案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2024年7月23日火曜日

島原鉄道

300年の歴史がある「島原手延べ素麺」が生まれた土地は島原半島南部の西有家町須川。

古い線路図で見ると2008年に島原鉄道の部分廃線で消えた島原外港(現:島原港)~加津佐間に西有家の駅があった。その先が島原の乱の原城遺構がある南有馬。有明海の向こうは天草。

世界遺産の南島原を海沿いに走っていた島原鉄道の廃線区間。どんなに素晴らしい南島原の鉄道風景だったことだろうか。


島原手延べ素麺.南島原市西有家町


昭和27年 鉄道線路図(日本国有鉄道営業局)


撮影:1967.3.3
島原の街. 


島原城から有明海を望む.


島原鉄道 島原駅.



島原外港を発車した列車は加津佐へと向かう.

島原外港から三角港に渡ると、国鉄三角線で熊本へ出れた.

2024年7月18日木曜日

「地方私鉄 失われた情景」

 久しぶりにネット書店を開いてみると

書泉オンライン 売り切れ
書泉オンライン楽天市場 売り切れ
楽天ブックス メーカ取寄せ

おかげ様でネット販売では「売り切れ」の表示が出始めました。


2024年7月17日水曜日

4年前の思い出 TMS連載記事(鉾田線)

facebookでは数年前の今日が思い出として現われる。
今日は4年前2020年7月17日にfacebookに投稿した記事が現れてあの頃が思い出された。

TMS誌2020年8月号に掲載した鉾田線の原稿に取り組んでいた2020年5月は、東京の非常事態宣言が解除されて少し出歩けるようになった頃。月刊誌連載が3年も続けられたのはコロナ禍の外出制限のせいだったかも知れない。

2020年7月17日にfacebookに投稿したTMS誌記事「霞ヶ浦湖畔 桃浦」

以下は記事に載せなかった車両写真 撮影:1966.8.28

旧東横のキハ42202と42201 石岡機関区


旧東横のキハ42201。石岡機関区


石岡駅で発車を待つキハ201。

2024年7月6日土曜日

竜ヶ崎線の客車

竜ヶ崎線 竜ヶ崎駅で見たガソリンカー崩れの客車2両。
1962年3月には使われていたが、その1年後には使われていた様子がなかった2両。 
急速に鹿島参宮鉄道のイメージが消えゆく時代であった。

撮影:1963.8.17

キハ102とハフ15

昭和6年松井車両製 片ボギーの元ガソリンカー ハフ15



ハフ15の車内


エンジンを外されトレーラとして使われていたキハ102(日車製 茶色) 1962.3.29

1年後のキハ102は既に客車として使用されていなかった様子.

2024年7月2日火曜日

銚子電鉄の元京王5000系


デハ3001+クハ3501  仲ノ町  2024.6.25

先日の銚子で活躍していた元京王5000系は、そう言えば京王線に初代5000系デビューした時に試乗したのが1963年8月であった。あれから60年、京王線から伊予鉄道へそして銚子電鉄へと今も稼働しているのが凄い。


1963年8月4日の京王線600V→1500V昇圧化を機に運転開始された特急初代5000系.
デビューした4両固定編成の5000系と2両固定編成の5070系があり、試乗して高幡不動に向かったのは8月11日であった.この2両固定の5070系がその後地方へ転出した。


京王線に初代5000系がデビュー、写真は4両固定編成の5000系.高幡不動 1963.08.11



旧型車2連と組んだ2両固定の5070系、この5070系が伊予鉄道に譲渡され更に銚子電鉄へやってきた。高幡不動 1963.08.11

京王線にアイボリーカラー初代5000系がデビューした1963年夏の同じ頃、銚子電鉄にこんなのどかな風景があって、今もあの時代ののどかさは変わっていない。

ハーフ判カメラで撮ったポール電車.

