案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2024年5月21日火曜日

地方に懸命に生きた小鉄道と賑わいがあった時代。

 
今回「地方私鉄 失われた情景」を出版してネットやメールでいろいろ感想を頂戴しました。その中で同じ機芸出版社から出版された有名な「鉄道風景30題」の著者 河田耕一さんがFBに投稿されたコメントの一部を紹介させてもらいます。

「写真に出てくる人たちの生活は鉄道によっていました。それは懐かしい風景であり、商店街、映画館、琺瑯看板助産院食堂があり、子どもたちがお出かけ服装で乗っています。鉄道も苦しい経営ながら、他の鉄道が不要になった車両を譲り受け、ぼろぼろになるまで使っています」との記述。

河田さんのコメントで、私はあの時代のまるでジオラマのような情景は、懸命に生き延びてきた小鉄道と人々の賑わいある生活から、あの時代の社会の縮図であるのに気付きました。
払い下げ車両を自社工場で改造するのは栃尾線、貴志川線、野上電鉄、淡路交通などで盛んでに行われていて懸命に生き延びてきた小鉄道の車両が目に浮かびます。

あの時代の写真やジオラマの情景の魅力とは何か? 一般の人々にとっては単なる懐かしい昭和の風景に過ぎないが、地方私鉄ファンはとってはあの時代の車両、鉄道施設、家並み、人々、沿線風景などの情景に今の鉄道にはない味わい深いものを感じられると思います。


越後交通栃尾線 長岡工場内で改装中の元草軽客車。1964.3.22
1967年11月に車庫・車両工場が下長岡に移転するまで、このような車両工場で次から次と奇怪な車両が生まれて来た。まるで縮尺1/1の模型のような電車もあった。
栃尾線の吊り掛け式モハ217の1M3T編成で、元草軽の電車をサハに改造し総括制御編成に組みこんだ栃尾線近代化の時代。1975.03.08


 貴志川線 伊太祁曽の小さな車両工場.  1965.8.4
庫内に休むモハ202と奥には改装中の小型電車らしき2両が見える。ここでもガソリンカーの電車化改造を数々やってきた。
貴志川線 朝の通勤・通学列車. 東和歌山 (モハ201+クハ803+モハ202)
ドアを開け放した夏の通勤・通学列車は満員で東和歌山に到着する.元ガソリンカーだった電車の3両編成はとびきり魅力的であった。これら車両の魅力だけで情景となる。


野上電鉄 日方工場.1965.8.4
数々のガソリンカーの電車化は見事でその後、関西大手私鉄の払下げ車をネタに手持ち中古部品を組合わせて多くの野上仕様に仕上げてきた日方車庫。

野上電鉄 関西大手私鉄の払い下げ車が勢ぞろい。


淡路交通 宇山工場. 1965.8.2
様々な電車化や自社開発を手がけて来た淡路交通の車両工場。南海払下げ車の車体交換の他は殆どの車両がカソリンカーの改造に次ぐ改造の電車であった。

淡路交通 通勤客を乗せて洲本へ向かう準急モハ2007
どの電車もガソリンカーの改造車で、モハ2007は2台の強力モータを床下にぶら下げて気動車用菱枠型台車にプロペラシャフトで駆動する直角カルダン駆動方式。

2024年5月20日月曜日

東武のSL

東武スペーシアXとSL大樹に乗る旅。


浅草駅のスペーシアX

定員4人のコンバートメント


下今市でSL大樹に乗車する前にSL展示館をはじめて見学してみました。

展示館に展示されたピーコック58とC112の銘板を見て、
10年前頃に弊ブログに掲載した現役ピーコック58と、廃車C112を思い出した。

業平橋で活躍するピーコック58 撮影:田辺多知夫氏 1963.09.25

東武が自社発注したC112  業平橋 1963.11.24


SL大樹とスペーシアX.鬼怒川温泉 2024.5.19


鬼怒川温泉駅で見たSL大樹とギャラリー。
今の時代のSLショーは活況で嬉しいが、かつてのローカル線ターンテーブル風景とは全く違う世界。これが当たり前の時代だが昔のような写欲は湧いてこない。


2024年5月12日日曜日

仙台鉄道

仙台鉄道の1枚の写真から気動車キハ3の前身が分った。


仙台鉄道の蒸機時代に使われた客車.ドア間の窓が10枚.  所蔵:安達克


キハ3 昭和3年丸山車両製の木造客車を、戦後 協三工業にて気動車に改造され最後まで活躍した.ドア間の窓は8枚で窓計10枚の車体長(バケット除く)は客車と同一のよう。

