案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2015年3月30日月曜日

西武新宿線 桜のシーズン

西武新宿線で立体化が進められる中井~東伏見間で桜名所といえば石神井川沿いと中野通りの踏切。いずれは消える新宿線と桜の風景を今年もまた撮ってみました。

石神井川沿いは毎年毎年飽きずに撮っていますが、いろいろ撮っても結局はこのありきたりの場所に落ち着いてしまう。

今日は満開、いずれ消えゆく石神井川沿いの新宿線風景.武蔵関 - 東伏見 2015.03.30
この電車が来ると顔が最悪、しかし好みが来るまで踏切で待ち続ける気力もなし.

そういえばスマイル電車が桜シーズンに試運転デビューしてから
早いもので7年が過ぎる.2008.04.04


楽しい地上駅 新井薬師前駅 2015.03.29


中野通りの踏切. 沼袋 - 新井薬師前
中野通りは中野方面に向かう桜見物の人々が続く.

新井薬師梅照院の桜.
この日はあいにくの曇天であったが日曜日で賑わっていた.

2015年3月28日土曜日

遠州鉄道二俣線 真っ赤な気動車(続1)

遠鉄二俣線のキハ801と803の写真は既にブログで紹介済みで、キハ802の写真を探してみたのですが見つかりませんでした。
そこで気動車が活躍していた当時の西ヶ崎車庫その他の画像、そして青蛙さんが撮った真っ赤な気動車の貴重なカラー写真を拝借しアップしてみました。


遠鉄二俣線キハ803 西鹿島 1964.03.25  撮影:青蛙さん
左手向こうに見えるホームが国鉄二俣線でしょう.

 モハ2とキハ801 西ヶ崎車庫 1964.03.25


モハ2

まだ珍しかった女性車掌 西ヶ崎駅

 モハ32

 モワ201
モワ202

遠州鉄道の二俣線と奥山線が接近する遠鉄浜松駅

遠鉄奥山線 遠鉄浜松

2015年3月26日木曜日

西武新宿線 上石神井駅

西武新宿線の立体化で消えゆく上石神井の地上駅、そして立体化された池袋線石神井公園の高架駅、対照的な二つの駅をたまたま通ったので駅風景の一端を比較してみました。

池袋線石神井公園駅がなんと立派で巨大な駅になったことか。
もし自分が使っている駅がこうなったら寂しいものです。
時代の流れとは言え、便利と引き換えにそれまでの心地よさは失われるでしょう。

間もなく武蔵関~東伏見間の石神井川沿いの桜が満開になります。
新宿線の立体化でこの桜名所も一体どういうことになるのでしょうか。


昔ながらの新宿線上石神井の地上駅  2015.03.26

街と駅が一体化した地上駅

商店街の先に電車と駅が見えるいつも撮る風景

こちらは池袋線で立体化が完成した石神井公園駅

これが西武標準モデルなんでしょうか? 立派になった石神井公園駅

2015年3月18日水曜日

栃尾線の垂直カルダンドライブ車

鳥羽の神鋼電機で開発された垂直カルダンドライブが越後の軽便 越後交通栃尾線に採用されたことは前回紹介した通りです。

昭和32~41年にかけて東洋工機で新造されたモハ211~217の6両は軽便サイズながら近代的スタイルが魅力で、特にブドウ色からツートンカラー(西武カラー)になった総括制御編成の時代が華だったでしょう。ところがその直後に廃線を迎え解体全滅してしまい誠に不運な電車でした。

この東洋工機製新造6両の中に4両の垂直カルダン車が含まれていたのは下記の通りです。

モハ212 昭和32年 東洋工機製 垂直カルダン 電動機1ヶ/1台車 廃線まで活躍
モハ213 昭和36年 東洋工機製 垂直カルダン 電動機1ヶ/1台車 昭和48年廃車
モハ214 昭和36年 東洋工機製 垂直カルダン 電動機1ヶ/1台車 昭和48年廃車
モハ215 昭和39年 東洋工機製 垂直カルダン 電動機1ヶ/1台車 廃線まで活躍

モハ216 昭和39年 東洋工機製 吊り掛け式  電動機2ヶ/1台車 廃線まで活躍
モハ217 昭和41年 東洋工機製 吊り掛け式  電動機2ヶ/1台車 廃線まで活躍

ちなみに大きさを比較してみるとモハ215はこんなに可愛い.

