案内文章
2026年6月15日月曜日
2026年6月13日土曜日
会津田島の秋
「会津田島の秋」 昭和46年11月
秋の休日、紅葉を求めて会津線のC11をよく撮りに出掛けたことがある。
当時のカラー写真は思うような発色にならず、そのまま長く眠っていた。
今回色調を整えてみると、鮮明なC11と紅葉、そして秋の空が現れた。
あの日の会津田島が、少しだけ戻って来た気がした。
(AIによるカラー画像の鮮明化)
2026年6月12日金曜日
矢掛線の雲と民家
北川から矢掛へ向かう列車を撮った1枚。
これまでのカラー画像では空と遠方に見える民家が生きて来なかった。
今回、AIで鮮明化したあと、Adobeで様々トーンを変えて仕上げてみた。
(AIによるカラー画像の鮮明化)
2026年6月10日水曜日
早春の陽光
草木が青々とした新芽を出し始めた両備地方に、やわらかな春の陽光が降りそそいでいた。この地方独特の家々の間を、小さな軽便鉄道が静かに通り過ぎてゆく。
暖かな陽気に包まれた午後、赤い気動車に牽かれた緑とクリームの客車は、この土地の日常の風景の一部だった。
(AIによるカラー画像の鮮明化)
色の調子が不満足だったカラー画像をAIで鮮明化してみると、死んだカラー画像が生きて来る。元画像がカラーなので車両のカラーはよくある暴走が無くて安心できる。ジオラマのような色あいから、渋い色合いまで何種類か生成画像を出して、その中の一枚を好みに仕上げてみた。
2026年6月7日日曜日
真夏の淡路 宇山駅
「真夏の淡路 宇山駅」淡路交通 1965年夏
洲本駅を発車した電車は民家の裏手をかすめるように走り、洲本川を渡り左へカーブするとほどなく宇山駅に到着した。
(AIカラー化画像) 以前、モノクロで取上げた宇山駅をカラーにしてみると、真夏の空に浮かぶ白い雲、乾いた駅前広場の暑さ、ゆっくり流れていた島の時間などが蘇って来る。夏の陽ざしも今ほど強くなかったあの夏の日はもうやって来ない。
2026年6月3日水曜日
里山風景
軽便鉄道の築堤の下に、一軒の民家がひっそりと建っている。庭先には洗濯物が干され、暖かい春の日差しを浴びていた。
当時、浜松郊外に自然豊かな里山があった。やがて各地で繰り広げられたのと同様に、丘陵は削られ、広大な宅地へと姿を変えていった。昭和30年代は、都市近郊にそんな里山がまだ息づいていた最後の時代だったかも知れない。
(AIカラー化画像)
昭和30年代のをカラーにしてみると、写真を見ているというより、あの時代の空気の中へ戻って行くような感覚になる。
2026年5月30日土曜日
2月終わりの庄内砂丘
丘に登り松林の向うに穏やかに開けた日本海を眺めると、早朝から撮り歩いて来た岩場が続く暗い日本海とは違って、優しい雰囲気を感じる海岸線だった。
モノクロ画像をカラーにしてみると、海辺の湿度感、砂丘、二月の終わり、小さな電車、曇天の海などの色が効いて、空腹を忘れ丘に登ったあの時のことがより鮮明になって来る。
2026年5月29日金曜日
築館線の残照
鉄道が動いていた時代のこと以上に、鉄道が消えた後の線路の風景には深さがある。
そんなことに気づいたのは、撮影したずっと後のことだった。
この写真は仙北鉄道 築館線の廃線跡。当時私は何の感慨もなくシャッターを押したのは「記録として残すだけ」の感覚だった。ところが後になって見ると、妙に心に残る。
2026年5月27日水曜日
「ディスカバード・ジャパン」 鉄道沿線に見るこの国の姿、今昔。
車で全国を巡りながら、十年を費やしてまとめ上げた「日本の今昔」。それは単なる鉄道写真集ではなく、この半世紀で地方がどれほど衰退し、風景が変わってしまったかを物語る記録であった。
一つの時代を見つめ続け、なお撮り続ける。その団塊世代の気力と執念に、ただただ敬服するばかりである。あの時の現場で何を想い、半世紀後の現場で何を想ったか、本を開くと惹き込まれる写真+エッセイの本。
2026年5月25日月曜日
京都市電 京大吉田寮
「京大吉田寮と市電」京都市電 1969年正月
記憶から消え行くあの時代の空気感。
電停近衛通の向こうに見える吉田寮。写真は学生寮の問題に端を発し京大全学的紛争へと発展する直前だった。この時に吉田寮生で2回生だった方からのコメントでそれが分かった。
これから大変な時代を迎える昭和44(1969)年正月の静かな風景であった。
先日のコメントから。
2026年5月20日水曜日
2026年5月19日火曜日
記憶にある色を求めて 能登線
1962年夏、何がいるのか行ってみないと分らなかった能登線。分かっていたのは時刻表の情報だけ。能登線のカラーリングの根拠はノートにあったメモによる。福島交通軌道線、沼尻と同様に窓下が微妙な青緑カラーで、正に昭和30年代らしいカラーリングであった。この後すぐに北陸鉄道の赤系カラーに変更され、能登線と言えば北陸鉄道の赤系カラーが有名になった。
(生成AIカラー化画像)

