案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2019年12月28日土曜日

百貨店3階にあった地下鉄。

7年前の渋谷

昨日12月27日、東京メトロ銀座線渋谷駅移転前の最終日を見てきました。
地下鉄渋谷駅にはいくつかの乗車用と下車用の改札口があり、分かりにくい迷路のようなところが消えた下北沢駅に似ていたような気がします。
撮っておきたかったのが改札出るとすぐ百貨店に入れる下車改札口でした。
下車改札口があったは東急東横店西館と南館の分かれ目だったのも今回初めて知りました。

 いつもと変わりない地下鉄渋谷駅の風景。


下車改札口を出るとすぐ東急東横店南館に入れる。 

下車改札を出ると南館と西館の間を進み西館2階に降りる通路。

私が子供の頃から変っていない? 乗車口。

 乗車改札口。

もうひとつの乗車改札口と掲示。




昨日で見納めとなった百貨店3階と地下鉄の組合せ。

2019年12月21日土曜日

鉄道ファンが撮った岩手軽便鉄道

宮澤賢治(1896年-1933年)の「銀河鉄道の夜」と言えば岩手軽便鉄道。
岩手軽便と花巻電鉄と軽便2社が並ぶ(軽鉄)花巻駅のことはRMライブラリー176巻 花巻電鉄(上)で湯口徹氏が解説されています。

先日、(軽鉄)花巻駅を撮った写真を持っているという人に会いました。
昭和11(1936)年8月に岩手軽便鉄道が国鉄に買収され釜石線になった(軽鉄)花巻駅を撮影した方(故人)から切符や写真を譲ってもらったそうです。岩手軽便→国鉄釜石線になっても暫くは車両や切符や施設などは岩手軽便のままだったようです。

岩手軽便の2'6''→3'6''改軌や(軽鉄)花巻駅の移転、花巻電鉄の(軽鉄)花巻~西花巻の営業停止はずっと後の時代であり昭和11 13年の(軽鉄)花巻駅には岩手軽便と花巻電鉄が並んでいた筈です。

その光景を写真に期待したのですが、写真は岩手軽便(国鉄釜石線)の混合列車が停車している風景で残念ながら駅全体は写っていませんでした。
写真は岩手軽便の蒸機1号→ケ236がはっきりと写っているもので、その後ろに連なる無蓋車と客車。

この時代に中判カメラ持って軽便を撮りに行った鉄道ファンは大変珍しいと思われます。
仙南温泉軌道、成田鉄道、三里塚軽便? 武州鉄道、坂川鉄道? 等々 昭和10年頃に撮られた写真をこれから是非お借りしたいものです。


(軽鉄)花巻駅のボールドウィンCタンク機 ケ236  昭和13年

遠野駅のケ235  
残念ながらプリントした写真に東京駅100年のスタンプが押されていた。
撮影:昭和11(1936) 13(1938)年夏 写真所蔵:安達賢氏 


岩手軽便(釜石線)の起点(軽鉄)花巻駅の東北本線花巻駅への移転に伴い、花巻電鉄の起点は線路を短縮して中央花巻駅へ移転した。
以前ブログにアップした中央花巻駅の記事はこちらです→中央花巻駅


2019年12月10日火曜日

秩父鉄道

先日は秩父鉄道の熊谷からお花畑までこの区間を初めて乗ってみました。
この路線の電車で撮るとすれば元西武新101系の再生車くらいですが、広瀬川車両基地に休むブルーに塗られたED電機のフリートを見て貨物列車の先頭につく電機の魅力を感じてきました。

自然豊かな沿線、貨物線のある駅、石灰岩輸送の貨物列車と秩父鉄道の魅力はC58列車(先日のラストランで1年間休止)だけでなく、沿線のいろんな角度から撮影する魅力がありそう。貨物列車については以前から多くのファンが通いつめているようです。

撮影:2019.12.8
急行6000系の前面風景。

奇妙なスタイルをした車掌室付オキフ100形。

横瀬から初めて乗った西武新特急ラビュー。


2019年12月9日月曜日

ある日の西大寺鉄道 後楽園駅

後楽園の駅をブログにアップしたのは2010年7月でした。
再掲の画像と未使用の画像で再びこの駅をアップしてみます。

1962(昭和37)年、初めて軽便を体験したのが西大寺鉄道であった。
そのスタートが朝の岡山電軌に乗ってやってきた街外れのこの後楽園駅。
朝、こんな街外れから乗車する客は殆どいなかった。
廃線1か月前のことである。

撮影:1962.7.29
後楽園駅(再掲)
看板の後楽園駅の文字はかすれて見えなくなっていた。


正面に見えるお屋敷を避けて線路配置はこんなカーブになってしまったのでしょう。

奥へ延びる線路(再掲)