旧型客車牽引時代の垂直カルダンドライブ車 モハ213. 1964.03.22
1973年に廃車

旧型客車牽引時代の垂直カルダンドライブ車 モハ214. 1964.03.22
1973年に廃車


廃線間近のモハ205+モハ212+モハ215の編成. 1975.03.08
垂直カルダンドライブは212と215だが215は電装解除?された.

4両の垂直カルダン車で唯一残ったモハ212. 1975.03.08
パンタが外された(なとさんご指摘) 垂直カルダン車モハ215

廃線間近のモハ205+モハ212+モハ215の編成. 1975.03.08

こちらは吊り掛け式モハ217の1M3T編成. 1975.03.08

末期は吊り掛け式モハ216と217の2編成が主役だった. 1975.03.08

栃尾線に入線した東洋工機製新造車で垂直カルダンドライブ装置が1975(昭50)年の廃線まで活躍したのは最古参のモハ212の1両のみであった。

この垂直カルダンドライブがメンテナンス面でいかに手こずったかは下図の構造を見ると想像できる。カルダンドライブのバネ下荷重低減のメリットよりもメンテナンス上のデメリットばかりだったのでしょう。
幅狭の軽便台車に平行カルダンでは収まらないモータを縦置きにして無理やり垂直カルダンとしたようで、なぜカルダンドライブに拘ったのか?  軽便の速度であればシンプルに吊り掛け式で十分であったのでは。

まだギヤ精度も十分でなかった時代に、パワートレインにこれだけギヤを配置すれば、ギヤ騒音(唸り音)もかなりあったのでは? 神鋼電機がチャレンジした垂直カルダンの実用化は次々と消えて行き1975年の栃尾を最後に途絶えてしまった。

図は三重交通志摩線 5401号のもの

この解説図は同志社大学鉄研OB会「デジタル青信号」に掲載されたもので、投稿者の沖中様に借用許可をいただきました。図の提供は堀幸夫様で原本は神鋼電機のパンフレットだそうです。


参考 「消えた轍」ローカル私鉄廃線跡探訪3 寺田裕一著 ネコ・パブリッシング発行

2015年3月16日月曜日

遠州鉄道二俣線 真っ赤な気動車のその後

先日、遠州鉄道二俣線の元国鉄41000形真っ赤な気動車の話題が出たところで、その内の1両がさいたま鉄道博物館にやって来るまでの数奇な経歴を写真でたどってみました。


遠州鉄道にいた3両の赤い気動車のその後

・国鉄キハ41305→遠鉄二俣線キハ801→1967年 北陸鉄道能登線キハ5212→筑波鉄道キハ462(1981年廃車)

★国鉄キハ41307遠鉄二俣線キハ802→1967年 北陸鉄道能登線キハ5211→筑波鉄道キハ461(1985年廃車)→さくら交通公園保存→2007年鉄道博物館 国鉄キハ41307に復元

・国鉄キハ41300→遠鉄二俣線キハ803→1967年 北陸鉄道能登線キハ5213


遠州鉄道の真っ赤な気動車キハ801 1964.03.25
キハ802と同形のキハ801と803.

遠州鉄道で初めて見た真っ赤な気動車キハ803 遠鉄浜松 1963.04.04

 国鉄二俣線へ乗入れていた遠州鉄道キハ803 西鹿島 1964.03.25

 北陸鉄道能登線キハ5201(元国鉄41000形)  1962.08.02
この写真の5年後に遠州鉄道の気動車キハ802、801が入線し、その時もこんな風景を走っていたのでしょう.

筑波鉄道で元遠鉄キハがまだ活躍していた頃  1978.11.05
元遠鉄の真っ赤な気動車2両は北陸鉄道を経て筑波鉄道へ入線した.

廃線間近の筑波鉄道キハ461(1985年廃車)  1987.03.14
元遠鉄のキハ802は北陸鉄道を経て筑波キハ461となり今は鉄道博物館に保存.

さいたま鉄道博物館のキハ41307  2007.10.14
国鉄キハ41307は遠州鉄道、北陸鉄道、筑波鉄道を経て元の国鉄キハ41307に復元された。
これを見学した時に遠鉄の真っ赤な気動車の数奇な経歴を知っていれば感無量であっただろう。改めてさいたまへ見学に行ってみたい。


参考 「消えた轍」ローカル私鉄廃線跡探訪3 寺田裕一著 ネコ・パブリッシング発行

2015年3月15日日曜日

良い季節になってきました

あとひと月ぐらいでこんな季節がやってくるのが楽しみです。
長いことご無沙汰しました。


西武新宿線 N101系前パン車