昭和62年4月1日、日本の鉄道はJR誕生で新しい時代を迎えた日。
その前日の3月31日は、「国鉄」時代最後の日であった。同時に筑波鉄道最後の日でもあったが、JR誕生前夜の大ニュースに隠れて筑波鉄道の廃線は殆ど話題にならなかったようだ。今、本屋に並ぶ鉄道誌で昭和62年の鉄道の話題を見ても、やはり今も昔もJR・国鉄一色は変わっていない。
筑波鉄道の最終日、私は仕事を終え夜の筑波駅に向かった。今夜で終わる筑波駅風景を撮って真壁駅へ向かい、真壁止まりの最終列車の到着を待った。桜が咲き始めた春とはいえ、この日はかなり冷え込む夜で震え上がった。
22時過ぎ到着の真壁止り最終列車を迎え、真壁の下りホームは地元の人々で溢れ、お別れに来た人々の歓声の中をキハ761+505が到着し筑波鉄道の歴史は終わった。
桜が開花した下を気動車は上りホームに移動し、セレモニーの後、別れを惜しむ人達の記念写真の場となり、人々に見送られて回送気動車は土地浦方面へ引き上げて行った。
これで筑波鉄道の全てが終わり、夜遅くで真っ暗で静まり返った真壁の町を後にした。
筑波駅 最後の夜。 1987.3.31

真壁に到着した最終列車。 1987.3.31
お別れのセレモニー。

寒さに堪えてホームで最終列車到着を待つ人々。
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廃線記念乗車券 |

全てが終わった真壁駅。

あれから24年。現在の真壁駅跡。2011.2.25
筑波山を背景に、大きくなった駅の桜が残る。