案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2016年2月24日水曜日

Picasaによる画像調整

ネガをスキャンしたままの画像と、picasaで調整他の加工を実施した画像を並べてみました。この事例でモノクロトーン調整は①明るさ、②ハイライト、③シャドウ、この三つのレベル調整のみです。

 スキャン画像をリサイズしただけ  撮影:昭和37年
スキャン画像→トリミング→調整→リサイズ

スキャン画像をリサイズしただけ 撮影:昭和37年
⇩ 
スキャン画像→トリミング→ゴミとり→調整→リサイズ

ハーフサイズの例 スキャン画像→トリミング→リサイズ 撮影:昭和38年
⇩ 
スキャン画像→トリミング→調整→リサイズ

2016年2月20日土曜日

福島交通軌道線 早朝の大通り

福島交通軌道線の早朝で薄暗くて眠いネガを今回スキャンしてみました。
こんなときGoogleの画像調整ソフトPicasaはモノクロのトーン調整が簡単瞬時にできほんとうに便利です。
大晦日、しだいに明け行く福島駅前の大通りを進むとこんな風景が見られました。

1966.12.31
北町の交差点を過ぎると左へカーブしこの辺りからゴタゴタした路地を進みローカルカラーらしさが現れてきた。魚屋など早朝の店は荷卸しで道路を占領し忙しそうであった。狭い道路を頻繁に行き交うバスの合間をよく電車が走れたものだ。朝の電車は続行で次から次とやってくるので効率よく撮ることができた。しばらくは狭い舗装道路上を同じような風景が続いていた。

浜田町
五老内の先で狭い道路にバスがひしめき合っていた.

朝の通勤風景

福島軌道線のツートンカラーの話がでましたので、昨年の軽便まつりで撮った服部英之さんの素晴らしい作品です。。鉄道模型趣味誌にこの作品の製作記事が発表されましたね。

2016年2月16日火曜日

昭和40年7月北海道 明治鉱業昭和炭鉱専用線1

田辺多知夫さんの「昭和40年7月北海道」、留萌鉄道の終点昭和炭鉱で動いていたクラウス17号と15号が大変お気に入りのようで、ここにはかなり時間を掛けて滞在したようです。

 昭和40年7月24日
以前「marimoさんを偲んで」で使わせてもらった画像です。


クラウス17号と15号

2016年2月15日月曜日

昭和40年7月北海道 藤田炭鉱3

先日アップした田辺多知夫さんの「昭和40年7月北海道」で藤田炭鉱ボールドウィン8112の画像を追加(再掲あり)します。小石のことがいろいろ判ってくると、田辺さんが北辺のボールドウィンを求めて訪問した炭鉱鉄道は地の果てのようなところで、さぞや苦難の旅だったことでしょう。

その後、コメント戴いた片岡さんから、鉄道ファン誌95年に掲載された記事を紹介いただきました。藤田炭鉱宗谷鉱業所専用線 "ここはボールドウィンの機影を追った最北の炭鉱鉄道であった″ 記事(安保彰夫氏、宮田寛之氏)を読むと小石と藤田炭鉱の概要が判り片岡さんの推測を含め写真に解説(推定)を加えてみました。


藤田炭鉱 ボールドウィン8112  左手に機関庫とピットがあるようで小石駅の一角と推定される.昭和40年7月26日

小石駅には北拓炭鉱のナロー線も出ていて背後は北拓のホッパーと思われる.小石駅から藤田炭鉱専用線に入るカーブのところで休むボールドウィン.

炭鉱専用線の終点にある藤田炭鉱宗谷鉱業所で、写真(下)の奥に積込ホッパーと思われる屋根が見える.

小石で空の貨車を引き取って藤田炭鉱へ戻るボールドウィン8112.背後の山に北拓炭鉱の住宅が並ぶ.

国鉄天北線(音威子府~南稚内1989年廃線)の小石駅  昭和40年7月26日


小樽市総合博物館に保存された キハ031

写真1枚目の小石駅構内の北拓ホッパーを反対側から見る.


参考:鉄道ファン誌1995年 藤田炭鉱宗谷鉱業所専用線

2016年2月9日火曜日

筑波鉄道 筑波駅

1985(昭和60)年のつくば科学万博が開催された2年後、あと10日足らずで廃墟となる筑波駅には観光客の賑わいがあった。昭和62年の筑波山の観光と鉄道、こんな時代であった。

 廃線が迫る筑波駅の賑わい 1987.03.22
土浦から乗車して春の筑波山へ向かう観光客なのだろう.

 筑波駅全景 1987.03.22
筑波駅

つくばエクスプレス開通で便が良くなった現在の筑波山
筑波山ケーブルカー 宮脇駅  2012年10月
筑波山神社

2016年2月8日月曜日

最後の筑波鉄道 東飯田~真壁

筑波北方ののどかな沿線風景を集めてみました。1987年3月31日廃線を迎え車両サイドに派手な垂れ幕もなくいつものままの姿を見せてくれました。

筑波山を背にして  東飯田 1987.3.28

キハ821(元国鉄) 東飯田 1987.3.28
最後の筑波鉄道を乗りに来た地元のお客さんで賑わう。

キハ762(元雄別鉄道)  真壁 1987.3.28


3月28日の真壁駅

2016年2月4日木曜日

最後の筑波鉄道 最終日(リニューアル)

今日から3月3日まで「真壁のひなまつりです。
つくばEXPつくば駅~真壁 臨時バスについて。

2011年2月

1987(昭和62)年春、真壁に最終列車が到着し全てを終えた筑波鉄道。あれから今年で29年、本ブログで2011年2月から「最後のつくば鉄道」を連載しましたが、その後の5年でネット環境も大きく変化しました。今や当たり前の画像サイズにして新しい画像を追加しリニューアルしてみます。


昭和62年4月1日、日本の鉄道はJR誕生で新しい時代を迎えた日。
その前日の3月31日は「国鉄」時代最後の日であった。と同時に筑波鉄道最後の日でもあったが、JR誕生前夜の大ニュースに隠れて筑波鉄道の廃線は殆ど話題にならなかったようだ。今、本屋に並ぶ鉄道誌で昭和62年の鉄道の話題を見ても、やはり今も昔もJR・国鉄一色は変わっていない。

筑波鉄道の最終日、私は仕事を終え夜の筑波駅に向かった。今夜で終わる筑波駅風景を撮って真壁駅へ向かい、真壁止まりの最終列車の到着を待った。桜が咲き始めた春とはいえ、この日はかなり冷え込む夜で震え上がった。
22時過ぎ到着の真壁止り最終列車を迎え、真壁の下りホームは地元の人々で溢れ、お別れに来た人々の歓声の中をキハ761+505が到着し筑波鉄道の歴史は終わった。
桜が開花した下を気動車は上りホームに移動し、セレモニーの後、別れを惜しむ人達の記念写真の場となり、人々に見送られて回送気動車は土浦方面へ引き上げて行った。
これで筑波鉄道の全てが終わり、夜遅く真っ暗で静まり返った真壁の町を後にした。

寒い中、最後を見届けようと早くから人々が駅に集まっていた.真壁

大変に冷える夜遅く、沢山の地元の人々が最終列車の到着を待っていた.真壁

沢山の人たちに迎えられて真壁に到着する最終列車.1987.03.31

セレモニーの後、最終列車は真鍋へ回送で引き返して行った.

ごくろうさまでした.
真鍋へ回送する列車を見送る人たち

車体にペイントされた「70年の長い間ありがとうございました」

最終日のつくば駅