梅が咲く羅漢寺駅周辺

山国川ぞいに次の冠石野へ向かう絶景. 羅漢寺-冠石野
この区間を縦横と何枚も撮った中の1枚。


2019年1月5日土曜日

美流渡の2146 (3)

田辺さんが撮った美流渡のB6で、背後に写った炭鉱町や鉄道施設はこれ以上なかったので美流渡に到着するまでの2日間を何枚かアップしてみます。

撮影:田辺多知夫 1965.7.26~27
憧れの藤田炭鉱小石を訪問したのが7月26日であった。私は北の果て小石や猿払の土地名にしびれます。

美唄の迫力
 翌7月27日は三菱鉱業美唄鉄道を訪問。ここで田辺さんは北海道炭鉱蒸機の洗礼を受けたことでしょう。 美唄

常盤台の衝撃的な世界

美唄から常盤台まで走っていた三菱鉱業美唄鉄道の盤ノ沢駅。「がろ」と「とうめいの」の駅名に思わずシャッターを切ったのでしょう。 

そして美唄を訪問した7月27日に北星炭礦美流渡礦専用鉄道まで足を運んでいる。ここで美流渡の2146に出会えて感無量!!   細部のアップを撮りまくっている。

2019年1月1日火曜日

新年

今年もよろしくお願いいたします。

昨年も皆さまからのアクセス、コメントをありがとうございました。
2010年に始めたブログも9年がたち、今年は10年目に入ります。
今年もどうかよろしくお願いいたします。

京福電鉄福井支社 三国芦原線  芦原 1968.1.15
国鉄三国線の線路が終わるところ。



昨年は写真集の発刊、トークショウ、写真展、軽便祭講演会と「地方私鉄 1960年代の回想」に絡んだ出版とイベントが続きました。写真展やイベントでは本ブログを見て戴いている沢山の方々にご来場いただき、本当にありがとうございました。皆さまのお蔭で盛況のうちに昨年1年が無事終わりました。

写真展、イベントでは沢山の方々からブログを見ていますと声を掛けていただき、驚きとともにブログしっかりせねばを感じています。



三国線のこと
左の京福三国芦原線と並ぶ国鉄三国線。芦原
京福の芦原駅はその後「あわら湯のまち」駅となった。

北陸本線の金津(現:芦原温泉)駅。向こうに永平寺線が見える。

永平寺線金津車庫で休むホデハ201。
この電車は旧京都電燈所属でしたか。


2018年12月28日金曜日

美流渡の2146 (2) 



撮影:田辺多知夫 1965.7.27

給水のひととき

コールバンカーが改造され屋根上にも石炭が載っている。


2018年12月26日水曜日

美流渡の2146 (1)

昨夜、chitetsuさんの新作16番B6(2120形)を見せてもらい、堪らず田辺さんが撮った美流渡の風景を見てみたくなりました。写真は北星炭礦美流渡礦専用鉄道で動いていたB6と風景です。

撮影:田辺多知夫 1965.7.27
いいですね、美流渡の炭鉱町風景。

B6の背後に写った炭鉱町。

2120型2146と表示されたナンバプレート 

銘板はノース・ブリティッシュ・ロコモティブ1903年製だか、この銘板はおかしくダブス1898年製のはずという説があり。いずれにしても英国製の2120形。

電車モデラーchitetsuさんが作った蒸機B6、モデルにしたのは三美運輸仕様とか。

2018年12月25日火曜日

京福電鉄三国芦原線。 三国港

三国港ー芦原 1968.1.14
2010年に「東尋坊へ向かう電車」そして2011年に「京福電鉄 永平寺から東尋坊へ」をアップしてから8年が経ちました。
終点三国港の写真を今、改めて眺めてみると、この8年の自分の感覚の変化で北陸の海辺の駅や民家が一段と魅力的に見えてきました。現在では綺麗に整備されて、写真に残る昔のこんな味わいは時代の進化と伴に益々深まっていくのでしょう。


松林の中に点在する建屋。三国芦原線の終着駅 三国港

海辺の駅、三国港駅

駅のすぐ裏に三国港と日本海が迫ってくる。

ひと気のない三国港の駅前。

目前に荒れ狂う日本海が拡がる終着駅の全景。この先に東尋坊がある。

荒れる日本海の潮を浴び全身ベタベタとなる。