案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2016年2月15日月曜日

昭和40年7月北海道 藤田炭鉱3

先日アップした田辺多知夫さんの「昭和40年7月北海道」で藤田炭鉱ボールドウィン8112の画像を追加(再掲あり)します。小石のことがいろいろ判ってくると、田辺さんが北辺のボールドウィンを求めて訪問した炭鉱鉄道は地の果てのようなところで、さぞや苦難の旅だったことでしょう。

その後、コメント戴いた片岡さんから、鉄道ファン誌95年に掲載された記事を紹介いただきました。藤田炭鉱宗谷鉱業所専用線 "ここはボールドウィンの機影を追った最北の炭鉱鉄道であった″ 記事(安保彰夫氏、宮田寛之氏)を読むと小石と藤田炭鉱の概要が判り片岡さんの推測を含め写真に解説(推定)を加えてみました。


藤田炭鉱 ボールドウィン8112  左手に機関庫とピットがあるようで小石駅の一角と推定される.昭和40年7月26日

小石駅には北拓炭鉱のナロー線も出ていて背後は北拓のホッパーと思われる.小石駅から藤田炭鉱専用線に入るカーブのところで休むボールドウィン.

炭鉱専用線の終点にある藤田炭鉱宗谷鉱業所で、写真(下)の奥に積込ホッパーと思われる屋根が見える.

小石で空の貨車を引き取って藤田炭鉱へ戻るボールドウィン8112.背後の山に北拓炭鉱の住宅が並ぶ.

国鉄天北線(音威子府~南稚内1989年廃線)の小石駅  昭和40年7月26日


小樽市総合博物館に保存された キハ031

写真1枚目の小石駅構内の北拓ホッパーを反対側から見る.


参考:鉄道ファン誌1995年 藤田炭鉱宗谷鉱業所専用線

2 件のコメント:

esehoku さんのコメント...

私事ですが、SLブームの頃はまだ小学生で、なんだか周りの雰囲気に合わせてよくわからないまま夢中になっていたように思います(後のスーパーカーブームの時みたいに)。
だからその当時、ボールドウィンとかピーコックとかクラウスなんてメーカー名はなんとなくインプットされていただけでしたが…歳と共にいろいろとわかってくると、語感の違いからアメリカの物・ドイツの物etc…と合点が行き、更にはその国ごとのデザインの違いもわかって来て、楽しみが深まった気がします。
ボールドウィンはいかにもアメリカ製の、アメ車にも通じるようなゴツさとアクの強さを感じさせますね。
(自分で言っておいてナンですが、表現力に乏しい文章からは伝えきれないのですが…(^-^ゞ)
前にも書いたかもしれませんが、こんなにも個性だらけの地方私鉄の事をもっと早く知っていたらと、ちょっと悔やまれてなりません。 ン十の手習いですが、このブログ内でいろいろと教えていただいています。

katsu さんのコメント...

esehokuさん
本州では東野鉄道、岩手軽便鉄道、各地の森林鉄道などの小さなボールドウィン機も堪らない魅力です。
こんな軽量クラスになると大変繊細な感じがします。
といっても見たこともない遠い昔に消えてしまった蒸機ですが。
北海道の美しいテンダー機はボールドウィンの極め付きだったと思います。
ボールドウィン機が模型によく取り上げられて来たのは機関車の魅力と伴に
ボールドウィンが活躍した情景の魅力や物語性があったせいなのでしょう。