案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2014年1月31日金曜日

朝の熊本市電

出張で泊まったホテルを朝食前に飛び出して撮ったのが熊本市電であった。

朝のラッシュ時間帯で次々とやってくる市電と通勤客、朝の散歩をする人、掃除をする人、

どんな車両になろうとも車両のことは二の次で今ある鉄道風景の楽しさを気付かせてくれた場面であった。


通町筋停留場 2007.03.13

2014年1月30日木曜日

下北沢 消えた地上駅

昨年3月22日を最後に地下に潜った下北沢駅。あれから10ヶ月、地下駅になって初めて下車してみると、あの下北沢駅風景と思い出がきれいサッパリ消失していた。地上駅の跡は一体どんな風景になるのか判らないが一つの時代が終わった。

井の頭線ガード下から踏切にかけて地上駅の跡  2014.01.28

元踏切の道路に人の賑わいがなくなった

井の頭線ガード下の小田急ホームと、脚橋と脚橋の隙間にあった空中廊下が消えた抜け殻

2009.02.20

2014年1月26日日曜日

通りすがりの十和田観光電鉄

現役時代には出張のついでに地方私鉄に立寄ることはいくらでも出来たのに無関心で立寄ることなんて考えもしなかった。鉄道を撮る意識が全くなかったそんな時代に立寄った数少ない路線の一つに十和田観光電鉄があった。
11年前の2002年12月、ちょうど東北新幹線が盛岡~八戸間が開業した直後で、あっという間に東北本線?三沢駅に着くことができた。十和田観光電鉄三沢駅に入るとそこには元東急ステンレス車が停車していてがっかりし、すぐ引き返してしまったが今思えば終点まで往復して廃線前の路線をしっかり撮っておくべきであった。

十和田観光電鉄三沢駅 2002.12.06

ローカル私鉄ムードが漂う三沢駅待合室

十和田観光三沢駅・電車バスのりば

十和田市行き電車 三沢 2002.12.06

    2002年12月1日の東北新幹線盛岡駅-八戸駅間延伸開業と同時にデビューした「はやて」
と開業直後の八戸駅. 2002.12.06

新幹線八戸駅開業直後の賑わい
在来線乗換えの表示には「東北本線、八戸線、青い森鉄道線のりかえ口」とある

在来線ホームに降りてみると
左にJR八戸線  中央にいわて銀河鉄道 右にJR東北本線?特急が並ぶ

 どれが青い森鉄道線でどれが東北本線なのか??
更にいわて銀河鉄道が??
一体どれに乗ればよいやら ややこしい事になってしまった.

東北本線特急? と いわて銀河鉄道
JR在来線のことはさっぱり判らず東北本線特急なのか?
JR音痴の私には今でもよく分かりません。


2014年1月23日木曜日

昭和37年の旅 尾道から敦賀、黒井へ

昭和37年の旅の東京発東京行き片道一筆書き切符1720円(学割)が行方不明で、これが出てきたら切符を添えてどんなルートをたどったのか全行程を纏めてみたいと思います。今までアップしてきた金沢、富山、黒井、尾道はその断片です。旅の日誌が下津井電鉄で途切れているため、残されていた移動ルートと出費のメモから尾道~敦賀~黒井までの旅をたどってみました。

7月30日。夕方に尾道に到着し尾道鉄道を撮って尾道駅前で夕食90円をとる。
山陽本線で尾道発20:26に乗り広島着22:59。広島発23:55の準急ちどり(車中泊)で米子へ向かう。

7月31日。朝6:12に米子に到着し日の丸自動車法勝寺線を撮って、米子発8:07の山陰本線大阪行鈍行に乗り加悦鉄道を目指す。朝昼兼用で山陰線の駅弁(昼)100円を奮発。
豊岡で宮津線に乗換え丹後山田に14:15到着。加悦鉄道を加悦まで往復し丹後山田発17時の臨時京都行きで西舞鶴へ。西舞鶴で小浜線に乗換え敦賀に21:15到着。駅前のたまご丼70円がこの日の夕食。敦賀駅前旅館(素泊まり450円)泊。

8月1日。敦賀朝7:47発の直江津行きに乗り小松に11:20到着、北鉄小松線を撮って尾小屋鉄道を往復し小松発16:58で金沢に17:52到着。夕食はカレーライス90円で金沢駅前の大丸旅館(素泊まり500円)泊。

8月2日。金沢朝6:35発の七尾行きに乗り羽咋に7:45到着。北鉄能登線の滝で切り上げ13:55発で津幡に戻り昼食ラーメン60円。津幡から富山に夜到着。富山駅前の月見旅館(夕食付770円)泊。

8月3日。富山朝7:15発の新潟行鈍行に乗り黒井に11:05到着。頸城鉄道を浦川原まで往復し夕方まで撮影。直江津発19:51の上野行鈍行612レ(車中泊)で上野に4:55到着。

朝6~8時の米子滞在で日の丸自動車法勝寺電鉄を撮る.1962.07.31

米子8:07発の大阪行鈍行が御来屋(みくりや)で急行「白兎」に抜かれる
鈍行714レの牽引はSLではなくDF50だったのでしょう.

倉吉線を撮ったつもりが、C12なら鳥取駅か?

車窓の山陰の海辺に茅葺屋根が見える

余部鉄橋を渡る

豊岡から宮津線で丹後山田に14:15に到着. C51バック運転の客列車と交換する.

丹後山田駅の加悦鉄道

舞鶴線の96客列車.  夕方の西舞鶴駅
西舞鶴で宮津線から小浜線に乗換えて敦賀へ向かう.

