案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2014年10月29日水曜日

宮本常一と写真

ブログでしばらく「オリンパスペンSで撮った・・」を続けたのは、ネコパブ「国鉄時代」で毎号グラビアを飾っている国鉄SL情景の堀越庸夫さんから紹介された一冊の本「宮本常一と写真」石川直樹著がきっかけでした。

民族学者であり写真家でもあった宮本常一(1907~1981年)は昭和20~40年代の日本を10万枚くらい撮ったそうで、最も長く愛用したカメラがオリンパスペンSで、この本にはオリンパスペン発売後の昭和30年代後半の日本の情景が多数収められています。
「芸術写真は撮るな、読める写真を撮れ」が口癖で芸術的、主観的な写真を否定し組写真などはなく1情景1カット。上手い写真を撮ってやろうと意識しない。民俗学的写真を目指した宮本常一の作品は土門拳のような作品とは異なり、優しく温かみがあり、ほのぼのとした懐かしさを感じる日本の本当のスナップ写真なのでしょう。

なぜオリンパスペンSが宮本常一が狙う写真に最適であったかの記述には大変興味深いものがあります。
昭和30年代の鉄道を彼のような狙いで撮っていたら、時代や生活が読める鉄道風景に目が釘づけになる事でしょう。コンクール受けするような自己主張のある上手い写真を撮りたいのは誰しも考えること。これはこれとして宮本常一のような撮り方で鉄道を撮ってみると別の世界があるのではないでしょうか。

昭和30年代後半、私もオリンパスペンSを使いましたが写っていた大半は車両ばかり。今思えば35mm判カメラには写っていなかった車両の周りの光景にこそ価値があり、そんな記録にオリンパスペンSは最適だったのでしょう。民俗学者が撮った読める写真、そのインパクトは鉄道写真でもあてはまるでしょう。 (敬称略)

平凡社 2014年8月発行

宮本常一と愛用のオリンパスペン

昭和39年の奥羽本線大曲駅の行商の人たちと赤帽さん.
このような駅風景の写真からは数多くの事が読み取れる.

2014年10月22日水曜日

オリンパスペンSで撮った昭和40年の東北旅行

オリンパスペンSは鉄撮りだけでなく、誰でも撮れる小さなカメラということで両親の旅行に何度か使われたことがあります。鉄ファンでもなくカメラも不慣れな一観光客がペンSで撮った昭和40年は記録として面白いのではないかと趣向を変えてみました。

昭和40年夏の東北旅行は、松島、中尊寺、酸ヶ湯温泉、十和田といったお決まりのコースだったようだ。昔も今も誰もがそうであるように観光名所でハイポーズの写真オンパレードであったが、中には父が撮ったらしい風景も写っていた。露出計も距離計も付いていないオリンパスペンSであったがその時代が綺麗に写し込まれていた。ペンSは無欲で気負いなく撮ってその時代を記録するカメラとして最適であったのだろう。

仙石線東塩釜行 昭和40年夏

  駅名表示板を見るとここは松島海岸駅のホーム.

宿から見た松島観光船の船着き場.宿に着いた客がのんびりしている夕方なのでしょう. 


東北本線平泉駅

宿の窓から見た夕暮れの北上川でしょうか.

夏の酸ヶ湯温泉 

国鉄バスに乗った客を見送る宿の人達? 酸ヶ湯温泉

十和田湖を望む発荷峠の観光客たち.
ボンネットバスが行き交う青森市内.
青森駅

2014年10月21日火曜日

オリンパスペンSで撮った京都市電3

四条大宮から阪急西院駅までオリンパスペンのネガを撮影順に追ってみました。

撮影 1964.07.10
系統(白梅町~京都駅前)  四条大宮交差点
千本線から大宮線へ入るところでしょう. 

系統(九条車庫前~九条車庫前) 大宮線  四条大宮
さんとら食堂のあたりに今は新三虎ビルがあり三虎ガレージの看板もある.

ここからは京福電鉄嵐山線を撮りながら三条口まで歩いたようだ.
嵐電 三条口-西大路

系統(京都駅前~京都駅前) 西大路線 西大路三条

系統(西大路四条~四条河原町) 系統(西大路九条~京都駅前) 西大路線 西大路三条

 
市電西大路線が嵐電と平面クロスする交差点 西大路三条

系統(京都駅前~京都駅前) 西大路線
阪急電車西院駅前に到着する.

