案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2012年11月28日水曜日

嵐山線 昭和39年の京都

昭和39年7月の早朝に東和歌山駅前を撮ってから阪和線で天王寺へ向かった。
私鉄電車ファンで鉄仲間の IさんとMarimoさんの二人に梅田駅で合流。
この時は関西私鉄を撮るのが目的で、私にとって関西大私鉄訪問はとても珍しいことであった。
この時のことは全く記憶になく、乗車券出費メモからすると阪急京都線を桂あたりで撮ったようで、
その前に京福嵐山線のこんな光景が写っていた。


四条大宮   1964.07.10



ダイハツ・ミゼットMP4型


専用軌道区間を走る嵐山線

三条口で京都市電西大路線と交差する.

三条通りを島津製作所前を行く

2012年11月25日日曜日

西武5号機 修復完成記念披露会

本日のイベント「西武鉄道100年 アニバーサリーイベントin保谷」は天気に恵まれ大変な人出であった。
旧保谷車両基地には朝から長蛇の列で、鉄道イベントは幅広い世代に人気のようだ。

今回の目玉である修復された西武5号機は、1897(明治30)年に川越鉄道が購入し、その後同形6号機と伴に西武鉄道川越線、多摩川線で昭和32年まで使用されたそうである。
昭和34年7月には5号機、昭和37年3月に6号機が上武鉄道(元日本ニッケル鉄道)に貸与されている。

50年前の遠い昔に西武化学の工場構内で西陽を浴びて鈍く光る5号機のことが思い起こされる。

西武5号機 1896年ナスミスウィルソン製. 保谷 2012.11.25

5号機とE11型


 E11型12
是政線で働いていたE12  白糸台 1963.05.19
是政線 武蔵境駅

50年前の訪問記 上武鉄道の英国系蒸機
上武鉄道に貸与されていた時代の5号機と6号機.  西武化学工場内 1962.12.23
この時 6号機は入線後9ヵ月で現役であった.

5号機  1896年ナスミスウィルソン製

6号機  1902年ナスミスウィルソン製
西陽を浴びた現役古典蒸機

2012年11月24日土曜日

東和歌山駅前の今昔

あの「朝の東和歌山駅前」の光景を撮った1964年の4年後に東和歌山駅(現和歌山駅)の駅ビルが完成し、駅前が整備されたものの、その3年後(1971年4月)に和歌山軌道線は全廃されてしまったようです。
そんな駅前風景の今は一体どんなに変貌したのか例によってGoogleスリートビューで現在の和歌山駅前通りに立ってみました。

和歌山駅前交叉点からJR和歌山駅を見る
JR和歌山駅西口を一直線に延びる今の駅前通り「けやき大通り」。路面電車やボンネットバスが発着し高校生が溢れていたあの朝の駅前風景がここにあった。まるで戦後の面影残すような駅前風景であったので現在との落差があまりにも大きい。

和歌山駅前交叉点から見た西に延びる「けやき大通り」
駅前から「けやき大通り」を少し進むと和歌山駅前交叉点で国体道路と交わる。和歌山軌道線はこの「けやき大通り」を一直線に走っていた。昔、この辺りに紀陽銀行のビルがあったが今も丸い建物の中に紀陽銀行東和歌山支店があるようだ。

駅前の先でSカーブするところが今の国体道路との交叉点でしょう。1964.07.10
今の「けやき大通り」は昔もだだっ広い道路であった。路面電車の背後に紀陽銀行のビルが見える。



2012年11月22日木曜日

朝の東和歌山駅前2

朝の東和歌山駅前をオリンパスペンSで撮ったものです。
前回の高校生通学ラッシュの前で通勤時間帯のようです。

まるで戦後のような雰囲気を残す朝の東和歌山駅前. 1964.07.10  

看板「ホテルたちばな」裏の建物(阪和ホテル)と、古びた単車のとり合わせが終戦直後のよう.

この時間は高校生通学ラッシュの前なのでしょう.

別の角度から見ると駅前風景も違って見える.左手が国鉄東和歌山駅

何を見ているのか傘を抱いた高校生が一人



朝のラッシュにはこんな電車が出動し、東和歌山から市駅や車庫前を往復する.
100形(101)大正14年梅鉢鉄工所製
車庫行きの500形(506)に、この後どっと女子高生が乗り込む.
元南海軌道線の大正10年製車体に、南海鉄道線ブリル27GE1を履かせた背の高い電車.

2012年11月20日火曜日

朝の東和歌山駅前1

2010年6日9日アップの「朝の東和歌山駅前」をネガからスキャンし直しました。

朝の東和歌山駅前に人が多くなり、和歌山軌道線の電車が次から次とやって来ると駅前は通勤・通学客で賑わい始める。この駅前大通りには当時の商店の佇まい、ボンネットバス、路面電車、通勤・通学客の賑わい、など魅力満載の朝の光景であった。

朝の東和歌山駅前通りで一つ目ライトの小型200形が魅力的. 1964.07.10 クリックで拡大

東和歌山駅前のメイン通りには映画館や大衆食堂の看板が見え、
この頃走っていたボンネットバスが時代を感じさせる.

朝の通学時間にやってきた腰高古参500形とボンネットバスの顔合わせが魅力的だ.
小さな路面電車にとても乗り切れない高校生で、朝は電車総動員なのだろう.

