案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2018年11月17日土曜日

「竜鉄の歴史を探る」パネル展

こんなパネル展が開催されます。
関東鉄道竜ヶ崎線の歴史について龍ヶ崎市内の2箇所の会場でパネル展示。
鹿島参宮鉄道時代(~1965年5月)の竜ケ崎線に力を入れた展示だそうです。

主催:竜ヶ崎市地域公共交通活性化協議会
企画:茨城県立竜ヶ崎第一高等学校
協力:愛国学園竜ヶ崎高等学校 茨城県立竜ヶ崎第二高等学校
開催日:平成30年11月23日  詳細は下記ポスター参照。

そして家庭用スキャナ(GTX970)でスキャンした画像が巨大パネルにプリントされる。
A0以上もプリントできるプリンターを購入し、A1やA0パネルが展示されるようです。
これまでの常識を覆すプリント、これには興味深々!!
家庭用スキャナでスキャンした画像でもここまでプリントできる、が見れるかも。


2018年11月13日火曜日

遠鉄奥山線 気賀口 2

気賀口駅周辺の5万分の1地図(S35年)がありました。

1963(S38)年4月まで気賀口の先、奥山まで延びていた線路は、気賀口を出ると井伊谷川を渡らず橋の手前で急カーブして道路を横切って井伊谷川の土手を走っていた。気賀の町外れで川向うにあった気賀口駅の位置関係と、川の手前の急カーブが地図でよく分かる。
井伊谷川を渡る道路形状が現在と異なるのは、橋が少しだけ上流側につけ替えられたのだろう。


撮影:1964年3月、10月
奥山~気賀口廃線後の気賀口の終端部。道路を横切って土手に向かう廃線跡(築堤)が残っていた。
当時の道路は橋の手前で今と違って左にカーブしている。

廃線跡めぐり 2000年5月


きがぐち駅前

気賀口最後の日 1964.10.31

以下は気賀口の遠鉄浜松方面の風景。
  気賀口から遠鉄浜松方面に向かう直線区間。

直線区間の先で国鉄二俣線に接近する。

二俣線に接近したところに小さな岡地駅があった。3'6''と2'6''ゲージの並走区間。

岡地駅を出て右にカーブすると暫く国鉄二俣線と並走してから二俣線をオーバークロスする。

2018年11月11日日曜日

遠鉄奥山線 気賀口 1

町の中央部には都田(みやこだ)川の沖積地が広がり,北部は山地,南部は三方原が占める。中心の気賀(きが)はかつて浜名湖舟運の一拠点で,江戸時代には三ヶ日,浜松に通じる東海道の脇往還,姫街道(現,国道362号線)が通じ,関所が置かれていた。江戸後期からイグサの栽培が行われたが近年はミカン,メロン,キーウィフルーツ,レタスの栽培や酪農が盛んになっている。…気賀の紹介記事

こんな気賀の町外れ井伊谷川の対岸にあったのが奥山線の終点「気賀口」であった。気賀口はこれまでブログで何回も取り上げて来ましたが、未使用画像を追加してもう一度整理(既出画像含)してみます。
撮影:1964.3.23
オリンパスペンで撮った最も好きな風景の1枚。線路はボギー貨車のところで終わっている。この写真の1年前まではこの線路の先は川沿いに右に大きくカーブして奥山まで向かっていた。
ここで線路が終わる。

気賀口を出ると右へカーブして井伊谷川に沿って進む今の風景。

寂しげな気賀口駅。道行く人がジオラマの人形みたい。

いかにも温暖な地方を感じさせる駅前の民家。

気賀口を発車した気動車。一面に拡がる田んぼの畦道には肥料の桶が置いてある。


奥山まで走っていた時代の気賀口。1963年4月

2018年11月9日金曜日

旧東海道を走ったモハ205と206

facebookで伊豆箱根鉄道軌道線のポール電車で最も魅力溢れるモハ205、206の模型の写真が出てきて驚きました。こんな渋い電車を作る方がいるんですね。伊豆箱根鉄道のツートンカラー(グリーンとクリーム)が懐かしい。

ペーパークラフト工房 フジドリームスタジオごーまるいち【Fuji Dream Studio 501】さんの模型(未製品化)は1/40だそうです。
こんな模型を部屋に飾ってみたい!

