案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2018年9月30日日曜日

軽便賛歌Ⅸ 仙北鉄道2題

昨日は第14回軽便鉄道模型祭のプレイベントで和田(青蛙)さんと私で、仙北鉄道2題の講演会でした。開演30分前で会場は沢山の軽便ファンで埋まり、大変嬉しい限りでした。ご来場頂いたみなさんに厚く御礼申し上げます。
会場では軽便鉄道でつながった沢山の方にお会いでき至福のひとときでした。
今日の軽便模型祭にも行ってきましたが、軽便ファンがこれほどまで多いとは信じられません。 

この日の講演テーマ仙北鉄道2話

開演15分前

和田さんと私の紹介。


和田さんの講演

私の講演

翌日の模型展で、今回の講演会テーマである仙北鉄道の貨物長大編成がキットで発売されていたのには驚きました。

南軽出版の出版物も年々凄いですね。

今日の軽便模型祭。 軽便鉄道模型もここまで来るともう絶句。

2018年9月25日火曜日

都電8系統 恵比寿から渋谷橋へ

8系統の恵比寿を過ぎて明治通り渋谷橋交差点まで追ってみました。
東京オリンピック開催後3年の昭和42年、まだまだこの辺りの風景はのどかで、現在の渋谷橋あたりの大通りを見ると全く別世界になってしまった。毎年毎年こうして今昔の差が開いていくのでしょう。
撮影:1967.12.03
恵比寿の山手線ガード下。

左の車はこれですね。1965年東京モーターショウのスバル1000

渋谷橋から恵比寿へ向かっている8系統。

のどかな渋谷橋交差点近く。

街並みに1200がよく似合う。

渋谷橋で明治通りの34系統に合流する。

渋谷からやって来た34系統、そして8系統が分岐する渋谷橋。
空が広い! 

2018年9月17日月曜日

都電8系統 中目黒から恵比寿へ

最近この辺りをよく歩くので、昭和42年の中目黒から恵比寿にかけての都電風景を再度並べてみました。この界隈、今のお洒落な街風景とは対照的に、当時はのんびりした風景であった。


ここが中目黒かと思ってしまう風景。 1967.12.03
やはりtifでスキャンしてjpgにすると画質がきれい。

中目黒

中目黒から恵比寿へ向かう今の駒沢通りの坂。2018年9月

築地行きの1200が目黒川を渡る。

駒沢通りの坂を登ると、東横線の代官山が近い。以前はカットしていた画面左右のノイズ(電柱など)も積極的に入れるようにしました。邪魔と思っていたノイズも時代と伴に見かたが変わってくる。

恵比寿駅前の駒沢通り

恵比寿駅前

2018年9月1日土曜日

大分交通別大線(リニューアル) 2

2011年4月12日にアップした記事の画像調整をやり直し、画像サイズ大きくしたリニューアルです。当時のコメントはそのまま残してあります。

撮影:1967.3.5
 昭和42年、どこへ行ってもだるま型ブルーバードが走っていた。東別府駅前

東別府駅前の100型(重連対応未改造の110)

別大線を追い抜いて消えていく日豊本線の列車。

雨の東別府駅前の150型(100型を重連対応に改造)
密着連結器とジャンパー栓

200型以降は総括制御と密着連結器を備えて重連対応した。東別府駅前

505 東別府駅前