次々と朝の駅前にやってくる小さな200形. 東和歌山

魅力的な500形

2012年11月19日月曜日

西武新宿線 101系の思い出

西武池袋線で最後を迎えた101系2+8連は2編成で、先週遂に1編成が運用離脱したとのこと。
これで残る2+8連はリバイバル・ツートンカラー2連付の1編成のみということに。
遂に標準カラーの2+8連は永遠に見れなくなってしまったようだ。

西武新宿線で101系2+8連の魅力に気付いたのが4年前2008年4月の雨の朝のことであった。
朝9時25分に通過する上り急行西武新宿行。
いつもは川越側につく2連がこの日は新宿側につき、先頭2丁パンタ車の編成となった。

先頭に連結されたスカート無しの野性味溢れる285Fの2連。
雨の中を朝の通勤客を満載し轟音たてて100Km/hで通過して行った。
この時の感動・感激が病みつきになってしまった。
翌日の2連はまた川越側についてしまい、先頭2丁パンタ車は次にいつ登場するかは判らない。
こんな朝の101系の楽しみも新宿線からはとっくに消えて、101系2+8連は池袋線で最後を迎えていた。

 雨の武蔵関を通過する101系前パン編成    2008.04.24  
311F(8連)+285F(2連)→西武新宿


2012年11月18日日曜日

和歌山界隈

御坊臨港鉄道、有田鉄道と非電化小鉄道があった紀伊本線を和歌山市方面へ向かうと野上電鉄、南海和歌山軌道線があった海南駅に着く。駅前で和歌山軌道線に乗って東和歌山に行くと、そこには良き時代の南海貴志川線が走っていた。
こんな和歌山界隈ではいつも東和歌山の駅前旅館に一泊し、朝の東和歌山駅前の光景を撮るのが楽しみであった。

雨降る夕暮れ時の海南駅前.  1964.07.09
駅前の電停には市駅(紀伊本線和歌山市駅)行き電車が待っていた.

海南駅前と和歌山市・東和歌山を結ぶ和歌山軌道線. 1965.08.04

早朝の東和歌山駅前.これから通勤・通学の時間帯を迎える. 1964.07.10

新和歌浦行きの電車.  東和歌山

人も車も閑散とした静かな早朝風景. 北の新地

2012年11月13日火曜日

西武池袋線 101系 元加治

11月9日この日も秋晴れ、元加治にて今年で最後の101系を

仏子-元加治   2012.11.09  クリックで拡大

元加治-飯能

元加治

元加治

2012年11月12日月曜日

御坊臨港鉄道 御坊~紀伊御坊

紀伊御坊の構内には車庫代わりに様々な車両が留置され、注目は元芸備鉄道キハニ19の大型キハ40801と、元富南鉄道キハ3の小型キハ103であった。この2両は当時の地方私鉄ではよく見掛けた両端に荷台を備えたタイプで、いかにも御坊臨港鉄道らしいキハであったが大型のキハ40801が多客時に出動するくらいでキハ103は使われていなかった。

キハ308の隣に荷台付キハ40801が休んでいる. 紀伊御坊駅

下校時間の紀伊御坊駅  1964.07.09
日中は元国鉄41000形のキハ308が御坊-日高川間をのんびりと往復するが、下校時間になると駅は高校生で賑わってきた。
紀伊の山並みを背景に田んぼを行くキハ308の単行。

キハ103(元富南鉄道キハ3)

2012年11月8日木曜日

西武池袋線 101系 秋の陽を浴びて

秋晴れの日、昼前の柔らかな陽を浴び緑多き沿線を行く。

下り2123レ 急行飯能行 元加治-飯能  2012.11.07

上り2136レ 急行池袋行  元加治-飯能  2012.11.07


2012年11月6日火曜日

井笠鉄道の春


小平井ー大井村    1967.03.08   クリック拡大
真青な空、心地よい春の陽差し、湖面に映る赤と緑の列車、
勾配を駆け下りてきた軽便の軽やかなジョイント音、
枯れ草に寝転んで目の前を通過する軽便列車を眺めていると
春を迎えた井笠鉄道は正に絵に描いたような光景であった
あれから45年が過ぎる


この井笠のダブルルーフ木造客車は井笠鉄道が廃線後4両が西武山口線へ移籍し、井笠鉄道→西武山口線→西武園内レストラン→2両がまきば線へ引き取られた。1913(大正2)年生まれの木造客車は様々な遍歴を経て間もなく車齢100年を迎える。大変な鉄道文化遺産だ。


2012年11月5日月曜日

西武山口線 井笠1号機

頚城と井笠の本物のコッペル、それに牽かれる井笠の本物の木造客車。
井笠の1号機とダブルルーフ木造客車の入線で、西武山口線の軽便は最高潮に達する。
東京近郊でこんなコッペルの蒸機列車が5年間も営業運転されたのは
今思えば夢のような出来事だった。


入線2年後の井笠鉄道1号機  西武遊園地   1975.06.01

ユネスコ村  1975.06.01
井笠1号機が牽く井笠のダブルルーフ木造客車は夢のような列車だった.
軽便蒸機列車は子供達にどんな思い出を残したのでしょうか.

西武山口線ではこの編成がベストだったでしょう.  ユネスコ村

頚城2号機と井笠1号機の列車交換

朝顔カプラーの連結作業