案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2019年3月23日土曜日

「竜鉄の歴史を探る」パネル展(第二回目)

「高校生が探究活動で取り組んだ‥」竜ヶ崎一高のプロジェクト「竜鉄の歴史を探る」。
昨年11月に引き続き、本日、パネル展示会が龍ヶ崎市で開催されました。

今回の会場は龍ヶ崎市歴史民俗資料館で小雨模様の寒い朝で訪問者は少ないだろうと予測したが、開場直後から大変な盛況で地元の方がいかに竜鉄に感心持っているかが伺えた。
冊子「竜鉄の歴史を探る」新訂版 茨城県立竜ヶ崎第一高等学校編集 が来場者に配布された。

地元高校生による地元小私鉄の歴史研究、展示会開催、冊子発行の活動は大変素晴らしい活動だと思う。指導された小野先生のお話しによると龍ヶ崎の町と鉄道に活気があった昭和30年代末までの懐かしき良き時代に地元市民の関心が高いそうである。

今回のパネル展ポスター→竜鉄の歴史を探る

熱心にパネルを見る地元の方々で大盛況であった 

前回の提示内容の各部を見直しプリントも鮮明となった。
レールの記録

新訂版冊子34頁「竜鉄の歴史を探る」

会場の 龍ヶ崎市歴史民俗資料館

歴史民俗資料館に保存されている竜鉄4号機

活動を進めてきた高校生達と記念写真

今日の竜ヶ崎駅

2019年3月20日水曜日

月山と三山線(1) リニューアル

山形から出ている国鉄の行き止まり非電化ローカル線から出ていた不思議な電化私鉄線、と先日コメントがありました山形交通三山線(1974年11月廃止)について、新たに画像リサイズしてリニューアル版とします。

3月18日にNHKBSで放送されたにっぽん百名山「月山」

1971年5月に二回目の訪問をした三山線について私鉄めぐりノートをたどってみました。
国鉄ローカル線左沢線の羽前高松から間沢まで国道112号に沿って走っていた三山線。

桜満開の左沢から果樹園を抜けて細い砂利道を下ると、山形から月山の梺を通り鶴岡へ抜ける国道112号に出る。この国道に沿って走る三山線は桃畑の向うに朝日連峰を望み、真っ白な月山に抱かれて走るような素晴らしい沿線風景があった。

朝日連峰を望む三山線の沿線

月山を背に桃畑を行く三山線 1971.5.3

三山線の終点間沢(西村山郡西川町)はバスターミナルとなっていて典型的な私鉄終着駅。志津から下って来たバスに月山春スキー客が数人いた。

国鉄ローカル線から更に小私鉄で繋がれたこの間沢は大変な奥地という印象を抱いていたのだが、山形市西方にある寒河江、羽前高松、間沢などは山形市と道路で結ばれ山形近郊の感じで開けた街であった。

間沢は鉄道交通だけ考えると大変な奥地だが、昔から六十里越街道沿いに点在する街として発展してきたのだろう。奥地は当てはまらず、ここ数年のクルマ普及で山形に出るのも便利、ここでも鉄道の時代は終わったを思い知らされた。

春夏スキーのメッカ月山へ向かスキー客が山形から左沢線、三山線と乗り継いで更に間沢からバスに乗り継いでいた時代は終わり、この頃は既にマイカーにスキー載せて月山へ向かう時代になっていた。「歓迎 月山夏スキー」のバス案内板は三山線良き時代の名残りか。 1971.5.3

ゴールデンウィークなのに客も少ない間沢駅ではホームが子供たちの遊び場に

モハ110形  貨物ホームにはマイカーが並ぶ

廃止3年前の静かな終着駅間沢に休むモハ107

最古参のモハ101

三山線によく似合っていたモハ106

2019年3月16日土曜日

西武新宿線の上井草駅

上井草 2008.4.30

西武新宿線 上井草~東伏見間の連続立体交差化計画で都市計画素案の説明会がありました。素案では地下化素案がなく高架化素案のみであり、都市計画素案→都市計画案となって、高架化が決まるのでしょう。

最も昔を残すこの上井草の地上駅も撮っておかねばと思いながら乗客に気を使い、中々気に入った写真が撮れません。私は夕方の逆光でホームの乗客を暗くして撮るのが好きです。

