案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2021年8月29日日曜日

江ノ電の今昔比較

私が58年前に撮った江ノ電の風景に対比させて今の風景を撮った地元の田中さんがいました。
昔の写真に合わせて撮影位置、電車の位置等、かなり拘っています。
江ノ電の現状カラー写真(掲載了解済)を昔の写真と対比してみました。



鎌倉行が江ノ島駅を出たところ。1963.4.28


上の写真の現状。 2021年8月 撮影:田中さん
写真を対比すると店舗建物、看板、架線などの様々な今昔比較ができます。鎌倉へ向かう電車の位置など昔の写真にうまく合わせたものです。



江ノ島-腰越 1963.4.28


上の写真の現状。 2021年8月  撮影:田中さん
左の親子と右の傘を差した通行人とクルマ、昔の写真に対して電車の位置と人の位置のシャッターチャンスにかなり拘ったようです。
よく見るとガラス屋さんはLIXIL(住宅設備機器業)代理店へ今も残る洒落た街路灯の柱と背後の架線柱、そして電線の増大など58年間の変化が読み取れます。

路面電車の撮影では人やクルマは決して邪魔者ではない、それらをうまく写し込むことにより写真が生き生きしてくるものです。

2021年8月27日金曜日

頸城鉄道 大池駅

 ブログのタイトルを久しぶりに変えてみました。
赤子を抱く若い奥さんが立つ大池駅⇒気動車ホジが去って行く大池の写真へ。
ネガのコマNoからはこの順になります。


人に優しい軽便の低いホーム、農業倉庫のような待合室、狭い線路が自然と調和する。

ホジの右手に新潟らしいハザ木が並ぶ、左の田んぼをよ~く見るとヤギと手前に餌を探す○○鳥。



大池駅があったところの現状。

2021年8月18日水曜日

昼下がりの日方駅 野上電気鉄道

8月20日発売のTMS 9月号連載第27回は「昼下がりの日方駅」です。


紀勢本線海南駅から離れたところに野上電鉄の起点日方駅があった。日方駅は80mほど先に国鉄海南駅との乗換え専用の連絡口駅もある変わった駅であった。背後に藤白山脈が迫る構内には地味な青緑色に塗られた元阪神や元阪急の小型車が至る所に休んでいた。


紀勢本線海南駅のホームの端から野上電鉄に乗換える通路があった。

野上電鉄日方駅の構内の端にあった連絡口駅。

日方駅の構内に休む元阪神の小型車と、本線で3扉車が停車しているところが連絡口駅。


日方駅。
木造駅舎の入口に木板に手書した日方驛の文字。コンビニや自動販売機、ワンマンカーもまだなかった時代。電車が発車するまでのひと時、昼下がりの日方駅にこの時代独特の空気感が流れていた。

売店の上の奇妙な絵画は、終点 登山口から行ける生石(おいし)高原の観光案内のようだ。

2021年8月4日水曜日

真夏の空

 今年4月からフルサイズカメラ24mmレンズで撮り始めた西武新宿線石神井川沿いのポイントも、今は猛暑ですっかり撮ることも無くなりました。

そこで散歩がてらに近所を撮っているアイホン12で雲の撮影ポイントを初めて撮ってみました。
アイホン12の広角は26mmと13mm (35mm判換算)で26mmで撮ったのがこの写真です。
ところがアイホン12はシャッターボタン長押しでは連写が撮れない??
アイホン11あたりから連写の撮り方を変えていたのですね。


東伏見-武蔵関 2021.8.3

2021年8月1日日曜日

沼尻鉄道 木地小屋

コロナと猛暑で自粛生活が続くとTMSの原稿が一向に進まず、つい原稿とは関係ない古い写真を見ては再スキャンをしてしまいます。 沼尻の木地小屋を撮ったのは列車の写真2枚のみ。驚きの駅舎とその隣に続く民家の風景を撮っていなかったのが残念です。

→驚きの駅舎の画像をお借りしました。



木地小屋の駅舎。1964年10月 Busushima氏所蔵
RMライブラリー113号にも梅村さんの名作写真が紹介されています。
手前に広い構内があり小屋の右半分が待合室で左が駅務室(無人化)だったのでしょう。

撮影:1964.1.2

木地小屋停車場。
朝の沼尻行き列車の車内はスキー客で超満杯。
ホームもない木地小屋の停車場に大陸的ムードが漂う。


木地小屋停車場。
午後の川桁行き列車は正月で地元の乗客で賑わっていた。
この時代は木地小屋停車場の北に旧土湯街道があり、
集落から外れた荒涼たる風景の中に停車場があった。


木地小屋~沼尻間の車窓風景


木地小屋から沼尻へ向かう区間はこんな風景であったが、廃線後は木の成長ですっかり様子が変わった。2003年の廃線跡めぐりでは田んぼの先に続く森の中に廃線跡を見つけることができたが、現役時代の風景からは想像もできない激変ぶりで不思議な世界であった。



一方こちらは木地小屋から川桁へ向かって一つ目の酸川野停留所。
旧土湯街道と交差する踏切でその先にこれが駅かと思う粗末な小屋があった。