案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2018年11月30日金曜日

美しい雄勝線

雄物川を渡った先、雄勝平野の美しい一面緑の田んぼの中で朝の列車を待っていると、下りと上りの列車がのんびりとやってきた。ほんとうに美しい光景であった。

羽後山田を発車した下りの梺行列車。羽後山田ー貝沢 1964.8.6

二つ先の羽後三輪で交換した上りが、湯沢に向けてやって来た。羽後山田ー貝沢

羽後山田駅風景。この列車に乗って西馬音内へ向かう。

西馬音内駅と電車区

小さな電車が牽く客貨混合列車。

2018年11月24日土曜日

竜ヶ崎線 龍ヶ崎機関区

昨日は半世紀ぶりに訪問した竜ヶ崎線で、良き時代の龍ヶ崎機関区を偲びました。

半世紀前の撮影:1962年3月、1963年8月

龍ヶ崎機関区 1963.8.17

龍ヶ崎機関区の佇まい。

井戸の隣にあった機関区の現状。2018.11.23

給水塔の脇にあった井戸の遺構。




 1962年の竜ヶ崎駅。

竜ヶ崎駅前の今、やはり北関東の空は青くて広い。2018.11.23

2018年11月21日水曜日

鉄道ピクトリアル 最後の広告です。

鉄道ピクトリアル誌毎号に掲載されてきました写真集「地方私鉄1960年代の回想」の広告も、本日発売の鉄道ピクトリアル1月号(No.955)が最後の広告となりました。皆さまのお蔭で、まもなく売り切れ、ほんとうにありがとうこざいました。




2018年11月19日月曜日

伊豆箱根鉄道軌道線 モハ7

昨日から本日まで吉祥寺で開催中の鉄道模型コラボ展に、伊豆箱根の単車モハ7が出展されていました。
城東電軌さんでは数年前から1/87で車体と台車のエツチング板を発売しているそうです。
伊豆箱根鉄道モハ7を調べてみるとS28年に休車になってS38年廃車でした。
城東電軌さんの製品化は毎度大変に欲しくなる題材ばかりで目が離せません。
1/80 13mmゲージなら完成品(あれば)迷わず買います。



渋いですね伊豆箱根鉄道のツートンカラー。

2018年11月13日火曜日

遠鉄奥山線 気賀口 2

気賀口駅周辺の5万分の1地図(S35年)がありました。

1963(S38)年4月まで気賀口の先、奥山まで延びていた線路は、気賀口を出ると井伊谷川を渡らず橋の手前で急カーブして道路を横切って井伊谷川の土手を走っていた。気賀の町外れで川向うにあった気賀口駅の位置関係と、川の手前の急カーブが地図でよく分かる。
井伊谷川を渡る道路形状が現在と異なるのは、橋が少しだけ上流側につけ替えられたのだろう。


撮影:1964年3月、10月
奥山~気賀口廃線後の気賀口の終端部。道路を横切って土手に向かう廃線跡(築堤)が残っていた。
当時の道路は橋の手前で今と違って左にカーブしている。

廃線跡めぐり 2000年5月


きがぐち駅前

気賀口最後の日 1964.10.31

以下は気賀口の遠鉄浜松方面の風景。
  気賀口から遠鉄浜松方面に向かう直線区間。

直線区間の先で国鉄二俣線に接近する。

二俣線に接近したところに小さな岡地駅があった。3'6''と2'6''ゲージの並走区間。

岡地駅を出て右にカーブすると暫く国鉄二俣線と並走してから二俣線をオーバークロスする。

2018年11月11日日曜日

遠鉄奥山線 気賀口 1

町の中央部には都田(みやこだ)川の沖積地が広がり,北部は山地,南部は三方原が占める。中心の気賀(きが)はかつて浜名湖舟運の一拠点で,江戸時代には三ヶ日,浜松に通じる東海道の脇往還,姫街道(現,国道362号線)が通じ,関所が置かれていた。江戸後期からイグサの栽培が行われたが近年はミカン,メロン,キーウィフルーツ,レタスの栽培や酪農が盛んになっている。…気賀の紹介記事

こんな気賀の町外れ井伊谷川の対岸にあったのが奥山線の終点「気賀口」であった。気賀口はこれまでブログで何回も取り上げて来ましたが、未使用画像を追加してもう一度整理(既出画像含)してみます。
撮影:1964.3.23
オリンパスペンで撮った最も好きな風景の1枚。線路はボギー貨車のところで終わっている。この写真の1年前まではこの線路の先は川沿いに右に大きくカーブして奥山まで向かっていた。
ここで線路が終わる。

気賀口を出ると右へカーブして井伊谷川に沿って進む今の風景。

寂しげな気賀口駅。道行く人がジオラマの人形みたい。

いかにも温暖な地方を感じさせる駅前の民家。

気賀口を発車した気動車。一面に拡がる田んぼの畦道には肥料の桶が置いてある。


奥山まで走っていた時代の気賀口。1963年4月

2018年11月9日金曜日

旧東海道を走ったモハ205と206

facebookで伊豆箱根鉄道軌道線のポール電車で最も魅力溢れるモハ205、206の模型の写真が出てきて驚きました。こんな渋い電車を作る方がいるんですね。伊豆箱根鉄道のツートンカラー(グリーンとクリーム)が懐かしい。

ペーパークラフト工房 フジドリームスタジオごーまるいち【Fuji Dream Studio 501】さんの模型(未製品化)は1/40だそうです。
こんな模型を部屋に飾ってみたい!

撮影:1963年2月、7月
こんな旧東海道を走っていた軌道線の電車。1963年2月は廃線直後で線路が外されていた。

線路が外された廃線直後の長沢車庫。

 モハ206(田中車両製) 旧西武 大場工場 1963年7月
松本電鉄浅間線と同様に運転台が一段下がったタイプ。

モハ15(元大雄山線)車中から見ると、隣に見えるモハ206の運転台が異様に低い。

左モハ16(元大雄山線)と右モハ206の高さの差。

モハ206と同型のモハ205 旧西武

2018年11月6日火曜日

遠鉄奥山線 曳馬野駅風景 

電車と気動車がバトンタッチする曳馬野は次々とやってくる電車や気動車で楽しい駅であった。非電化区間では外観が異なる3タイプの気動車が活躍していた。

撮影:1963.4.4、1964.3.23
電車区間を曳馬野へ向かう途中で、上池川で列車交換。乗って楽しい丸妻客車の最後部にはいつも客が立っていた。

曳馬野の駅舎と大きなパンタ。

非電化区間の気動車には1802、1803、1804がいた。ライトがばかにでかい1803。

曳馬野駅風景

気賀口から非電化区間を走って来た遠鉄浜松行の気動車。金指まで並走するバス道路はバス代替え時点でもこんな非舗装路であった。

遠鉄浜松行き列車の乗客は気動車から電車に乗り換える。

曳馬野を発車した電車は殺風景な三方原台地を遠鉄浜松へ向かう。

帰りに立ち寄った駿遠線 袋井駅風景 1964.3.25