2014年1月22日水曜日

昭和37年の旅 尾道のリンケホフマン製台車

尾道鉄道デキ15、16に装着されたリンケホフマン製板台枠台車と下回りを部分拡大してみます。

昭和38年5月発行の鉄道ピクトリアル「私鉄車両めぐり」第4分冊に発表された和久田康雄氏の尾道鉄道の記事によれば、デキ15形No15、16は昭和29年認可で自社三成工場製の小型鋼製ボギー車で、下回りは板台枠に軸箱上の板バネを備えたケルンのリンケホフマン製台車とある。

この台車を履いた尾道鉄道デキ15、16の経緯については下記の記述があった。
リンケホフマン製台車は近江鉄道が大14年彦根-多賀間電化の当時新製した電動車1~5のものである。この5両は近江鉄道の1500V昇圧時にクハ21~25に改造され、その内のクハ21、22が昭和25年頃に尾道鉄道に買い取られ、尾道鉄道の三成工場で車体を新製され、電装品は廃車となった単車デキ5、6のものを使用し電動機2基を備えている。

デキ16 尾道 1962.07.30

リンケホフマン製台車と下回り.

リンケホフマン製台車と下回り.
近江鉄道クハ21、22を買い取って自社三成工場で車体新製と電装化が行われデキ15、16となる.

リンケホフマン製板台枠台車

この写真を撮った時は鉄ピク「私鉄車両めぐり」第4分冊が発行される1年前で、尾道鉄道の知識は何も無かったはず。我ら3人は一体どんな気持ちでこの奇妙な台車にカメラを向けていたのだろうか。

2014年1月19日日曜日

昭和37年の旅 尾道鉄道

昭和37年の旅を山陽路に戻し、以前アップした「瀬戸内海 尾道の小私鉄」をネガからスキャンし差し替えてリニューアルしました。昭和37年に撮ったネガもいよいよカールが激しくなりスキャニングを急がねば。

山陽路の軽便3社下津井電鉄、西大寺鉄道、井笠鉄道を撮り広島に向かう途中、夕暮れの尾道鉄道に立寄ってみた。山陽本線尾道駅の山側に私鉄電車のホームがあり、独特の個性豊かな電車が発着していた。
旅の途中にふと立ち寄って撮ったのは、丸みを帯びた自社製デキ16、それに牽かれる小さなトレーラ、どれをみてもゲテモノ揃いである。これぞ昭和30年代の尾道鉄道は魅力ある尾道の町によく似合っていた。昭和39年廃線。

尾道駅風景 背後に尾道らしい急斜面が迫る. 1962.07.30

尾道駅の自社製 デキ16 下回りを撮っている二人は同行の鉄仲間

デキ16のボリューム感ある自社製車体に、元近江鉄道の古風な輸入台車を流用.

 キ61 元近江鉄道ガソリンカー

デキ25 元水間鉄道電動車の電装解除.向こうは山陽本線尾道駅ホーム

デキ15+デキ25 電車にお客が乗り込み駅に夕闇がせまる頃 発車となる.




上から2番目の写真を部分拡大してみました。
帽子被っているのが「私鉄の車両全24巻」企画の飯島氏で、カメラ構えているのが青蛙氏。
記念写真なんぞはフィルムが勿体なく厳禁だったので、こんな若き日の鉄ちゃん風景は貴重です。

2014年1月16日木曜日

昭和37年の旅 黒井のオマケ

富山発7:15発の新潟行き鈍行列車に乗り直江津のとなり黒井に着いたのは11:05分であった。
真夏の頸城鉄道を浦川原まで往復し軽便を存分楽しんで新黒井に戻って頸城の構内を撮っていると、遠くから甲高い汽笛が聴こえ小さなBタンク蒸機が現れた。この日最後の予期せぬ信越化学の蒸機との出会いというオマケに大満足し、今夜の宿となる夜行列車に乗り込んで乾杯となった。

信越本線黒井駅構内に現れた小さな蒸機  黒井 1962.08.03
蒸機の背後に信越化学の煙突が見える


信越化学工業直江津工場の1号機
輸入機に較べると外観が平凡な国産(日車製)Bタンク

D50等が次々やって来るこの頃の信越本線は蒸機天国であった.  黒井

頸城鉄道新黒井駅の向こうに信越本線の蒸機の煙がのぼる.
手入れが行き届いたこの頃の頸城鉄道は美しかった.

一日の撮影を終え暮れゆく頃

2014年1月14日火曜日

昭和37年の旅 富山駅前で見た電車の14年後

富山地方鉄道の笹津線が廃線となったのが1975(昭和50)年。廃線の翌年1976年に南富山(笹津線が市内線へ乗入れる駅)で撮った写真を「ゆうちゃん」さんが送ってくれました。私が富山駅前で見た市内線電車の14年後の廃車になった姿でした。

写真は全て1976年 撮影:ゆうちゃんさん
南富山に留置されていたデ3530、5010、7000形 

デ3530形3533  富山駅前旅館の2階から見たデ3533の14年後の姿.
デ3533の後日談が編集長敬白「名残の地鉄デ3533」、「デ3533最後の車内」にあります。
youtube「さよなら撮影会」  (以上のサイト紹介は影法師さんより)

デ3530形3534

デ5010形5027

5010形5013

富山地鉄本線のデキ6502

デ3530形の足回り

こちらは新富山から出ていた富山地方鉄道射水線(1980年廃線)の終点新港東口 1976年
射水線と万葉線との関係そして笹津線については津島軽便堂写真館をご覧ください。
判りやすい地図と情景写真で詳しく紹介されています。