2026年5月16日土曜日
記憶にある色を求めて 法勝寺電鉄
屋根の色は記憶になくヒギンズさん写真集を参考にした。ChatGPT Plusが数種類出力した画像の一つを基準とし、記憶にある色に近いイメージになるまで調整したものの、青みが未だ完成していない。
2026年5月11日月曜日
さいわい橋
雪の川を渡る電車は、
年の瀬の光の中を走っていた。
山は遠く霞み、
木橋の匂いまで
冷たい風に混ざっていた。
使い物にならなかった不鮮明なハーフ判カラー画像がAIで蘇った。
福島では「記憶にある色を求めて」の車体カラーの検証ではなく、あの時の清々しい空気感を優先したので、車体カラーが濃くなっています。
(不鮮明なハーフ判カラー画像をAIで鮮明化)
2026年5月8日金曜日
オリンパスペンで撮ったカラー画像が蘇る
1967.3.3
今回の調整は
・海を少し淡くしたこと
・彩度を抑えたこと
・コントラストを自分で追い込んだこと
この調整が昭和40年前後の島原らしい冬〜春先の空気感に効いたようだ。
小さなハーフ判画像の不鮮明な情報から、AIは“存在しないものを勝手に作る”だけではなく、カラー画像の鮮明化では、カラー画像の中に埋もれていた微細な色調や形を拾い直して「当時の記憶に近い形」で再構成していると思われる。
昔のハーフサイズ・ネガの画像は粒子も粗く、情報量も少ない。しかし逆にその曖昧さが「記憶の風景」と非常に相性が良いのかもしれない。
2026年5月6日水曜日
夕暮れ時の尾道
「夕暮れ時の尾道」 尾道鉄道 1962年夏
山陽本線尾道駅のホームが帰宅客で賑わいはじめた夕方、駅の地下道を進むと、背後に山が迫る狭い一角に「尾道鉄道のりば」があり、小さな2面のホームに電車や客車が休んでいた。
(生成AIカラー化画像)
2026年5月3日日曜日
学校前の急カーブ
「学校前の急カーブ」松本電鉄 浅間線 1963年7月
砂利道の併用軌道を、埃を巻き上げながら木造電車がやって来る。
十分に速度を落とし、急カーブに差しかかると、
ギィギィと音を立てながら直角に曲がって、松本駅前へ向かっていった。
使ってきた生成AIは、ChatGPTの有料プランPlusです。
今回、私の記憶にある車体色で浅間線が定まってきたので、昭和30年代の沼尻、尾小屋、能登線などの車両カラーを更に詰めて行こうと考えています。
2026年4月29日水曜日
記憶にある色を求めて 尾小屋DC121
その一つ尾小屋DC121が赤系になる前の1962年に見た曖昧な色を、記憶とノートのメモを元にAIカラー化してみた。当時の色は紙媒体があったとしても仕上りにバラツキがあり正確な色の記録は無く、見た人各人の記憶にあるのみ。
FBに投稿したカラー化DC121を更に仕上げたのが今回です。
2026年4月26日日曜日
記憶にある色を求めて 北陸鉄道能登線
1962(昭和37)の北陸鉄道能登線も昭和30年代らしいカラーリングで、北陸鉄道の標準色(クリーム/朱色)になる以前は、こんな昭和30年代らしい色であった記憶がある。決して朱色の能登線ではなかった。
記憶の裏付けとなるカラー情報はネットや書物に見つからず、やっと見つけた訪問ノートのメモが裏付けとなった。窓下が北陸鉄道の朱色ではなく微妙なブルーであるのは間違いなかった。
窓下のブルーをもっと明るい水色に指定して再度AIカラー化をやってみた。
AIは昭和37年の能登線のカラーを知らない(ネットにカラー情報がない)ので何種類もブルーを試してみて、その中の1点を自分でトーン調整したのがこの1枚になった。ブルーをもう少し濃くしたいがAIは窓上クリームまで濃くしてしまうのでそれは無理であった。記憶に近い色の見本が無くて能登線も厄介な色ブルーであった。
2026年4月25日土曜日
記憶にある色を求めて 常総筑波鉄道筑波線
1962(昭37)年の筑波線のカラーリングは、正に昭和30年代らしい色だったが、奇妙な色ではなくオーソドックスなツートンだった。窓下が少し明るめの紺色で、決して派手さは無かった。
#9999さん、ご指摘ありがとうございます。
側面にある常総筑波の複雑な社章、AIでは読みとれず消しました。
撮影:1962.3.31














.jpg)




.jpg)

.jpg)
.png)


.jpg)

