案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2018年12月28日金曜日

美流渡の2146 (2) 



撮影:田辺多知夫 1965.7.27

給水のひととき

コールバンカーが改造され屋根上にも石炭が載っている。


2018年12月26日水曜日

美流渡の2146 (1)

昨夜、chitetsuさんの新作16番B6(2120形)を見せてもらい、堪らず田辺さんが撮った美流渡の風景を見てみたくなりました。写真は北星炭礦美流渡礦専用鉄道で動いていたB6と風景です。

撮影:田辺多知夫 1965.7.27
いいですね、美流渡の炭鉱町風景。

B6の背後に写った炭鉱町。

2120型2146と表示されたナンバプレート 

銘板はノース・ブリティッシュ・ロコモティブ1903年製だか、この銘板はおかしくダブス1898年製のはずという説があり。いずれにしても英国製の2120形。

電車モデラーchitetsuさんが作った蒸機B6、モデルにしたのは三美運輸仕様とか。

2018年12月25日火曜日

京福電鉄三国芦原線。 三国港

三国港ー芦原 1968.1.14
2010年に「東尋坊へ向かう電車」そして2011年に「京福電鉄 永平寺から東尋坊へ」をアップしてから8年が経ちました。
終点三国港の写真を今、改めて眺めてみると、この8年の自分の感覚の変化で北陸の海辺の駅や民家が一段と魅力的に見えてきました。現在では綺麗に整備されて、写真に残る昔のこんな味わいは時代の進化と伴に益々深まっていくのでしょう。


松林の中に点在する建屋。三国芦原線の終着駅 三国港

海辺の駅、三国港駅

駅のすぐ裏に三国港と日本海が迫ってくる。

ひと気のない三国港の駅前。

目前に荒れ狂う日本海が拡がる終着駅の全景。この先に東尋坊がある。

荒れる日本海の潮を浴び全身ベタベタとなる。

2018年12月18日火曜日

花巻電鉄鉄道線の春と夏

夏と春の花巻電鉄鉄道線で、未掲載の画像を集めてみました。
軌道線とは異なり格式高い?花巻温泉に通う鉄道線は古さを感じさせない立派な路線であった。専用軌道はしっかりしていて電車も近代的で新しい。

春の陽を浴び冬枯れの木立を行く。1966.3.3

夏の日の夕方、満員電車が花巻温泉に向かう。 1964.8.2
夏の温泉行電車。1964.8.3

春の陽を浴びて。 1966.3.3

春 花巻駅を出るとすぐに左にカーブする。1966.3.3

夏 強烈な日差しを浴びた鉄道線花巻駅。 1964.8.3

花巻温泉街の玄関にふさわしい立派な花巻温泉駅があった。 1964.8.3
昭和39年、温泉通いの電車がまだ賑わっていた華やかな時代。

春  遠くに残雪の山並みを望む。 1966.3.3 撮影:田辺多知夫

そして夏の東北本線花巻駅 1964.8.3

東北本線側から見た花巻温泉郷行電車のりば。1964.8.3

2018年12月15日土曜日

花巻電鉄軌道線 朝の中根古

先日の鉄談義で話題となった花巻電鉄軌道線の中根古あたり、田辺さんが望遠で撮った風景を紹介します。
中山街道は非舗装路で朝のラッシュ時でもクルマは少なく、トレーラ2両を牽いた電車は満員であった。道路にはオートバイや道行く人でクルマ時代到来の直前で、昭和41年の軌道線にまだ活気があった。

撮影:田辺多知夫 1966.3.3
朝、花巻へ向かう電車は満員で道路にクルマは滅多に来ない。道路には徒歩の小学生、親子連れ、自転車と朝の中山街道はのどかであった。 中根古-石神

のどかな花巻風景。 中根古-石神

カーブのところにある「中根古」を過ぎ西鉛温泉に向かう電車。中根古

中山街道のクルマと人影 中根古

ドロの中山街道 石神-西公園

中山街道

花巻の車庫ではこんな風景が。馬づら電車の狭い屋根に4人も乗ったらさぞや怖かったことでしょう。

2018年12月14日金曜日

西武新宿線 拝島ライナー

昨夜は話題の新型電車を初めて間近で見ましたが、中々新鮮でよい感じでした。
一体、S-TRAINと拝島ライナーは何が違うのか、案内を読んでこれも初めて知りました。
拝島ライナーは新型車両40000系を使った昔の拝島快速の復活ということか。


初めて撮った西武新型40000系 西武新宿 2018.12.13

これが通勤車のクロスシートですか。

8年前の拝島快速 2010年3月

昨夜は鯨川地方鉄道の最新作を眺めて鉄談義忘年会でした。

12年前(写真展)の写真を持ってきてくれたcedarさん。chitetsuさん撮影

ネットでこのような昔の写真を語るには、やはりブログでありfacebookには適さないでしょう。昔の鉄道を撮ってきた鉄ファンにとって、昔ネタはやはりブログだと思います。流れゆくその日の記録はfacebookで。ただ、どちらにしてもいつかはネット上で消える運命に。