案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2023年7月18日火曜日

最近の再スキャンより 頸城鉄道2

頸城鉄道が1968年部分廃線になる直前の夏は最後の活気が見られた。
この数か月後の10月に新黒井~百間町、百間町~浦川原が廃線となった。
貨物輸送をしていた時代で客貨混合長大編成の列車がまだ走っていた。



撮影:1968.8.18

この頃のホジはボギー客車1両と貨物2両を牽いていた。百間町


構内に草が生え荒れ始めた新黒井駅。


ホジの車内。


客貨混合長大編成の列車. 百間町



終点 浦川原駅風景。


待合室の掲示板によると、浦川原から松代(マツダイ)、松之山温泉、十日町などへ向かうバス路線があって、直江津へもバス路線が繋がっていた.1968年ともなれば道路の整備もかなり進んできたと思われる.

2023年7月17日月曜日

夏の清里

清里と言えばあれから50年。あの頃華やかだったアンノン族も今や70代へ、あの女性たちのお孫さん世代が闊歩する今の清里。先日、清里の駅から奥に入った清里フォトアートミュージアムを訪れてみた。


この夏の清里駅。



ディスカバージャパンで賑わった清里駅 1971.8.15

清里フォトアートミュージアムで開催中の写真&ジオラマ展。




初めて見た鯉江さんのアメリカン(1930年代)Oナローの全貌。6つのセクションを結合させたレイアウトで運搬が大変だったと思います。背後の写真はO.ウインストン・リンク氏の1950年代の夜のアメリカン蒸機で、写真展とジオラマが一体となった展示であった。



E200形ハイブリッド式(シリーズ方式)気動車。野辺山
昔のDF50流に言うと電気式ディーゼルカー。

2023年7月15日土曜日

コクリコ坂から 昨夜再び

昨夜のテレビ放送。 
「コクリコ坂から」 1963年5月、横浜。
横浜市電の2軸電車が通り過ぎるほんの一瞬の場面。




麦田町の本牧トンネル. 1963.5.3

2023年7月10日月曜日

最近の再スキャンより 頸城鉄道1

 1962(昭和37)年夏の頸城鉄道を再スキャンしてみました。
これまで掲載してきた画像に比べ格段に画質がアップしています。
下の61年前のネガのスキャンで4点以外はゴミ削除やトーン調整が全く不要でした。


撮影:1962.8.3
明治村に到着する客貨混合列車。
1968年もこんな客貨混合の長大編成がまだ走っていた。


マキを満載したトフを牽く交換列車。明治村


小さな貨車から国鉄貨車へ積替え。新黒井


夕暮れの新黒井。


夏草茂る百間町。



百間町の車庫。



コッペル2号機。


十勝鉄道からやって来たDC123。


トラックから小さな貨車に荷の積込み 浦川原。

2023年7月8日土曜日

駿遠線を初めて訪問した頃。

1963年春、その正体がよく分からなかった静岡鉄道駿遠線を初めて訪問した。DB機関車が大活躍していたのが驚きであった。そんなネガの隣に写っていたのが東急東横線であった。 

撮影:1963年4月

DB機関車が牽く列車が次々やって来た駿遠線袋井駅。


袋井駅のDB機関車が牽く列車。


その頃の東急東横線 多摩川園前。


東急荷物電車 木造デワ3041


東急碑文谷工場ののデワ3001


この日の最後が二子玉川園で終わっていた。

2023年7月6日木曜日

内部・八王子線 四日市駅の大人と子供(再掲)

 
サムネイル取り込み領域を最大にセットした最近のスキャン。

最近の再スキャンは全て黒縁入れて取り込んでいますが、昔ブログに投稿した画像↓は上下がかなりカットされているのが分かります。↓の方が鮮明度高いのは原画でやってはいけないシャープネスが勝手にセットされてしまったため。

昔ブログに投稿した画像で、サムネイル取り込み領域が最小(標準?)にセットされていた。

四日市駅の大人と子供  1965.8.5

近鉄湯野山線と内部・八王子線(旧三重電気鉄道)の標準軌1435mmとナロー762mmの電車が対面する場面.近鉄(元 三重電気鉄道)内部・八王子線は今も現存しているが、四日市駅の風景や昔の軽便電車は消滅してしまった。
四日市駅では軽便と標準軌の電車が対面する場面があった。標準軌と並んでみると、乗客の大きさは同じなのに、軽便がいかに小さいかがよく分かる。小さな車体に載せて張りあげたパンタの大きいこと。


四日市駅風景。