案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2012年6月15日金曜日

大雄山の木造電車3

「大雄山の木造電車」のタイトルのまま続けますが今回は鋼体化車両のことです。

訪問した1963年2月は木造車モハ20、30形が活躍していたが、この時はモハ45以降の鋼体化車両が入線していて既に木造車→鋼体化車への交代が始まっていたようである。この翌年には湘南色したモハ34+クハ36が廃車になり、まもなく西武色した木造車も全て役目を終え鋼体化車両に交代された。

1963年2月に確認した鋼体化車両はモハ45+クハ23、モハ46、モハ47+クハ25、モハ48でいずれも元国鉄の払い下げ車でその前歴は複雑である。この時代 駿豆本線にはこの種の車両が大量にいた。
車歴解説は全て前述鉄道ピクトリアル吉川文夫氏の記事による。

モハ45とモハ48  大雄山 1963.2.22


鋼体化車モハ47と木造車モハ34 大雄山
モハ47は元国鉄クハ5802(三信鉄道買収車)を電装化したもので
昭和11年日車生まれの鋼体化車.昭和35年自社改造.

モハ48  大雄山
元国鉄クハ16457で昭和34に国鉄で廃車になり、昭和37年自社改造.


モハ45
昭和29年に国鉄から譲受けた木造電動車で、伊那電気鉄道買収のデ200形200が前身である.
大12.汽車会社東京支店生まれで,木造ダブルルーフ,正面に幅の狭い貫通扉を設けた車体に,Brill27MCB形台車をつけ,大雄山線で働いていたが,昭和34年に西武鉄道231形の車体と
交換し鋼体化改造を行った。台車もBrillからDT10(4コ電動機)に交換し旧モハ45の名残はなくなった。

クハ23
明治生まれの木造車クハ20形23に、モハ45と同様に西武鉄道231形の車体と交換し
モハ45+クハ23の半鋼製車編成としたもの.昭和34年自社改造.


モハ46
モハ45が西武系の車体であるのに対し、モハ46~48は国電の払い下げ車である.
モハ46は元国鉄ダブルルーフのモハ30を国鉄でシングルルーフに改造され
昭和34年廃車後、大雄山線入線に際し両運転台付に昭和35年自社改造.

クハ25
元国鉄クハ6020形(南武鉄道買収車)で昭和36年自社改造.


大雄山の車両工場

大雄山線訪問時に撮ったこの頃の小田急

大雄山線をオーバクロスする小田急デハ1200形3連.    五百羅漢


2300形(2扉セミクロスシートへ改造後). 小田原


そして42年後の大雄山線.  2005.09.18


2012年6月12日火曜日

大雄山の木造電車2

この時代の大雄山線の現役木造車は次の8両であった。
モハ20形 モハ21+クハ22
モハ30形 モハ32+モハ33
■■■■ モハ34+クハ36 (湘南色)
■■■■■ モハ37+クハ24(モハ35改造したクハ)    (廃車体モハ31)

モハ20形は戦時中から車体を大分改修し,シングルルーフ,上昇式窓になり妻面の形態も変わった。
モハ30形(31~37)で西武色の32 33 37も大改修されていてドアエンジン付両運に改造されシングルルーフ化した外観はモハ20形と見分けがつかない位よく似ていた。

大雄山の明治生まれの木造車 モハ34とモハ21.  1963.2.22

小田急と立体交叉する五百羅漢 緑町 を行く モハ32+モハ33.

大雄山を発車したモハ32+モハ33

ではモハ20形とモハ30形について

小田原駅で客を待つモハ20形(21+22)    

モハ30形37   大雄山

モハ30形32   大雄山

モハ30形32の車体. 大雄山
大改造により下の30形原形とは異なりモハ20形に近い.
モハ30形でも原形に近いクハ36   大雄山

何が履いていたのか不明だがMCBに類似した台車があった


参考文献: 鉄道ピクトリアル「私鉄車両めぐり」第6分冊 伊豆箱根鉄道 吉川文夫氏

2012年6月11日月曜日

大雄山の木造電車1

子供の頃に見た小田原駅の片隅に居た湘南色した木造電車は一体何だったのか。
カメラを手に入れ、撮り始めて間もない昭和38年に伊豆箱根鉄道大雄山線を訪問してみました。

この時は西武色(ラズベリーレッドとベージュ)に塗られた木造車が活躍し、終点大雄山の構内で湘南色した深屋根の木造車が休んでいた。その2年後 昭和40年に発行された鉄道ピクトリアル「私鉄車両めぐり」第6分冊の吉川文夫氏の伊豆箱根鉄道記事で初めてこれら木造車のことを知る事ができた。

木造車はモハ20形とモハ30形があり、どちらも明治44年新橋工製の元国鉄で明治生まれの国鉄創生期のボギー車の一員だそうである。大雄山線で唯一湘南色に塗られていた深屋根のモハ34+クハ36は原形をよく保ち他のシングルルーフ化した木造車よりずっと風格があった。


金時山を望む大雄山の駅  1963.2.22


この日活躍していた西武色のモハ20形(モハ21+クハ22)   大雄山


湘南色(橙と緑)に塗られたモハ30形(モハ34+クハ36).  大雄山 1963.2.22
車体は国鉄原形通りの窓配置,正面の窓はやや高さが大きいという国電スタイルを保ち,屋根はダブルルーフの上をシングルルーフで覆っている。昭和39年3月廃車 (吉川文夫氏の記事より)



モハ34と組んだクハ36


モハ34の台車

最も原形を残すモハ31の廃車体.  昭和31年7月廃車

2012年6月6日水曜日

小田急 下北沢駅2

下北沢駅には迷路のような連絡通路があり、たまに井の頭線ホームから小田急へ乗換える場合に
うっかり間違えてしまうことがある。
①小田急下りホームと井の頭線ホームをつなぐ連絡通路
②小田急上りホーム中央部と井の頭線ホームをつなぐ連絡通路
③小田急上りホーム後部から井の頭線ホームをつなぐ連絡通路
④小田急改札口と井の頭線ホームをつなぐ通路
乗客にとっては不便この上なしでしょうけど、この不合理な迷路は下北沢駅らしい楽しさでもある。

小田急と井の頭線が交差するところ. 2009.02.20

井の頭線が小田急をまたぐ2本の橋脚の間に連絡通路があり、井の頭線ホームから小田急ホームへ進むと小田原寄りに進む空中廊下と呼ばれている中二階の通路がある。昔は無かった筈で小田原寄りにホームを延長したために追加したのでしょう。このように駅の拡大で次々と通路を増設し今の迷路になってしまったと思われる。


左の中二階通路が空中廊下. 2008.09.22


現在の空中廊下の内部 2012.06.02
こうした下北沢らしい名物は地下駅開業の日まで使われるのでしょう。

2012年6月5日火曜日

小田急 下北沢駅1

昭和35年頃から約50年、小田急の駅で昔と変わらないのが下北沢です。
仮に昔の写真と対比したとしても、通路(井の頭線~小田急上りホーム)の追加や代田側ホーム延長など以外は50年前の駅と何も変わらないでしょう。
地下駅化の工事が始まってから時々撮影したことがあり、あれからもう4年、先日久しぶりに下車したところ今も地上駅の変化はあまりないようです。やがてやって来る地下駅開業の日、地上駅の機能は停止し下北沢らしい光景は消滅して永遠に戻らない。


歴史ある井の頭線の橋脚. 2009.02.20
2本の橋脚の間に井の頭線との連絡通路が見える


改札口入って直ぐ下の上りホーム.  2008.04.11


上りホームの中央部. 2008.04.11