案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2012年10月30日火曜日

西武山口線 元井笠の赤い客車


西武多摩湖線の終点西武遊園地 2010.04.30

西武遊園地の駅を降り階段を登ると西武遊園地ではなく「西武園ゆうえんち」がある.

「西武園ゆうえんち」内のレストラン施設に使われていた蒸機527列車. 2011.04.28

遊園地の中にあった元井笠のダブルルーフ客車4両E31~34.
この時の客車のN0表示は全て31であり、客車細部の相違点から
元井笠のホハは左からホハ5+ホハ10+ホハ2+ホハ6と推定される.

「レストランぽっぽ」に使われていた客車4両は井笠時代から1両1両 細部が微妙に異なる.

1984年5月お別れ運転の時の元井笠ダブルルーフ客車4両 E31~E34. 西武遊園地駅
これがそのままレストランに使われた.

こちらは元井笠のシングルルーフ客車4両 E35~E38.
この中の2両は元井笠のホハ18、19で神高鉄道(神辺~高屋間)からの引継車であった.

2012年10月29日月曜日

多摩湖線 昔の多摩湖駅の跡

山形交通高畠線の元西武モハ101系
昔、こんな小さな多摩湖線モハ101系が発着していた終点「多摩湖駅」とは一体どこにあったのか?
一昨年「多摩湖駅」の跡を確認したことがありました。
多摩湖駅の改名、移動の歴史は複雑怪奇のようです。

 多摩湖駅の跡 2010.05.16  クリックで拡大
昔の終点多摩湖駅はこんなところにあったのだ。そしてあの小さな電車がここに・・・
狭山公園の脇を走る多摩湖線に沿って土手があり、そこに車止めらしきものが見える。
昔の終点はこの土手で行き止まり.

この行き止まりを鉄橋で延長して駅を移動し、駅名変えたのが今の「西武遊園地駅」ということに.

延長区間の鉄橋を渡り、終点「西武遊園地駅」へ.

狭山公園側から見た昔の「多摩湖駅」があったところ.
こんな土手の上の狭いところに終着駅が !


多摩湖線の萩山から先の区間で国分寺-西武遊園地直通のN101系を撮りに行ったことがあったが、多摩湖線にこんなに緑多い区間があったとは最近まで気付かなかった。

西武遊園地ー武蔵大和   2010.05.16
鉄橋の手前が昔多摩湖駅があった所で、その先延長した行止りが現在の西武遊園地駅.

新緑真っ盛りの狭山公園脇を行く国分寺行. 西武遊園地ー武蔵大和 2010.05.16
多摩湖の脇に狭山公園があり離れたところに狭山湖がある。ここが何で狭山公園なのかややこしい名称.

2012年10月27日土曜日

多摩湖線 一橋学園駅の夕暮れ時

久しぶりに暮れゆく西武多摩湖線の一橋学園の駅を撮ってみました。

3年位前はよく多摩湖線を撮りに行ったものだが、最近はすっかり止めてしまった。
猛暑もとっくに過ぎ秋から冬にかけて撮影に絶好の季節となったきた。
多摩湖線「一橋学園」駅の魅力は、各駅停車のみで爆音たてて駅を通過するような列車はない、
ホームまで大きな階段の上がり下がりの必要がない構内踏切のある駅、
夕暮れ時の駅と街並の一体感などで、
東京近郊でローカル私鉄を感じさせてくれる雰囲気がある。

秋の夕暮れ時の一橋学園駅  2012.10.26  クリックで拡大

駅を降り踏切を渡って小さな改札口を出ると駅前商店街が続く.
陽が落ちてうす暗くなると駅前商店街の灯りが輝き買物客が繰り出す.
駅は街行く人々の目線の高さにあり街並と一体になっている.

改札口の時計は5時4分、夕闇せまるこの頃 商店街の灯りは益々輝いてくる.
駅はこれから通勤客で賑わう時間帯を迎える.

冬の夕暮れ時の風景  2010.01.27

2012年10月26日金曜日

西武山口線 台湾から来たコッペル

1972年6月から1973年にかけて登場した頚城鉄道2号機と井笠鉄道1号機のコッペルは
元台湾糖業公司の蒸機2両が登場する1977年まで運転され、その後は元の頚城・井笠に返却された。
頚城と井笠のコッペルが運転されたのはこの間約4~5年くらいだったのでしょう。

1977(昭52)年に訪問した時は既に頚城・井笠のコッペルなき後で台湾から来た大きなコッペル527と532が入線し井笠の客車を牽いていた。これもコッペルだが海外から来たのと、その大きさに私は余り関心が向かなかった。
台湾コッペルは1984年まで約7年間運転され、山口線の休止後 532はユネスコ村駅跡地で保存された後北海道の丸瀬布町にある「丸瀬布いこいの森」へ移動。527は西武遊園地内でレストランとして使用されていたがレストラン廃止により昨年6月に台湾の博物館に移設された。

527が牽く井笠平屋根客車  西武遊園地 1977年

527 西武遊園地

ユネスコ村へ向かう527の列車

ユネスコ村での付替え作業

バックで西武遊園地へ引き返す列車. 1977年
子供達を列車に載せ、親は車で列車を追いかけて列車に乗った我が子の姿を撮る.
自分を含め多くの親子連れはこんなパターンが多かったようだ.

