写真を並べてみると、初台通りの商店街の道幅や、踏切遮断機といまの横断歩道の位置関係などほぼ符合しているそうで、オリジナル初台駅は相対式二面二線のはずで地下化工事期間中は写真で推測がつくように島式一面二線の仮ホームだったそうです。
水路上?に仮線された初台駅の下り線 1963.7.31.
1963年4月に新宿駅地下化が開業したが、新宿~初台はまだ地下化工事中で新宿~初台の地下化完成はこの1年後1964年6月7日であった。
初台駅の今と(昔).撮影:杉田様
ミタニビルそば屋(コクヨ店)、横断歩道(踏切)、初台通り、遊歩道(京王線下り線)
京王線初台駅があったところの現在. Google Earth
京王新線の開通により地下京王線の初台駅は使われなくなり、京王新線に初台駅が設けられた。
ところで、この区間の地下化工事について鉄道ピクトリアル誌「京王電鉄1950~1960」によれば、用地買収を少なくする目的で旧玉川上水路用地と京王帝都用地だけを充当した工事で、地下京王線の工事工程順の図解がありました。
旧玉川上水路用地の上に仮線敷設したのが写真↓でこの後、仮線へ移動し本線の下に地下線を設けた。
文化服装学院辺りまで水路の脇を走るカーブが多い区間.1963年4月
甲州街道から文化服装学院の脇を走ると水路がある区間に入る.1963年4月






4 件のコメント:
いや~Cedarが東京で写真撮れずに未だに悔しかったのは地上時代の京王線新宿付近、地下化したころは小学生でカメラもまだ待ってなかった。
Cedarさん
現在の甲州街道の風景から54年前に京王中型車が5連で甲州街道をゴロゴロ走っていたことが信じられません。
私は新宿地上駅はなんとか間に合ったものの残念ながら1枚も撮っていません。
オンボロな仮設駅に全く関心が向かなかったせいでしょう。
惜しい事をしました。
こんばんは。
今の甲州街道や新宿南口・西口の風景からは全く想像がつきません。きっと新宿という街自体も別物のように変わっているのだろうと思います。
新宿を出て暫くの間のカーブの多い地下線は、玉川上水に沿った地上線をトレースしたものなのですね。
子供の頃から京王線には慣れ親しんでいましたが、高架化工事も始まり、記憶の世界からどんどん離れていくような寂しさも感じます。
風旅記さん
いつもコメントありがとうございます。
今、思うと京王線のこの区間は劇的に変貌しましたね。こんな昔の時代を知る人もいなくなり、旧線の痕跡もどんどん消えて行くことでしょう。更なる大きな変貌の時代がやって来るようです。
鉄道誌などに残された詳細な記録もどんな形で後世に残されるのか、忘れ去られるのか全く分かりませんね。
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