案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2013年3月7日木曜日

頸城鉄道 夏の新黒井駅

真夏のガンガン照りの下、新黒井の駅で待ち受けていた列車. 1962.8.3
笠をかぶった人が二人草刈りをしていて構内はきれいに手入れされていた.


ボギー客車のデッキまで客が溢れている.

浦川原まで往復して新黒井に戻ると、真夏の日照りも弱まり新黒井の構内は夕方を迎えていた。
夕暮れ時で客が多くなりボギー客車は2両連結となった。客貨混合列車でやって来る貨車は国鉄貨車の脇で盛んに荷の積み替えをやっていた。
信越本線黒井駅からの乗換え客で賑わう新黒井駅.  1962.8.3

夕暮れ時の新黒井駅構内

新黒井へやって来た混合列車は貨車が何両も繋がれていた.

軽便貨車から国鉄貨車への積み替え作業.


以下はその6年後の夏の風景。

1968年の夏はまだ新黒井~百間町間が部分廃線される前であったが、構内の奥には夏草が生え茂り、留置された放置車両が荒れ果てていた。そんな荒れ果てた光景でも、日中は客貨混合の長大編成が何本か走っていたので国鉄貨車への積み替えは部分廃線前日まで盛んに行われていたのだろう。
部分廃線直前の新黒井駅.   1968.08.18
この直後に新黒井駅は閉鎖され、国鉄との接続がなくなり貨物輸送も全廃となってしまった。

部分廃線を控え夏草が生い茂る新黒井の構内.

2 件のコメント:

Namiki さんのコメント...

先輩方からみれば、まだまだ若輩者の小生ですが、世間一般には初老のオヤジであり、街で行き倒れれば孤独な老人扱いかもしれません(汗)

しかし、今回のお写真を拝見し、もっと早く生れていればとあらためて思った自分がいました。やはり、60年代までの私鉄は素晴らしいです。頸城も末期は寂しい限りとなりましたが、それでも現役時代に立ち会えたかどうかは、どうやら人生の大きな礎になっているようだと、まさしく再認識させていただきました。

katsu さんのコメント...

Namikiさん
いつも考えさせられるコメントをありがとうございます。
私もあと数年早く生まれてたら、と同じようなことをよく思います(笑)

私が撮り始めたのは昭和37年~でその以前が体験できなかったのですが、昭和37年の地方私鉄はまだ戦後を引きずっていたような気がします。昭和37年が過ぎてからは社会の急速な変化で、元気だった地方私鉄も様変わりしたようです。
私にとってはたった1年でしたが、1960年代の中でも何かが違う昭和37年をNamikiさんのコメントから感じさせてもらえました。