2014年10月19日日曜日

オリンパスペンSで撮った京都市電2

オリンパスペンSで撮り歩いた市電四条通りをネガのコマ順に追ってみると、祇園祭りの山鉾準備などを撮った市内中心部から阪急西院の駅まで歩き、阪急に乗って桂まで行って京都線を撮って、また阪急に乗って四条河原町へ引き返したようだ。
オリンパスぺンSで撮ったネガには様々な京都市電系統が写っていて、四条線に写っていたのは①⑦⑳であった。
四条通りには銀行のビルが多いが古い建物も残っていて市電と並走する当時のクルマの風景が楽しい。ただし電車ばかり撮ってしまいオリンパスペンらしい風景は撮れてなかった。

撮影 1964.07.10
系統(白梅町~京都駅前)烏丸線は四条烏丸で四条線とクロスする

系統(九条車庫~九条車庫) 四条線

系統(銀閣寺道~千本北大路) 四条線 

系統(壬生車庫前~壬生車庫前) 四条線

系統(九条車庫~九条車庫) 四条線

四条線 住友銀行の前の電停

①系統が走る軌道がT字分岐点となると、ここは四条大宮でしょうか?
ここから阪急の西院駅までどう歩いたのか古い路線図を調べねば。

2014年10月15日水曜日

オリンパスペンSで撮った京都市電1

東海道新幹線がまもなく開業する年1964年の夏の京都市内はこんな風景であった。
大通りの古いビルもどんどん建替えられているようであった。
京都市電を撮るのに35mm判フィルムでは勿体なく、オリンパスペンSで撮ったのが反って良かった。

 京都市内にはまだボンネットバスが走っていた.1964.07.10

 軌道がある大通りでは祇園祭りの準備が.


四条烏丸の交差点


三和銀行の前を行く大通り風景 四条烏丸

2014年10月13日月曜日

オリンパスペンSで撮った関西私鉄の車両

オリンパスペンSで撮った車両写真、スマホ画面用にBloggerのライトボックス機能(画像拡大)を
全て外してみました。車両写真はこの方が良さそうです。

昭和39年の関西私鉄はこんな凄い電車が走っていた時代でした。

なんだこれは! の面構え
こんな電車を撮った記憶が全くありません.阪急嵐山線201+251  桂 1964.07.10
この電車の事はこちら→デジタル青信号 阪急200型 

この頃は阪急嵐山線に名車デイ100が走っていた. 桂

嵐電の嵐山行き

京都線特急用2扉セミクロスシート車2850形 2800系がデビューした頃. 桂

京都線を行くデイ100急行4連.  桂

桂でみた事業用4302
4300形は、1924年から1925年にかけて新京阪鉄道が製造した電気機関車である。3両が製造され、登場時の番号は1~3であったが、1929年に2001~2003に改番された(wikipediaより)


 京阪電車

京阪 三条駅1番線

京阪 三条駅1番線

京阪に乗り入れた近鉄430型 奈良行き.  三条
この日の三条駅は35mm判フィルムで撮った「雨の京都三条通り」にも紹介しています。

2014年10月10日金曜日

オリンパスペンS で撮った京阪四条駅

ハーフサイズカメラのオリンパスペンSで撮った昭和39年の京都。

フィルムは35mm判以上、レンズは望遠でなければ、そんな鉄ファン必須のカメラとは
正反対の小さなカメラ オリンパスペンS。

あの時代の風景を独特な雰囲気で写し出してくれたのは
オリンパスペンSのDズイコー30mm(35mm判換算42mm相当)の広角気味レンズでした。
オリンパスペンSのこと、そしてオリンパスペンSで撮って箱に眠っていたネガをスキャンし
あの時代の風景をしばらく続けてみようと思います。

京阪電車四条駅  1964.07.10



 加茂川の流れと四条大橋を行く人々



四条大橋を行く市電とバスとクルマ

こちらは少し離れた京阪京津線.電車のことよりいつもこんな人が入った街風景が楽しい.

電車だけ撮ったカットではなく街の鉄風景だけを集めてみると、オリンパスペンで撮ったカットには何故かその時代がよく表れる。今見ると当時は邪魔だったクルマや人物は写し込まれるほど楽しい。
小さなカメラ、オリンパスペンは人を威嚇せず自然に写る。

京阪京津線