案内文章
2026年8月2日日曜日
雨の羅漢寺駅
2026年7月31日金曜日
客車牽引時代の栃尾線
上見附駅に次々やってくる列車は、どれも客車を数量牽引した電車or電機であった。機回り線を使って付け替えると、スイッチバックして栃尾や長岡へ出発して行く。電車には様々のタイプがあるが、それ以上に種々雑多なのが電車に牽かれた客車。古典から珍品までその編成の不揃いさが楽しい。大正初期の最古参ダブルルーフ客車ホハ1~8、元草軽の古典小型車ホハ17,18、単車をつなぎ合わせたホハ10、それにガソリンカーや電車崩れのデカイ客車など、さまざまな珍品が活躍していた。
その後、これらの客車牽引時代は6年後の昭45年頃までに消滅してしまったようだ。


モハ214の快速列車はこんな編成で長岡へ出発した。モハ214+ホハ6+ホハ27 上見附
2026年7月29日水曜日
越後平野を行く
春と呼ぶには、まだ寒すぎた。
雪が残る山々と、冬枯れの越後平野。
冷え切った田んぼがどこまでも続き、
小さな列車が静かに通り過ぎてゆく。
あの時の越後平野には、
まだ冬の余韻が残っていた。
越後交通 栃尾線 1964年3月
(AIカラー化画像)
2026年7月26日日曜日
真夏の「にしもない」
西馬音内駅の薄暗い待合室に入り、その先に広がる街並みを見て、
「駅舎も町も、なんとうす汚いのだろう」と思い、
カメラ向けたのは、たった一枚これだけだった。
あの時は、駅舎や町の魅力が見えていなかった。
40年、50年という歳月が流れ、
ようやく、あの時代の駅舎にも、あの街並みにも、
失って初めて気付く風情や情緒があったことを知る。
車両だけではなかった西馬音内の魅力。
2026年7月25日土曜日
終活と思い出
思い切って処分するのが殆どですが、昨日、紙類を処分していたら、こんな記録が出てきました。2018年、写真集出版と新宿リコーでの写真展。私の趣味活動が最も活発な頃の記録です。
写真展の感想ノート、写真展の記録、地方私鉄めぐり青春の記録、数々の祝賀会記録……。これだけは、処分することのできない宝物です。ページをめくると、当時いただいた温かい感想や励ましの言葉が、そのまま残されています。
あの頃、写真展や記念イベントに足を運んでくださった皆様、ブログをご覧いただき応援してくださった皆様、、あらためて心より感謝申し上げます。
あれから早や八年。世の中も大きく変わり、私自身も鉄道写真への想いが少しずつ変わって来た感じがします。あの頃に思い残すことなく取り組めたからこそ、今は新しい表現へすこしだけ歩みはじめています。
これからも、昔と同じことを繰り返すのではなく、その時々の自分らしい形で心に残る風景や人の余韻を追い続けていければと思っています。
2026年7月22日水曜日
記憶にある色を求めて(まとめ)
古いモノクロ画像をAIでカラー化するキッカケは、昭和30年代(1960年代後半)の地方私鉄の奇妙な車体カラーを再現する「記憶にある色を求めて」でした。
モノクロ画像をあえてAIの変なカラーにしてどうするの? そんな声も聴こえそうな中を、単にカラーにすることではなく、その後の情景のAIカラー化も同様で、ある目的にかなう画像だけを取上げてきました。
「記憶にある色を求めて」で、まだ満足行かない色の沼尻や法勝寺線を除くと、ここに並べた車体カラーがほぼ記憶にあるイメージに近いものでした。
あと沼尻と法勝寺線で車体カラー・シリーズは終了です。
2026年7月20日月曜日
電鉄上田駅のワンシーン
カラー化によってある時代の想いがより感じられるようになった。
この2年後に真田傍陽線が消え、
家族旅行も鉄道利用からマイカーへと時代が変わる。
画面右手の半身だけ写った電車に
くすんだツートンカラーの色がつき、
事実とは異なるけどアルミサッシの色効果で
高まる上田丸子の車両の魅力。
木造駅舎、真田傍陽線、家族との時間、1970年の夏、
そこに感じる喪失感、もの悲しさ。
ひと時は、きっと人生で大切な時間の一つになったことだろう。
2026年7月18日土曜日
上田丸子電鉄 夏本番の上田駅
2011年8月3日にアップした記事より。
夏になると思い出されるのがお盆シーズンの賑わい、そして上田駅の色のこと。
夏休みを使ってよく地方へ撮りに行くことがあったが、8月はちょうどお盆のシーズンで地方私鉄はどこも帰省客など人々の移動で賑わっていた。信越本線上田駅で国鉄に接続する真田傍陽線と別所線では国鉄からの乗換え客で賑わい、夏休みに家族連れでこの私鉄沿線に帰省する人達も多かったのだろう。
昭和45年の上田丸子電鉄は、既に丸子線、西丸子線が消え、この2年後には真田傍陽線も消え、その後別所線だけとなった。この頃に撮った私鉄はどこでもごく平凡な路線だったが蒲原鉄道、新潟交通などと同様に、上田丸子も当時を見ると個性豊かな電車で魅力的に感じるのは時代の変化によるものか。

