案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2013年3月27日水曜日

大多喜のたんたん麺

先日、いすみ鉄道鳥塚社長の社長ブログに「大多喜のたんたん麺」のことが書かれていました。 

ちょうどこの日、私達は夷隅郡大多喜町の民家の裏にひっそりとたたずむ夷隅(いすみ)軌道の遺構を訪ね、
鉄道ホビダスの編集長ブログに紹介された夷隅軌道の転車台 の跡を眺めていました。
大多喜駅にあった復元人車なら方向転換なんて必要ないだろう? との同行メンバーの疑問に、
私はあの夷隅軌道の単端式ガソリンカーが目に浮かびました。
大多喜のたんたん麺、何とかわいらしい単端でしょうか。

2フィートゲージの単端がこの転車台で方向転換したのでしょう.大多喜  2013.03.23

夷隅軌道の車庫跡

大多喜は街全体が古い町並みを保ち城下町のような雰囲気を保っています。
そんな大多喜の街中の「房総中央鉄道館」にあったHOナローの単端。

アルモデルの夷隅タイプ自動機客車の模型(Oナロー)は→こちら

沼尻 ガソ101の小さな転車台と方向転換。沼尻の単端と較べると夷隅のはかなり小さい。

2013年3月23日土曜日

いすみ鉄道 新型350型

今年2月にデビューした新型350型とこれに搭載されたコマツエンジンSA6D125HEを見に行ってきました。

新型350型コマツエンジン搭載車  大多喜 2013.03.23
300型と違って車体前面が国鉄キハ20系気動車の復刻版とは素晴らしい。そして従来型の客室窓で透明ガラスが気に入りました。今までと同様にガラス越しの菜の花の色合いや、風を楽しめることでしょう。

乗客を楽しませてくれる土日運転の行楽列車サービス.キハ52+キハ28. 大多喜

2013年3月22日金曜日

今日が最後の小田急下北沢地上駅

とうとうこの日がやってきた。下北沢らしい駅の風景はその全てが明日から見られなくなる。


今迄で最もカメラを向けたのが、連絡通路から見る上りホームのこの場所だった.2013.03.22

連絡通路と上りホーム
上りホームのベンチから眺める下北沢風景の見納め. 2013.03.22

地上駅の踏切風景をカメラに納める人々.

井の頭線の橋脚と橋脚の間にある連絡通路.

井の頭線ホームから小田急へ連絡通路を下る.

小田急下り線ホームの連絡通路.

下り線ホームの連絡通路「空中廊下」

下北沢駅の記事は過去に下北沢駅1 と 下北沢駅2があります。

2013年3月21日木曜日

石神井川の桜2

もう少しで満開となる石神井川の桜.
  西武鉄道新宿線  東伏見-武蔵関  2013.03.21

レッドアロークラシックの出現に大喜び

 東伏見-武蔵関  2013.03.21

2013年3月20日水曜日

石神井川の桜1

今年も石神井川の桜が咲き始めました。
散歩デジカメ写真をfacebookにアップしたのですが、撮った原画を自動一発で960pix 200KBへリサイズして綺麗に見る。PCでやっている私のブログではこんなことは出来ません。
今や、ブログで原画の最適化リサイズ等の内職作業や容量制限に配慮なんて時代遅れなのでしょう。


facebookの自動リサイズ画像 960pix 200KB 武蔵関 2013.03.19
新宿線レッドアロークラシック(3月16日~21日運行)



2013年3月16日土曜日

今朝の渋谷駅地下化

今日の朝一に代官山へ駈けつけてみると、昨日までのレールが梁桁の上に乗っていたのには驚いた。代官山の地上にあった線路を地下線へと切り替える工事は、前日15日の終電後から16日始発まで深夜のたった4時間で行われた。

工事は総勢1200名態勢による一部ホームや架線・線路の撤去、桁打上・降下、地上線と地下線の接続、試運転などだそうで、高級住宅地の中でこれだけの付替え工事を4時間でやってしまうとは !
朝の現場は写真の通りで、深夜の作業の全てが終了し工事関係者は見かけず警備員がいるだけの静かな朝であった。


今朝の代官山の地上線と地下線の接続部分. 2013.03.16
桁打上区間の線路を上げ(梁桁の上に前日迄の線路が見える)、桁降下区間の線路を下げ、
その間にある前日迄の線路をクレーンで撤去し、地上線と地下線が接続された。

代官山駅の桁降下区間と線路撤去区間.徐々に下って地下線と接続.
バラスト軌道が昨日までの地上線の下に既に用意されていた区間なのでしょう.