上井草 2008年5月

2019年3月6日水曜日

雄勝線名物あぐりこ駅のこと

昨日のコメント欄にありました「あぐりこ駅」のことを調べみました。

あぐりこ駅で朝の一番下り電車を待っている女の子達。アカ抜けたよそ行きの服装をした女の子達は朝早くどこへお出かけなのでしょうか。

あぐりこ駅で思い出したのが、鉄道模型趣味92号 昭和31年3月号の「電車訪ねて第53回」 にあったこの記事です。

雄勝線名物あぐりこ駅
当線が全国で長野駅に次ぐ神殿造りと自慢するのが此のあぐりこ駅です。朱色一色に塗られたお宮型の駅舎は、小さいながらも異色ある存在と云えるでしょう。
あぐりことは、当線沿線の雄勝郡三輪村地内にある稲荷神社に祭られた、幻の女狐 “阿久利子"から発した名称で、この “阿久利子"は、其のむかし、村に大いに尽くしたと云われております。部落の名と共に駅名もこれから生まれたわけです。以前の駅舎は普通の平屋の駅舎でしたが、突風によって崩壊し、その後、その名にちなんだ神殿造りにしたそうです。

年に二回、このあぐりこ稲荷神社のお祭りに集まる人々は、近くは福島・山形から遠く北海道に及び、その人出は3, 4万を数えるとか。この時こそ雄勝線の掻き入れ時なのでしょう。話して下さる西馬音内庫区長の工藤氏はニコニコ顔でした。  
                              以上
                      


        
当時から鉄道誌の地方私鉄といえば青木栄一氏流の車両調査の報告や紹介が主体でしたが、鉄道模型趣味誌の「電車をたずねて」や「海辺の小私鉄を訪ねる」などの実物記事では車両紹介だけでなく、ローカルカラー豊かなほのぼの記事で現地のイメージが目に浮かんだものです。

2019年3月4日月曜日

雄勝線 ポール電車から内燃動力へ

すばらしい雄勝線の写真をfacebookに連載投稿されたusuiさんからもう少しお借りしました。撮影は1971年8月7日で、1971年7月26日の電化→内燃動力化してから半月後になります。

ポール電車から気動車に入れ替わっても電化時代の施設がまだそのままです。これから西馬音内の駅舎や電車区、架線などの施設が徐々に破壊され、廃線に向かって悲惨な光景になっていったようです。

雄勝線の電車時代の風景そのままに気動車との組合わせが楽しめたほんの僅かの期間だったのでしょう。施設破壊前の気動車の雄勝線もポール電車とは一味違ってよきものです。

撮影:usui
 朝、気動車の先頭から見たすばらしい雄勝線風景。ポール電車時代に古典客車のオープンデッキから見た過ぎ去る風景そのままに残されています。う~ん 見とれてしまう1枚です。

 あぐりこ駅

貝沢駅

usuiさんの羽後交通雄勝線訪問記(1971年8月7日)
一番列車で西馬音内へ行く途中に撮影した写真です。三枚目は貝沢駅で停車中の写真です。どうして乗務員さんも外に出ていたのか記憶にありません。遠くを見ているようなので誰か乗る人を待っているのでしょうか?一枚目は朝なので農作業に出掛ける夫婦でしょう。鉄道に関係ありませんが線路際なのでアップしました。二枚目は子供達が待っている、あぐりこ駅に到着を湘南顔の大きな窓から撮影しました。

2019年2月27日水曜日

雄勝線 西馬音内の駅舎

私の写真集で使ったこの1枚の写真、最近のfacebookでも使ったのですが、西馬音内駅舎(1971年)を各方向からしっかり撮った方がいらしたのには驚きました。私は西馬音内電車区に目がくらみこの駅舎はオリパスペンで撮ったたったの1枚これだけでした。
こんな魅力的な駅舎を何故もっと撮らなかったのか、後悔しきりです。


西馬音内盆踊りも間もなくの8月のある日、お盆休みで西馬音内駅や雄勝線の列車が賑わっていた。夏休みで帰省した孫たち一家を祖父母が電車に乗って湯沢まで見送りに行くところでしょうか。改札口に見えるのは見送りにきた実家の人達か。 1964(昭和39).8.5

やがてやってきた湯沢行列車の賑わい。西馬音内

以下は7年後の電車→気動車化された直後の写真で撮影者に使用許可戴きました。
よくぞ撮ったものです、馬小屋風駅舎の全貌はこんなだったのですね~。

1971年夏の西馬音内の駅舎は電車時代と変わらずで7年前そのままのようです。
この時代はマイカーが普及しあの頃の賑わいはなかったことでしょう。
後に駅が湯沢側に移動し、その時にこの駅舎は消滅したようです。

