300年の歴史がある「島原手延べ素麺」が生まれた土地は島原半島南部の西有家町須川。
古い線路図で見ると2008年に島原鉄道の部分廃線で消えた島原外港(現:島原港)~加津佐間に西有家の駅があった。その先が島原の乱の原城遺構がある南有馬。有明海の向こうは天草。
世界遺産の南島原を海沿いに走っていた島原鉄道の廃線区間。どんなに素晴らしい南島原の鉄道風景だったことだろうか。
案内文章
高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった。
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
を回想してみました。
2024年7月23日火曜日
島原鉄道
撮影:1967.3.3
島原の街.
2024年7月18日木曜日
2024年7月17日水曜日
4年前の思い出 TMS連載記事(鉾田線)
facebookでは数年前の今日が思い出として現われる。
今日は4年前2020年7月17日にfacebookに投稿した記事が現れてあの頃が思い出された。
TMS誌2020年8月号に掲載した鉾田線の原稿に取り組んでいた2020年5月は、東京の非常事態宣言が解除されて少し出歩けるようになった頃。月刊誌連載が3年も続けられたのはコロナ禍の外出制限のせいだったかも知れない。
TMS誌2020年8月号に掲載した鉾田線の原稿に取り組んでいた2020年5月は、東京の非常事態宣言が解除されて少し出歩けるようになった頃。月刊誌連載が3年も続けられたのはコロナ禍の外出制限のせいだったかも知れない。
2024年7月6日土曜日
竜ヶ崎線の客車
2024年7月2日火曜日
銚子電鉄の元京王5000系
先日の銚子で活躍していた元京王5000系は、そう言えば京王線に初代5000系デビューした時に試乗したのが1963年8月であった。あれから60年、京王線から伊予鉄道へそして銚子電鉄へと今も稼働しているのが凄い。
1963年8月4日の京王線600V→1500V昇圧化を機に運転開始された特急初代5000系.
デビューした4両固定編成の5000系と2両固定編成の5070系があり、試乗して高幡不動に向かったのは8月11日であった.この2両固定の5070系がその後地方へ転出した。
![](https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjQ0lBcH8sDVdmL8D7UgOYeGYlOW5CrcLEe1I55pU-2177wnPihE2pSMrJBad0JqaqYejG1mX9Y9v75Hm_22EThTUTdmjRfvSEUNRzg-LS-1njfxoceCiylyBLGl4_lalFoE5zFXaOudnMCdfPZSJ_bb2QCkIu2lKnqvJst-LHLYU2847zneJs1Aw3lv4TD/w640-h410/1-035_018.jpg)
京王線に初代5000系がデビュー、写真は4両固定編成の5000系.高幡不動 1963.08.11
旧型車2連と組んだ2両固定の5070系、この5070系が伊予鉄道に譲渡され更に銚子電鉄へやってきた。高幡不動 1963.08.11
京王線にアイボリーカラー初代5000系がデビューした1963年夏の同じ頃、銚子電鉄にこんなのどかな風景があって、今もあの時代ののどかさは変わっていない。
君ヶ浜の先で左に灯台を見て外川へ向かう電車.1963.6.30
2024年6月29日土曜日
本銚子駅
銚子電鉄 本銚子駅前後の線路は今や緑のトンネル状態で日中は駅に人がいなかった。かつての線路には緑はそれほどなくて駅には人がいた。60年の歳月で木々が成長し緑がこれほどまでに成長するのは銚子電鉄だけではなく各地で起きているのでしょう。
2024年6月27日木曜日
60年ぶりの銚子電鉄
数年ぶりにミラーレスカメラを取り出して60年ぶりの銚子電鉄に行ってきました。
滅多に使わないミラーレスはスマホと違って後の画像処理が大変でテストの繰り返しです。
撮影:2024.6.25 Sony40mm 単焦点レンズ
背後の醤油工場と仲ノ町車庫. 2000pix 1.2MB
今年3月にデビューした55才の元南海.1280pix 520KB
2024年6月24日月曜日
竜ヶ崎線の貨物列車
曇天のある日の竜ヶ崎線。4号蒸機が盛んに活躍していた時代。
この5年前の1958年頃までは2軸客車を連結した客貨混合列車が走っていた。
フィルム代が高かった時代に私が5枚連続で撮ったのはとても珍しいことで、よほど感激したのか。
1965年12月 ディーゼル機関車DB11が入線し蒸機と交代
1971年4月 貨物営業廃止
1971年10月 4号蒸機廃車
撮影:1963.8.17
2024年6月12日水曜日
縦位置画像 ナロー3題
2024年6月3日月曜日
みすぼらしくて美しいもの
つげ義春はひなびた所を好む傾向があり「みすぼらしくて美しいもの」に惹きつけられる性分らしい。「東京人」2024⑥ "つげ義春と東京"より
1960年代の日本には「みすぼらしくて美しいもの」が各所にあった。つげ義春はそういう土地を求めて旅をしたのだろう。
つげ義春31歳の時に小倉と熊本の女性に会いに九州へ蒸発の旅をしたのは1968(昭和43)年で、その時の熊本駅前はこんな風景であった。
私がこの時代の街並みを「みすぼらしくて美しいもの」に感じたのは撮影後40年程過ぎてからであった。
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