 桁打上げ区間

前方に跳ね上がった桁打上げ区間を反対(渋谷)側から見る.
前日までの地上線光景

昨日までの華やかな日常光景から一変し、使命を終え静まり返った渋谷ターミナルの朝.
今回の地下化工事により、地上の東横線渋谷駅は24時49分の終電到着を最後に
ターミナルとしての使命を終え地下5階にある現在の副都心線ホームへと移行した.
無機質・画一的な地下駅と較べると、華やかな私鉄ターミナル駅の素晴らしさがよく分かる。

地下5階の横浜方面行き3・4番線の開通直後

2013年3月14日木曜日

明日で終わる渋谷駅風景

いよいよあと2日となった本日の東横線駅渋谷駅、お別れで賑わう風景を撮ってみました。2013.03.14



2013年3月7日木曜日

頸城鉄道 夏の新黒井駅

真夏のガンガン照りの下、新黒井の駅で待ち受けていた列車. 1962.8.3
笠をかぶった人が二人草刈りをしていて構内はきれいに手入れされていた.


ボギー客車のデッキまで客が溢れている.

浦川原まで往復して新黒井に戻ると、真夏の日照りも弱まり新黒井の構内は夕方を迎えていた。
夕暮れ時で客が多くなりボギー客車は2両連結となった。客貨混合列車でやって来る貨車は国鉄貨車の脇で盛んに荷の積み替えをやっていた。
信越本線黒井駅からの乗換え客で賑わう新黒井駅.  1962.8.3

夕暮れ時の新黒井駅構内

新黒井へやって来た混合列車は貨車が何両も繋がれていた.


軽便貨車


以下はその6年後の夏の風景。

1968年の夏はまだ新黒井~百間町間が部分廃線される前であったが、構内の奥には夏草が生え茂り、留置された放置車両が荒れ果てていた。そんな荒れ果てた光景でも、日中は客貨混合の長大編成が何本か走っていたので国鉄貨車への積み替えは部分廃線前日まで盛んに行われていたのだろう。

部分廃線直前の新黒井駅.   1968.08.18
この直後に新黒井駅は閉鎖され、国鉄との接続がなくなり貨物輸送も全廃となってしまった。

部分廃線を控え夏草が生い茂る新黒井の構内.

2013年3月4日月曜日

頸城鉄道 夏の百間町


762mmゲージの草むした軌道が百間町の先で左へカーブし新黒井まで一直線に進む。遠くに新黒井に向けて過ぎ去った列車が小さく見え、あたり一面は真夏の太陽が照りつける田園風景が拡がる。この百間町~新黒井間が部分廃線となるずっと前の1962(昭37年)、頸城鉄道はまだまだ元気があった。

赤字路線であったが豪雪地帯の冬の交通として存在し、この頃は廃線の話しも全く聞かれなかったそうである。百間町の車庫にいた豪雪に備える車両達は冬になれば毎年活躍していた。

百間町には頸城鉄道自動車㈱の本社があった.
翌昭和38年には創業50周年を期して直江津に新社屋を作って移転した.

夏の百間町駅 1962.08.03

百間町の機関庫の中ではDB81が休んでいた.

元々はホハ3で、動力化でホジ4となり、その後また客車に戻されたホハ5.
ホジ4の時代は客室の両端右側に運転席があり、デッキと客室の間のガラス窓から前方を見て運転していたというゲテモノ.ホジ4を想像すると密閉式のホジ3がまともに見えてしまう.
頸城と言えばこの方「夢遊生活の日々」さんの車両工作室にホジ4のことが紹介されています。

十勝鉄道からやってきたDC123. 冬の除雪で重用されていた.

コッペル2号機

豪雪時期には活躍したラッセル車 ラキ1(元国鉄魚沼線)

構内の除雪用に使われた貨車を改造したロータリー車 ロキ1.
百間町のこれらの車両は全て現役であった。


6年後の昭和43年夏の百間町駅.1968.08.18


参考: 鉄道ピクトリアル私鉄車両めぐり第5分冊 頸城鉄道