 夏休みの家族サービスで山口線を訪問.
井笠平屋根客車×4両. ユネスコ村 1980.08.14

2012年10月24日水曜日

山口線入線以前の頚城と井笠のコッペル

西武山口線に蒸気機関車が入線してきたのが1972年。
その10年くらい前に頚城鉄道と井笠鉄道で見たコッペルの姿はこんなでした。

頚城鉄道2号機 百間町車庫  1962.08.03
キャブのヒサシや引き戸、排障器など細部に現地ユーザ仕様が付いていた.


井笠鉄道1号機  くじ場車庫   1962.7.30


2012年10月22日月曜日

西武山口線 頚城鉄道2号機

山口線に登場した頚城鉄道2号機  1972.08.13 ユネスコ村駅


西武山口線で頚城鉄道の2号機が運転開始されたのは「さよなら運転」の12年前1972年6月3日。入線直後にユネスコ村駅に行くと雨の中を2号機が煙を吐いていた。この頃はまだ井笠の客車は入線してなく蒸機とは不釣り合いな密閉型客車を牽いていた。
雨の中、本物の軽便蒸機にファンが集まる. ユネスコ村駅 1972.06.04

山口検車区から西武遊園地駅へ出動する頚城2号機


そしてその年の夏には沿線や山口検車区を訪れた.井笠の1号機はまだ入線してなく蒸機は頚城2号機だけであった.東京近郊で火が入った軽便蒸機が列車を牽くのはほんとうに夢のようであった.
1972.08.13 




頚城2号機 山口検車区 1972.08.13 
バッテリー式機関車B11形13と並んだ頚城2号機  1972.08.13 
向こうに鉄連軽貨車の台車が見える。鉄連の名残がおとぎ列車の客車台車に使われていたとは !

2012年10月21日日曜日

ユネスコ村ゆき おとぎ電車

西武鉄道初代山口線は軽便蒸機で有名でしたが、私達年代の多くはユネスコ村の遠足で乗った「おとぎ電車」の思い出が強く印象に残っていると思います。山口線では蒸機や井笠客車だけにしか目が向かなかった私でしたが、兄のアルバムの中に最後の「おとぎ電車」の写真を見つけアップしてみました。

山口線さよなら運転の遊園地前駅には「蒸気機関車・おとぎ電車 さよなら記念ウィーク」の看板が下がり、ホームには「おとぎ電車」が見える。駅の屋根上には “おとぎ列車で15分 ユネスコ村ゆき おとぎ列車” の大きな看板が。思い出の「おとぎ電車」はさよなら蒸気機関車の影でひっそり消えて行った。
蒸気機関車・おとぎ電車 さよなら記念ウィーク」の遊園地前駅  1984年5月

遊園地前駅の「おとぎ電車」

さよなら「おとぎ電車」  遊園地前駅

楽しそうな子供達を満載した さよなら「おとぎ電車」  1984年5月
ユネスコ村遠足で乗ったのは確かこんな開放型客車だった。

さよなら蒸気機関車  遊園地前駅
 遊園地前駅

西武鉄道山口線の経緯
1950(昭25)年08月01日 遊技施設おとぎ電車 多摩湖ホテル前ー上堰堤間が開通
1951(昭26)年09月16日 おとぎ電車 上堰堤ーユネスコ村間の延長が開通 
                                 ユネスコ村開園
1952(昭27)年07月15日 地方私鉄に転換、山口線に改称
1963(昭38)年07月01日 多摩湖ホテル前駅を西武遊園地駅に改称
1972(昭47)年06月03日 頸城鉄道2号機「謙信号」の運行開始
1973(昭48)年07月05日 井笠鉄道からの木造客車が配属開始
1977(昭52)年09月23日 頚城井笠の蒸機に代え元台湾糖業公司の蒸機5型2両の運行開始
1979(昭54)年03月25日 西武遊園地駅→遊園地前駅と改称

1984(昭59)年05月13日 山口線さよなら運転
1984(昭59)年05月14日 山口線新交通システム工事着手

2012年10月16日火曜日

沼尻鉄道の廃線直後2

沼尻鉄道(磐梯急行電鉄)が営業休止した2ヵ月後の1968(昭43)年12月、社員旅行で磐越西線に乗って川桁駅を通過したことがあった。鉄道廃止は1969(昭44)年4月1日であり、この時に車窓から見えた沼尻鉄道は、車両や施設がそのまま凍結された運転休止中の光景であった。
この4か月後に沼尻鉄道は再開することなく廃止されてしまった。


磐越西線 喜久田     1968.12.15
郡山から猪苗代へ向かう途中の磐越西線、既にD50の時代は終わっていた.

磐越西線 安子ヶ島

中山宿を越えて川桁を通過中に車窓に見えたのは営業休止中の川桁駅光景であった.1968.12.15
運転休止中のボハ7+ボハフ1+ボハフ2の3両が休んでいた.
川桁駅のボハフ1+ボハフ2