案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2017年4月11日火曜日

茨城交通湊線 昭和41年

マルーン一色の北海道勢が大挙入線する前の昭和41年、いかにも茨城交通らしいツートンカラーの気動車が活躍していた時代がありました。茨城交通茨城線の廃線で転じて来た気動車ケハ401(山鹿温泉鉄道向)やケハ301(元国鉄07)かと思ったが茨城線から入線があったは後の昭和46年頃でした。
それにしてもこの数年前までナスミスウィルソンがオハ31系を牽く海水浴列車が走っていたとは驚きで、大変に変化に富んだ楽しい湊線だったのですね。

撮影:田辺多知夫氏 1966.02.09

阿字ヶ浦のケハ301

茨城線にも同型401がいた 湊線ケハ402

  この時代独特の沿線風景によく似合う ケハ402.


ケハ301(元国鉄42000)

海辺?を行くケハ402

湘南2枚窓タイプのケハ402とケハ601

昭和35年にデビューした日本初のステンレス製気動車 ケハ601

電車崩れではなく客車として造られた東武電車形客車 ナハニフ22、21

昭和39年頃まで右のオハ31系を牽いて活躍したナスミスウィルソン製 4号機.

ケキ103  背後に民家のTVアンテナが林立していた時代.

以下は昭和47年夏
茨城線からやってきたケハ401はマルーン一色に塗り替えられた.1972年夏

私が訪問した昭和47年夏は茨城線から来たケハ401 ケハ45がいたが、北海道勢軍団が主力になっていて活躍の場が無くなっていたようだ。

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