君ヶ浜の先で左に灯台を見て外川へ向かう電車.1963.6.30

2024年6月29日土曜日

本銚子駅

銚子電鉄 本銚子駅前後の線路は今や緑のトンネル状態で日中は駅に人がいなかった。かつての線路には緑はそれほどなくて駅には人がいた。60年の歳月で木々が成長し緑がこれほどまでに成長するのは銚子電鉄だけではなく各地で起きているのでしょう。 


まるでジャングル地帯を行くような緑に包まれた今の本銚子駅.2024.6.25

60年後の緑のトンネル(下の写真にある橋から撮影)

かつての本銚子駅の風景.1963.6.30
橋の向こうのホーム上に子供達が見える.


笠上黒生で交換する電車は満員であった.

2024年6月27日木曜日

60年ぶりの銚子電鉄

 数年ぶりにミラーレスカメラを取り出して60年ぶりの銚子電鉄に行ってきました。

滅多に使わないミラーレスはスマホと違って後の画像処理が大変でテストの繰り返しです。

  撮影:2024.6.25 Sony40mm 単焦点レンズ


緑のトンネル.1280pix 830KB

背後の醤油工場と仲ノ町車庫. 2000pix 1.2MB


今年3月にデビューした55才の元南海.1280pix 520KB

仲ノ町界隈 2000pix 520KB
40mmレンズで撮ってトリミングにて画角半分に狭めたもの.


60年前(1963年)の仲ノ町駅.2000pix 870KB

面影残す外川駅.1280pix 750KB  これのみby iPhone

2024年6月24日月曜日

竜ヶ崎線の貨物列車

曇天のある日の竜ヶ崎線。4号蒸機が盛んに活躍していた時代。
この5年前の1958年頃までは2軸客車を連結した客貨混合列車が走っていた。
フィルム代が高かった時代に私が5枚連続で撮ったのはとても珍しいことで、よほど感激したのか。

1965年12月 ディーゼル機関車DB11が入線し蒸機と交代
1971年4月 貨物営業廃止
1971年10月 4号蒸機廃車

撮影:1963.8.17


これに2軸客車を連結すれば素晴らしい客貨混合列車となる.






2024年6月12日水曜日

縦位置画像 ナロー3題

 縦位置画像はスマホや本には収まりが良いが、PCで見る時は使いにくい。


最終日の遠鉄奥山線  1964.10.31
浜松市郊外の住宅地に溶け込んでいた電化ナローの奥山線。最終日の列車にカメラを向けるのは地元の人くらい。1964(昭和39)年はまだ鉄道ファンが地方路線の最終日に殺到するよう時代ではなかった。


井笠鉄道  北川 1967.3.8
北川駅から矢掛線が出ていて本線と並ぶ光景が堂々としていた。大軽便らしいこんな光景もこの翌月には矢掛線が消えた。


越後交通栃尾線 下長岡 1975.3.8
1975年3月に廃線となった栃尾線の最後の時代。新車両工場が建ち古典客車牽引から総括制御編成の近代化ナローに脱皮していた。そんな努力も虚しく大量の車両が一網打尽に消えた悲しい栃尾線。

2024年6月3日月曜日

みすぼらしくて美しいもの

 つげ義春はひなびた所を好む傾向があり「みすぼらしくて美しいもの」に惹きつけられる性分らしい。「東京人」2024⑥ "つげ義春と東京"より

1960年代の日本には「みすぼらしくて美しいもの」が各所にあった。つげ義春はそういう土地を求めて旅をしたのだろう。

つげ義春31歳の時に小倉と熊本の女性に会いに九州へ蒸発の旅をしたのは1968(昭和43)年で、その時の熊本駅前はこんな風景であった。

私がこの時代の街並みを「みすぼらしくて美しいもの」に感じたのは撮影後40年程過ぎてからであった。


長いこと藤崎宮前とばかり思っていたが、この街並みは熊本駅前であった。寿司店、みやげ店.大衆食堂、駅前旅館等がならぶ1967年の熊本駅前通り.1967.3.6

晴れの日の熊本駅前 1967.3.6
熊本駅構内から立ち上る蒸機の煙.



雨の熊本駅前   1967.3.4


雨の熊本駅前.


こちらは堂々として美しい熊本駅の列車.