案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2017年4月23日日曜日

東武鉄道リバティ 運行開始

4月21日運行開始した浅草発6:30の会津田島行きリバティ一番列車に乗って南会津へ。ダイヤ改正で残念ながらあの浅草発会津田島行2ドアセミクロスシート快速は無くなってしまったのですね。

先日の小田急ロマンスカー利用箱根一泊と比べてみると、同一費用で満足度は数倍以上であった。見どころふんだんの日本のふるさと南会津、温泉宿の料理の素晴らしさ、そして特急の楽しさ。今度はリバティに乗って昔SLを追いかけた会津線撮影名所に行ってみたい。

初日の浅草駅 6:30発R表示とリバティ取材陣.

浅草発車時の3両(会津田島行)+3両(東武日光行)

会津田島に到着した一番列車 2017.4.21
会津田島到着の歓迎ぶり

会津田島駅前は町総出のリバティ歓迎一色で大変な盛り上り.
一番列車乗客に地元食べ物や日本酒がふるまわれた.

地元の号外

 クマ汁のふるまいで歓迎の魚屋 会津田島

会津鉄道と並ぶリバティ



日本のふるさと南会津 前沢曲家集落.いずれ大内宿のように「道の駅」化してしまうのか?

2017年4月18日火曜日

宮下洋一作品展-2

先日、さかつうギャラリーで開催されたchitetsuさんの「宮下洋一作品展-2」を見てきました。今年も数えきれないほど多数の作品が展示されましたが、なかでも新作「福島交通さいわい橋」は、私も木橋「さいわい橋」に思い入れがあり作品に惹きこまれました。50年前の「さいわい橋」風景と並べてみました。
作品撮影は全てiPhone7です。

宮下洋一作品展-2

 福島交通さいわい橋 1/87 12mmゲージ

 キャベツ畑の一角

冬のさいわい橋 1966年12月 
上の写真と同一方向から見た改修直後のさいわい橋です.

田辺さんの名作 夏のさいわい橋 1964年7月

お馴染み中越地方鉄道 田島口駅 1/80 16.5mm

阪堺電気鉄道 住吉

阪神国道線 金魚鉢

2017年4月11日火曜日

茨城交通湊線 昭和41年

マルーン一色の北海道勢が大挙入線する前の昭和41年、いかにも茨城交通らしいツートンカラーの気動車が活躍していた時代がありました。茨城交通茨城線の廃線で転じて来た気動車ケハ401(山鹿温泉鉄道向)やケハ301(元国鉄07)かと思ったが茨城線から入線があったはこの後1971(昭46年)頃でした。
それにしてもこの数年前までナスミスウィルソンがオハ31系を牽く海水浴列車が走っていたとは驚きで、大変に変化に富んだ楽しい湊線だったのですね。

撮影:田辺多知夫氏 1966.02.09

阿字ヶ浦のケハ301

茨城線にも同型401がいた 湊線ケハ402

  この時代独特の沿線風景によく似合う ケハ402.


ケハ301(元国鉄42000)

海辺?を行くケハ402

湘南2枚窓タイプのケハ402とケハ601

昭和35年にデビューした日本初のステンレス製気動車 ケハ601

電車崩れではなく客車として造られた東武電車形客車 ナハニフ22、21

昭和39年頃まで右のオハ31系を牽いて活躍したナスミスウィルソン製 4号機.

ケキ103  背後に民家のTVアンテナが林立していた時代.

以下は1972(昭47)年夏   撮影:風間克美
茨城線からやってきたケハ401はマルーン一色に塗り替えられた.1972年夏

私が訪問した昭和47年夏は茨城線から来たケハ401 ケハ45がいたが、北海道勢軍団が主力になっていて活躍の場が無くなっていたようだ。

2017年4月9日日曜日

美しき日本の風情7

昨年秋の6回まで続けた「美しき日本の風情」シリーズでアップして直ぐに引っ込めてしまった第7回目がありました。 

BSジャパン「ローカル線気まぐれ下車の旅」の番組に提供した画像(と言ってもTVはロクなことありません)。津軽鉄道 五所川原駅 1966年3月. 3月とはいえ寒くてなんとなく正月休みの帰省のような雰囲気です。

豊沢 中山街道を行く花巻電鉄軌道線 交換駅二ッ堰? 1964年8月

お盆休みの羽後交通雄勝線 1964年8月
今は明治村で走っているこの古典客車はしっかり整備して美しい状態で日常的に使われていました。小野小町の秋田米どころでどんな新型車両よりも美しい古典車が走っていた。