762mmゲージの草むした軌道が百間町の先で左へカーブし新黒井まで一直線に進む。遠くに新黒井に向けて過ぎ去った列車が小さく見え、あたり一面は真夏の太陽が照りつける田園風景が拡がる。この百間町~新黒井間が部分廃線となるずっと前の1962(昭37年)、頸城鉄道はまだまだ元気があった。
赤字路線であったが豪雪地帯の冬の交通として存在し、この頃は廃線の話しも全く聞かれなかったそうである。百間町の車庫にいた豪雪に備える車両達は冬になれば毎年活躍していた。
百間町には頸城鉄道自動車㈱の本社があった.
翌昭和38年には創業50周年を期して直江津に新社屋を作って移転した.
夏の百間町駅 1962.08.03
百間町の機関庫の中ではDB81が休んでいた.
元々はホハ3で、動力化でホジ4となり、その後また客車に戻されたホハ5.
ホジ4の時代は客室の両端右側に運転席があり、デッキと客室の間のガラス窓から前方を見て運転していたというゲテモノ.ホジ4を想像すると密閉式のホジ3がまともに見えてしまう.
頸城と言えばこの方
「夢遊生活の日々」さんの車両工作室にホジ4のことが紹介されています。
十勝鉄道からやってきたDC123. 冬の除雪で重用されていた.
コッペル2号機
豪雪時期には活躍したラッセル車 ラキ1(元国鉄魚沼線)
構内の除雪用に使われた貨車を改造したロータリー車 ロキ1.
百間町のこれらの車両は全て現役であった。
6年後の昭和43年夏の百間町駅.1968.08.18
参考: 鉄道ピクトリアル私鉄車両めぐり第5分冊 頸城鉄道