案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2011年4月29日金曜日

井笠鉄道 早春の軽便2

昨年5月29日アップした「井笠鉄道の矢掛支線」の続きです。

宿場町矢掛の駅前  1967.3.8    ポップアップ画像
駅前は広いバスターミナルになっていた.
黄色いオート三輪とボンネットバスが時代を感じさせる.
構内にはホジ7と8そしてホハ2が休む.

ホジのバケットには荷物が積み込まれていた.


開通当初から活躍している最古参客車 ホハ1~6.ダブルルーフ、妻面Rが好ましい.
写真↑のホハ2は、今も西武園ゆうえんちに他の3両と伴に保存されている.

西武ゆうえんち内のレストラン ホハ2  2011.04.28

2011年4月27日水曜日

井笠鉄道 早春の軽便1

九州私鉄&路面めぐりの帰りに寄った井笠鉄道では、心地よい春の陽気で真青な空の下を軽便が元気に走っていた。この地方独特の黒い瓦屋根と白壁が点在する沿線で丸一日軽便を楽しむことができた。

暖かな丘陵地帯を走る.大井村  1967.3.8


大井村



2011年4月26日火曜日

鹿児島市電 市内風景


桜島桟橋通り電停  1967.3.1
犬ものんびり歩く広々とした道路。煙が立ち上る鹿児島駅が見える。


上町線へ分岐して清水町へ向かう 407

大きな交差点は郡元か 朝日通り。 305


電停 石灯籠通 203

 連節式の702 石灯籠通

一歩入った裏通り風景

2011年4月24日日曜日

鹿児島市電 鹿児島駅前

桜島と鹿児島駅前電停  1967.3.1

高い建物や木立もなく、やたら空が広い鹿児島駅前。
1960年代の九州では、どこの駅もSLが吐きだす煙で駅前の空が黒ずんでいた。
3月始めの春とはいえ、強烈な陽ざしが南国的で、噴煙を上げる桜島と
市電の標準カラー(橙と緑)が印象的であった。


国鉄鹿児島駅が見える。601

昔のカラーの601

607


鹿児島市電 標準カラーに塗られた203


鹿児島駅構内で忙しく働き、煙を吐き出すハチロク

2011年4月22日金曜日

鹿児島市電 上町線

先日、コメントを戴いたサンチョさんの「鹿児島薩摩義士碑 風景の記憶」で、鶴丸城跡から薩摩義士碑あたりの現在の風景がスライドショーで見れます。上町線が走っていたこの辺りの沿線風景は歴史的名所であり、当時の風景がそのままのようです。

そこで昨年5月21日にアップした「鹿児島市電 上町線」を新フォーマットでリニューアルしました。

上町線は市役所で分岐し清水町へ向かうと、私学校跡に建てられた県立病院と鶴丸城跡の間にある大学病院前電停に到着する。ここから城山に突き当たるところにある薩摩義士碑の前を右へカーブすると専用軌道となり鹿児島本線をオーバクロスする。

殺風景な道路と大学病院前電停  1967.3.1
桜島の噴煙を背に走る310

大学病院前を行く電車。
手前は私学校跡がある鹿児島城(別名 鶴丸城)跡。 

薩摩義士碑の前を行く310。 大学病院前~岩崎谷  

義勇士碑前前をカーブする

岩崎谷電停にやってきた細面の403(元都電4200形)


鹿児島本線をオーバクロスすると車窓に開ける鹿児島の街。
301~310は元都電(王子電軌)の魅力的な外観で、変化のある上町線によく似合った。


2011年4月20日水曜日

熊本市電 市内風景

市電②系統は熊本駅前から水前寺公園を通り健軍町までのメイン路線で、現在のA系統とほぼ同じである。大江車庫には1963年以降投入された元大阪市電901形が大量にいて町中でもよく見られた。斬新なスタイルで結構新しいと思っていたがなんと1935年製とかなりの古参車両であった。


②系統の終点 健軍町。 1967.3.4


③系統390形(元大阪市電) 上熊本駅前発(新町経由)水前寺体育館前行  西辛島町


③系統上熊本駅前行  新町 - 塩屋町

雨の熊本駅前 ①系統子飼橋行 1200形


雨の熊本駅前   ②系統健軍町行 150形 

380形(元大阪市電901形)


熊本駅前 1000形(元大阪市電)  1967.3.6
背後には煙がのぼる。熊本駅ではいたる処でSLが煙を上げていた。

熊本駅の鹿児島本線 C60旅客列車

C11

2011年4月19日火曜日

熊本市電 藤崎宮前

市電の藤崎宮前電停は藤崎宮の鳥居前にあり、ここで子飼橋へ行く①系統と、上熊本へ行く④系統が分岐していた。この区間(下図の細い赤)はその後廃線となり、①~④ ⑥⑦系統があった市電も今ではA系統とB系統と随分シンプルになったものである。
懸命に追いかけたものの九州の大都市路面は興味うすかったが、撮ったものを45年の歳月を経て見てみると、路面電車ならではの面白さ(1960年代の町並み)がある。


熊本電鉄の藤崎宮前と無くなった市電、そして熊本城の位置関係は上図となる。


熊本電鉄の藤崎宮前駅前から藤崎宮の鳥居を見る。 1967.3.6


電停 藤崎宮前


藤崎宮前の分岐点。④系統が左へ別れる。


子飼橋からやってきた①系統が熊本駅へ向かう。
肥後民芸品おみやげ、大衆食堂、旅館などの看板が並ぶ熊本市内の風景。 

拡大画像はこちらから

2011年4月18日月曜日

熊本電鉄 藤崎宮前

熊本電鉄の始発駅 藤崎宮前は市中心部からは離れていて、国鉄熊本駅前から市電1系統 子飼橋行きに乗って藤崎宮前電停で降りると、近くに熊本電鉄の藤崎宮前があった。
今ではかなりこの駅の風景も変わってしまったことだろう。

藤崎宮前  1967.3.6



藤崎宮前の駅舎

熊本城が見える 熊本電鉄藤崎宮前の駅前。 電停広町近く
 電鉄菊池方面行のりばの駅前に、市電④系統(体育館前発 広町経由 上熊本行)が走る。
今は市電④系統は無くなってしまった。

2011年4月17日日曜日

熊本電鉄 熊本郊外

1960年代後半は、まだまだ各地に個性ある魅力的な車両と鉄道情景が残されていた。
この頃 急速に進んだモータリゼーションにより、地方私鉄ではそれまでの車両を入替えるなどして必死の合理化が進められ、1970年代以降は車両も情景も大きく変化して行った時代であった。
1960年代の熊本電鉄のこんな沿線風景も、1986(S61)年には菊池~御代志が廃止されてしまった。

元小田急1100形のモハ302   泗水 - 高江  1967.3.6


モハ122
泗水から熊本市内の藤崎宮前に向かって暫く走り、合志川の鉄橋を渡ると高江に着く。

モハ302  高江
高江を更に進むとSカーブに出る。

高江 - 辻久保間のSカーブ

Sカーブを行くモハ103



菊池行きのモハ102  高江 - 辻久保
Sカーブが終わると国道に沿って線路が続く