奥にあった単端用のターンテーブル。

運転手が新聞を読んで発車を待っていたキハ7 (再掲)


キハ7

2019年12月7日土曜日

ある日の西大寺鉄道

facebookの友人から西大寺鉄道のこんな画像を提供戴きました。
ありがとうございます、ブログで紹介させてもらいます。
撮影者不明の小さな写真をスキャンしたそうで、撮影はたぶん昭和30年前後かと思われます。独特なこの時代を感じさせてくれます。
画像提供:門田さん

後楽園駅の線路の奥まったところにあった単端用のターンテーブル。

宮本常一の写真を感じさせるような日本の風景。

田んぼの中の交換駅となると西谷駅か。
西谷は民家の縁側がホームの待合所であった。

二人でデッキで積降ししているモノは西大寺裸まつりのポスターのよう。

国鉄と接続していた財田駅の風景。

西大寺車庫の隅で単端に燃料を給油。そばに立つ学生風は当時の鉄ファン同行者か。

西大寺車庫の長閑な風景。西大寺裸祭りで登場する客車が大量に詰め込まれていた。


2019年12月3日火曜日

吉祥寺 鉄道模型アートマルシェ

近くで2日間開催された鉄道模型展を見てきました。

宮下さんの3点の作品。

会場で一見すると作品のよくできた全体像しか分からないが、
後で、写真を拡大すればするほど細部まで作りこんだ凄さが見えてくる。
ということで作品を見る場合、この街並みを時間掛けて歩いたつもりで丁寧に観察してみて初めてその凄さが分かる。

お馴染みの宮下さんの最新作は静岡鉄道秋葉線が走る街並。秋葉線の電車は城東電軌製1/87キットから

  

写真を拡大すればするほど細部まで作りこんだ凄さが見えてくる。
もし接写レンズで撮れば家屋内部の作りまで見えてきそう。


こちらは木造単線機関庫にアクセサリーとして作った検査中の電車。走れない電車ということでジオラマになっている。

城東電軌さんのミニレイアウト製作教室。

2019年11月25日月曜日

根室拓殖鉄道 キ1

北海道のナロー(地方私鉄)で昭和34年9月に消えた根室拓殖鉄道(根室~歯舞)。
HOナローの模型 根室拓殖鉄道キ1(ワールド工芸製)で果たせぬ夢の世界を楽しむ。

40年以上昔、珊瑚模型店で根室拓殖キ1のHOナロー完成品(確かモデルワーゲン製?)を見て買いたかったがこのスケール1/87には手を出さなかった。私は今もナローは1/80だがこの根室拓殖キ1はスケール論を超越した魅力を持っている。


昭和33年8月の時刻表。鶴居村営軌道の上段に小さく現役の根室拓殖鉄道があります。
根室~歯舞 所要時間1時間100円  提供:esehokuさん

私が地方私鉄めぐりを開始した昭和37年の交通公社時刻表では既に根室~納沙布灯台前間がバス路線になっていた。根室~納沙布灯台前 バス所要時間45分140円


写真集の写真は昭和38年8月20日。この頃は銀色であった。その後淡青に塗られたのか?

キ1 昭和24年 田井自動車工業製のHOナロー模型(ワールド工芸製)


  参考:「軽便追想」高井薫平著 ネコ・パブリッシング

2019年11月10日日曜日

西武多摩川線の今昔1

久しぶりに多摩川線を撮ってみました。
電車のカラーリングがこれまでの白一色から西武リバイバルカラーとなり撮影意欲が湧いてきます。


撮影 カラー 2019.11.8
 モノクロ 1962.8.27
昔あった競艇場が今もあるのですね。競艇場前-是政 
かってこのあたりに砂利積込み場があった。60年近い時を経て昔の面影全くなしは当然か。

是政を発車し武蔵境へ向かう電車が道路と並走するのは今も同じで、道路の向こうの貨車のところの今は塀と並木がある歩道になっている。57年前の是政線風景。

競艇場前駅を出て踏切の先をカーブして静かな住宅の合間を行く。
かってこの辺りで貨物引込線が分かれていて奥に砂利運搬貨車が大量に並んでいた。

57年前の競艇場前の駅周辺と踏切。

のどかな風景を電車は武蔵境に向け左にカーブする。駅から延びた貨物引込線が右の茂みに入っていく。

竹藪や柿畑がある静かな住宅地を行く多摩川線。 白糸台-競艇場前

今も長閑な風景が残っている白糸台-競艇場前間。

京王線をアンダークロスして是政へ向かう。 白糸台-競艇場前間
踏切や土手があるのは今も変わっていない。

当時の踏切や土手がある風景。