2026年7月16日木曜日
沼尻のワフ3
モノクロ画像を、chatGPT画像の調整仕上げで使用しているのと同じ、Adobe Express無料版で仕上げてみました。いつまでも無料。
期限過ぎると有料になる無料体験版Adobe Express Premiumとは違う。
ワフ3 1964年1月 川桁
モノクロトーンの画像仕上げの話から、話題はこの貨車の色の話へ。
↓
何回か塗り替えられて時代とともに、明るいグレー(1966年)、青、他へと変化したようです。AIは知る由もありません。
2026年7月15日水曜日
上田丸子電鉄 下之郷駅
やはり、ブログをPC画面で見るのが私にとって一番楽しめそう。
新しい媒体にも投稿してみたが、「味わい深い鉄道」の写真を理解する人は皆無のよう。
きっと世代が違うせいでしょう。
「味わい深い鉄道」を写真で楽しむには、やはりブログがよさそう。
AIによるカラー画像の鮮明化の一枚。
chatGPTの生成画像そのままで、あり得ない青みだが敢えてそのまま。

元山梨交通7形が休む別所線の下之郷駅 1970.8.17
2026年7月11日土曜日
西公園停車場(色合い)
先日のAIカラー化画像で、いろいろ並べてみました。②が7月10日に投稿した明るめ画像です。
2026年7月10日金曜日
西公園停車場
日が暮れるころ賢治は西公園から停車場や電車の明かりを見下ろしていたかも知れない。そんな情景が目に浮かぶ。
私がこの停車場を撮ったのは1964年の夏。
今、そのモノクロ画像をAIで色をつけてみると、砂利や土に埋もれた軌道、赤ん坊を背負った母親、ベンチで昼寝しているゲタ履きの学生、木造建築の木目などに、今までになかった感覚が生まれて来る。
きっとこの停車場の色も宮沢賢治の時代と何も変わっていないのだろう。
2026年7月2日木曜日
曇天の加賀平野
「曇天の加賀平野」
加賀温泉郷が衰退する、ずっと前、動橋から山代温泉行きの電車が走っていた。
2026年6月25日木曜日
今、ブログは
今の世の中、ブログは殆ど消滅かと思っていたら
そうでもなさそう。
リンクさせて頂いているブログ以外、
私はまず見ることがなかったブログ。
今も昔も、鉄道ブログの主体は「今の鉄道情報」
のような気がする。
そして、誰かが言っていたように写真は
益々車両写真に向かっているのは確か。
私にとって殆ど無縁の「今の鉄道情報」

スプリングポイントの向こうに拡がる滝駅。
生い茂った草に埋もれてしまいそうな線路。
草むした構内で遊んでいる子供たち。
真っ白に乾いた道路を日傘を差して歩くご婦人。
傾いた線路通行禁止の警告板。
北陸鉄道 能登線 昭和37年夏
2026年6月23日火曜日
月山と三山電車
機芸出版社から出版した「地方私鉄 失われた情景」の三山線でモノクロにして使った一枚です。
このネガカラー画像は不鮮明で色がよく分からない画像。AIでカラー鮮明化してみると白い月山がハッキリしてきた。ボケた果樹園の花のカタチも色もよく分かる。
モノクロ画像→カラー化の場合と違って、AIが勝手に造形することはなく、元のカラー画像鮮明化だけなのが安心できる。
山形交通 三山線
2026年6月22日月曜日
2026年6月17日水曜日
2026年6月15日月曜日
東武のネルソン64号
2026年6月12日金曜日
矢掛線の雲と民家
この日の井笠鉄道は青空に浮かぶ白い雲と、沿線の民家が印象的であった。北川から矢掛へ向かう列車を撮ったこの1枚。
これまでのカラー画像では空と遠方に見える民家が生きて来なかった。今回、AIで鮮明化したあと、Adobeで様々トーンを変えて仕上げてみると、作り物の白い雲ではなく元画像にあった雲のカタチや、民家などが鮮明に見えてきた。
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