案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2012年6月21日木曜日

福島交通軌道線 長岡分岐点(リニューアル)

軌道線の第1回と第6回目にアップした長岡分岐点について画像をスキャンし直してリニューアルします。

福島駅前から掛田、梁川、伊達駅前、湯野町へと向かう路面電車で、1966年12月訪問した当時に
営業していた各路線は下記であった。
福島駅前~長岡分岐点~湯野町 13.2km(飯坂東線)
伊達駅前~聖光学院前 0.9km(飯坂東線)
長岡分岐点~保原 4.6km(保原線)
保原~梁川 6.5km(梁川線)
保原~掛田 6.3km(掛田線)

ドロ軌道、木橋、雪山バックの畑の中、雑然とした商店街などを走り抜けるすごいロケーションの鉄道であった。訪問した1966年の12月は雪解けの泥んこ道のせいで、車体は泥だらけ、暗くてうす汚いイメージが強かった。当時は全国どこでも未舗装道路で、ドロ軌道を走る鉄道特有の汚さだったのであろう。
長岡分岐点や保原などの駅は商店街のど真ん中にあり、大晦日の乗客でどの駅も賑わっていて、とても廃線迫った鉄道には思えなかった。


 直進すると福島へ向かう. 左手に乗客待合所(中にはストーブが)が見える. 1966.12.31
大晦日の買い物の人々で賑わう商店街のど真ん中に「長岡分岐点」がある。


↗福島. 福島からやってきた電車はこの先↙のデルタ線で保原方面と伊達方面に分かれる。


伊達駅前、湯野町方面.  信用金庫前のデルタ線急カーブを右にガクガク曲がると保原へ向かう.




軌道線路線図はこちら


待合所の入口に「今度の電車は○○ゆき」の表示があり、下に付替えの行先表示板が並んでいる.


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