62年振りに馬橋から流山電鉄(現流鉄流山線)に乗って今の流山駅見て来ました。
当時、流山駅の一端にあった貨物駅から野田醤油醸造㈱(現流山キッコーマン㈱)のみりん工場に貨物線が延びていた。
みりん輸送に使われたと思われる小型木造貨車ワ11(1964年10月廃車)とワフ31(1965年10月廃車)はこの写真の直後に廃車となった。
流山駅の貨物ホームにいた美しい貨車ワフ31。ここのポイントから右方向にみりん工場まで貨物線が延びていた。流山 1962.3.31
当時、流山駅の一端にあった貨物駅から野田醤油醸造㈱(現流山キッコーマン㈱)のみりん工場に貨物線が延びていた。
寂れた駅となると思い浮かぶの庄内砂丘の中にあった七窪駅。
廃墟ではなくまだ動いている鉄道の寂れた駅の風景。
当時、私は車両が動いてなければ価値なしの想いが強く
もう車両がやってこないような廃線跡には関心がなかった。
ところが今は現役時代の鉄道よりも廃線跡が魅力と言われる
廃墟写真のジャンルがある。その廃墟や廃線跡写真の魅力は一体何か?
賑わい、繁栄が去った跡の静けさ、足あとの魅力。
私達が追い求めた現役時代の鉄道写真には関心がないらしい。
かつてそこにあった賑わい、繁栄を想像しながら
その足あとをインパクトあるデジタル画像効果で表現する楽しみか。
確かに今のデジタル画像(特にカラー写真)による効果は絶大で、
もし、あの60年前の寂れた七窪風景を撮影して廃墟写真と同様な
デジタル画像効果で表現できたらどんな風景になるのだろうか。
1966.2.28
庄内砂丘の中にひっそり佇む七窪駅.現役時代の庄内交通.
七窪駅の引込線に使われなくなった客車が休む.まだ現役の駅の片隅.
3月24日に「成田裏の道」をアップしましたが、JR成田線、京成成田空港線、京成本線、京成東成田線、芝山鉄道の関係を路線図に纏めてみました。京成音痴の私には長い間この位置関係が頭に入らないままであった。
昨年秋にオープンした所沢駅前の再開発。西武鉄道所沢車両工場の跡地を活用した商業施設を先日さっと見てきました。線路跡などの詳細の比較は後日にすることにして商業施設を一回り。
各地に次々と生まれるこの種の大型商業施設を見ると、どれも似たような商業施設でその将来は今後の人口減で果たして成り立つのか? もっと個性的な商店でないと長続きしないのではないだろうか。