キハ3 片側がバケットで反対側はデッキのみ.アーチバー風の台車を履いた元客車のキハは、頚城の元客車ホジと同様。客車を動力化したせいか車輪径が小さい。

2024年5月10日金曜日

楽天市場 鉄道図書のランキング

楽天の通販 鉄道ランキング(週間)です。
5月8日 更新 4月29日~5月5日 第1位
5月15日更新5月6日~5月12日 第4位


2024年5月7日火曜日

表紙 有田鉄道のこと

表紙の情景は有田鉄道で全線5.8kmの小さな路線。

国鉄紀勢本線藤並駅のホームに降り立つとそこに有田鉄道の粗末な出札小屋と簡易な乗換改札口があった。改札口の先に停車していた有田鉄道キハ210はよく見かける元国鉄42000形の顔で、赤ん坊を背負った乗換客などが乗車すると金屋口へ向け発車して行った。
藤並 1964年夏


藤並を発車したキハ210は有田川沿いのミカン畑の中を15分ほど走ると有田川上流にある終着駅金屋口に到着した。駅の脇には木材が雑然と積まれ殺伐とした風景であった。1964.7.9


キハ210に乗って着いた金屋口は御坊臨港鉄道と同様で木材だらけ.
有田川上流が木材産地で御坊臨港の終点日高川とよく似ている.

こんな機関車がいた.DB10
昭和29年森製作所製でこれも蒸機の足回りを利用したディーゼル機.


殺伐とした終着駅金屋口の全景.


有田川が流れる金屋町の玄関 金屋口駅.
駅前から見ると立派な
終着駅であった。

2024年4月29日月曜日

奥山~気賀口間の部分廃線

遠州鉄道奥山線の春爛漫の奥山駅をRM LIBRARY 第10巻に掲載したのは2000年5月でした。1963年4月30日に部分廃線となった奥山~気賀口間。これまで奥山駅は写真集でも取り上げてきたので今回の情景集には掲載されていません。秋までにこの廃線区間と奥山駅にまつわる話を纏めようと思っています。



春爛漫の奥山駅はまさにジオラマ的な情景であったRM LIBRARY 第10巻

以下は1点除きハーフサイズカメラで撮った情景

気賀口から奥山へ続く線路.どの駅にも人影がない.



桜満開の奥山駅 1963.4.4

ハーフサイズカメラの広角42(35mm判カメラ換算)mmレンズで撮った写真.
味わい深い駅舎、桜の木、子供達、自転車、貼紙など全体の小道具の集積でジオラマ的な情景となる.


望遠アップで「おくやま駅の風景」を撮るとこんな感じになるのでしょう.
写真に訴求力がアップするが部分的な情景となる.


発車まで20分程のひと時.


駅の脇に川が流れ周辺は桜が満開だった.


気賀口駅風景.
前方を右手にカーブする線路が奥山まで伸びていた1963年の4月。

2024年4月24日水曜日

能登の思い出

1972年と1962年の能登 


内浦

奥能登観光全盛時代の国鉄能登線を行く
奥能登号.1972年秋


以下は北陸鉄道能登線 1962年夏

美しい松林を行く列車.
左手の小さな半島の向こうに柴垣海水浴場がある.滝-柴垣


国鉄七尾線に接続する羽咋駅.
能登線の奇妙な車両があちこちにいた時代.


小型ボギートレーラ.  コハフ3001


朝の能登線羽咋駅構内.
背後にC58の煙がたなびく.

七尾線のC58



2024年4月17日水曜日

発売されました「地方私鉄 失われた情景」

「地方私鉄 失われた情景」が出来上がりました。
4月20日発売ですが、それに先立ち書泉グランデなどでは店頭に並びました。

1960年代の情景は今やそのほとんどが失われ写真や動画やジオラマでしか感じられなくなってしまった。当時の写真を見ると私は郷愁というよりジオラマが目に浮かび、看板、服装、家並みなどがまるでジオラマの小道具のように思えてしまう。そこには無機質ではないあの時代の空気感が漂っている。それが感じられるようになったのは60年の歳月で変化して来た社会のせいなのでしょう。



磐梯山麓のドロ軌道 沼尻鉄道.


横須賀街道沿いを行く 静岡鉄道駿遠線.


良き時代の井笠鉄道 大井村.


漁港がすぐそば 滝駅 北陸鉄道能登線.

昭和27年10月1日現在 客貨事務用鉄道線路図(日本国有鉄道営業局)
全国路線図で青色が地方私鉄で駅名も入っています。



2024年4月11日木曜日

西武国分寺線

2年前の今日4月11日。
緑が撮りたくなって、久しぶりに国分寺線 鷹の台へ。
新緑の玉川上水を歩いてみた。

2022.4.11




玉川上水

野に咲く花