撮影:1963年2月、7月
こんな旧東海道を走っていた軌道線の電車。1963年2月は廃線直後で線路が外されていた。

線路が外された廃線直後の長沢車庫。

 モハ206(田中車両製) 旧西武 大場工場 1963年7月
松本電鉄浅間線と同様に運転台が一段下がったタイプ。

モハ15(元大雄山線)車中から見ると、隣に見えるモハ206の運転台が異様に低い。

左モハ16(元大雄山線)と右モハ206の高さの差。

モハ206と同型のモハ205 旧西武

2018年11月6日火曜日

遠鉄奥山線 曳馬野駅風景 

電車と気動車がバトンタッチする曳馬野は次々とやってくる電車や気動車で楽しい駅であった。非電化区間では外観が異なる3タイプの気動車が活躍していた。

撮影:1963.4.4、1964.3.23
電車区間を曳馬野へ向かう途中で、上池川で列車交換。乗って楽しい丸妻客車の最後部にはいつも客が立っていた。

曳馬野の駅舎と大きなパンタ。

非電化区間の気動車には1802、1803、1804がいた。ライトがばかにでかい1803。

曳馬野駅風景

気賀口から非電化区間を走って来た遠鉄浜松行の気動車。金指まで並走するバス道路はバス代替え時点でもこんな非舗装路であった。

遠鉄浜松行き列車の乗客は気動車から電車に乗り換える。

曳馬野を発車した電車は殺風景な三方原台地を遠鉄浜松へ向かう。

帰りに立ち寄った駿遠線 袋井駅風景 1964.3.25

2018年11月3日土曜日

遠鉄奥山線 元城 2

二回目に訪れたのが1年後の1964年3月で、春の陽を浴びた元城の風景は相変らずであったが最後の年を迎えていた。あれから54年、のどかだった風景の今をgoogleで見ると大都会浜松の一角にのみ込まれてしまった感があります。

撮影:1964.3.23
右手が元城工場の建屋。
線路が前方で茂みの中を左にカーブするところが今も小路で残っている。右手の車庫と工場があったところに今はホテルコンコルド浜松が建っている。


大手通りの踏切を過ぎると元城駅の構内に入る。左の榎本外科が今のホテル車寄せの入り口となる。線路は遠鉄浜松へ向かって一直線に延びた先を右にカーブしている。

元城車庫に休む気動車。

元城車庫に休むモハ1003とキハ1803

車庫から牽き出されたDC1901

2018年10月29日月曜日

遠鉄奥山線 元城 1

春の陽を浴びた奥山線を整理してまたやってみたくなりました。

撮影:1963.4.4
元城駅
 
モハ1002 + ホハ1106 元城

遠鉄浜松から二つ目の元城駅と車庫の全景 元城車庫全景。今はここがホテルですか。

奥山線の顔

遠鉄浜松駅 
隣りの遠鉄西鹿島線と並行する遠鉄奥山線。架線高さは西鹿島線と同じで、小さな車体の屋根に、目いっぱい上げたパンタが大きいこと。


 素敵な丸妻客車 遠鉄浜松駅

遠鉄浜松を発車するとカーブして川沿いを走る。
遠鉄浜松 - 北田町 時を経て一段と魅力的になってきた凄い家並み。

川沿いにあった一つ目の駅、北田町

元城に向かう沿線の住宅の造りが如何にも昭和30年代を表している。

いかに会社がバス事業にシフトしていたか、ボロ車庫とは対照的な立派な遠鉄元城寮(バスガイド社員寮)が左手に見える。


車庫に休む電車と気動車。

 元城工場の内部とDC1901

近くを走る遠鉄二俣線(現西鹿島線)の赤い電車。