撮影:Usui  1971.8.7
ボンネットバスが待つ懐かしい駅前風景。

地方私鉄で最も感銘を受けた駅舎です。

電車→気動車化されても電車時代そのままに残っていた。

あと10日ほどで西馬音内盆踊りが始まる待合室。私はこの待合室の風景を最も見たかった。
素晴らしい車両(この時は気動車)が走っていたからこそ、組写真にしてこの風景が引き立つ。


2019年2月22日金曜日

渋谷の井の頭線のりば

先日、世田谷美術館で見た田沼武能写真展「東京わが残像1948-1964」で最も惹きつけられたのがこの1枚であった。今や世界から観光客がやってくる注目の渋谷駅前も、戦後のこんな闇市風景から70年ほどで今の渋谷駅風景になった。

1948(昭和23)年の渋谷駅前。ハチ公広場の向こうラーメン屋の隣に井の頭線のりば入口が見える。田沼武能写真集「東京わが残像1948-1964」の1枚。
ハチ公の二代目は昭和23年9月に再建で、写真のハチ公はできたばかりということに。

井の頭線 渋谷駅の今昔

 元玉電渋谷駅と地下鉄銀座線の線路の上に渋谷マークシティが2000年オープンし、その脇に井の頭線の入り口がある2013年の風景。

田沼武能写真展で購入した写真集。

写真展のこと
先日は世田谷美術館で開催中(2/9~4/14)の田沼武能写真展「東京わが残像1948-1964」へ。美術館は駅から離れた広大な砧公園の一角にあった。
1950(昭25)年前後と1955(昭30)年前後の写真が多かった感じで、「子ども」「下町」「街の変貌」の視点でとらえている。この1950年代の戦後を引きずったインパクトある東京の風景は1960年代には薄れてしまった感じで、戦後復興のスピードが驚くばかり。

この衝撃的な1950年代の東京を幼少時の脳裏に残すのは昭和20年前後~昭和30年生まれあたり迄でしょう。

2019年2月18日月曜日

奥羽本線 糠ノ目駅

昭和41年3月、奥羽本線はまだ残雪の寒い初春であった。
地方私鉄の多くは国鉄線の接続駅から賑わいのある町まで人や荷物を運んでいた。
奥羽本線の糠ノ目駅の脇にあった殺風景な「のりば」から出ていた高畠線。
全国至るところにあったこんな国鉄線と地方私鉄の接続駅の風景。

撮影:1966.3.6
 奥羽本線のC57とDF50。 すっかり無視してしまったDF50が写っているのが珍しい。

奥羽本線の鈍行列車で北へ北へと向った。

「山形交通 高畠線のりば」の看板を掲げた模型のような糠ノ目駅にポツンと停車していた小型電車モハ1。 駅の周辺はどこまでも田園が続く。

こちらは西武所沢工場の再生車モハ4で美しい山交カラー(マルーンと桃色)に塗られていた。

入線直後でピッカピカのモハ4。   糠ノ目

沿線一の街高畠に到着すると客の殆どが下車する。小形電車モハ1は更に二井宿へ向かった。

高畠駅の楽しい風景。

峠の手前で線路が終わる二井宿に到着。

2019年2月9日土曜日

元三岐鉄道の気動車

鉄道ピクトリアル私鉄車両めぐりより
三岐鉄道に在籍していたキハ1~6を整理してみました。
佐久鉄道から来たキハ6のみが正面2枚窓だったのですね。
別府鉄道で活躍した2両は保存され、
この産業遺産の搭載エンジンについていろいろな説がある。

別府鉄道キハ3 別府港 1962年
両端バケット付で原型(佐久鉄道)とはイメージが異なっていた。あの高級真鍮モデルの発売でこれの原型(佐久鉄道)が一気に有名になった気がします。

津軽鉄道キハ2406  五所川原 1966年

津軽鉄道 キハ2404 1966年

正面2枚窓
佐久鉄道→国鉄→三岐鉄道キハ6→別府鉄道キハ3(1959年8月入線)→佐久市公園に保存

正面3枚窓
三岐鉄道キハ5→別府鉄道キハ2(Ⅱ代目)(1964年12月入線) 円長寺駅跡に保存
三岐鉄道キハ4 転出なし
三岐鉄道キハ3→津軽鉄道2404→上武鉄道キハ2400(殆ど稼働しなかった)
三岐鉄道キハ2→津軽鉄道2405
三岐鉄道キハ1→津軽鉄道2406

三岐鉄道とは関係ないですが、正面2枚窓気動車のクハ化は惚れ惚れします。

豊橋鉄道

南海貴志川線