モノクロ画像を、AIでカラー化した画像と比較してみました。建物の板張り、空の色と雲などが如何にもジオラマ風に見えます。人は人形のようになります。車両と違って何色が本当かは分らない。ここで蒸機5号機が入替作業をしていた風景が目に浮かびます。
別府港駅では日立製の蒸機5号機が盛んに入替作業をやっていて、しばらくすると貨車数量に客車1両を連結した混合列車が土山線を発車して行った。土山線は貨物輸送が主であるが客扱いの混合列車が1日5往復あった。
(AIカラー化画像)
モノクロ画像を、AIでカラー化した画像と比較してみました。建物の板張り、空の色と雲などが如何にもジオラマ風に見えます。人は人形のようになります。車両と違って何色が本当かは分らない。ここで蒸機5号機が入替作業をしていた風景が目に浮かびます。
別府港駅では日立製の蒸機5号機が盛んに入替作業をやっていて、しばらくすると貨車数量に客車1両を連結した混合列車が土山線を発車して行った。土山線は貨物輸送が主であるが客扱いの混合列車が1日5往復あった。
「曇天の加賀平野」
加賀温泉郷が衰退する、ずっと前、動橋から山代温泉行きの電車が走っていた。
昔から鉄道趣味の世界では、
記録性、資料性、情報量、が価値とされてきた。
情報の発表の場は鉄道誌くらいしか無かった時代。
↓
情報化社会になってからは、
写真を並べ記録記事を残す「鉄道情報系」を
発信する場としてネットがあった。
編成写真、車両アップ、駅舎、旅、イベントなど
ネットでブログは非常に相性良いスタイルだった。
私もブログで60年前の記録を続けて来ました。
SNSの時代でも鉄道情報系ブログは衰えていない?
↓
でも今変わって来た
鉄道の記録、資料・情報などの解説ではなく
鉄道を通して見た人の暮らし、季節、風景、何を思うか
などを撮って、語る。
ネットにそんな媒体が10年前からスタートしていた。
そんな新しい媒体の場でも鉄道と言えば、
情報系の鉄道ブログ同然のスタイルが多いようで、
新しい媒体と「昔からある鉄道ジャンルの慣習」
との間にギップがあるようです。
今の世の中、ブログは殆ど消滅かと思っていたら
そうでもなさそう。
リンクさせて頂いているブログ以外、
私はまず見ることがなかったブログ。
今も昔も、鉄道ブログの主体は「今の鉄道情報」
のような気がする。
そして、誰かが言っていたように写真は
益々車両写真に向かっているのか?
私にとってはほとんど無縁の「今の鉄道情報」。

機芸出版社から出版した「地方私鉄 失われた情景」の三山線でモノクロにして使った一枚です。
このネガカラー画像は不鮮明で色がよく分からない画像。AIでカラー鮮明化してみると白い月山がハッキリしてきた。ボケた果樹園の花のカタチも色もよく分かる。
モノクロ画像→カラー化の場合と違って、AIが勝手に造形することはなく、元のカラー画像鮮明化だけなのが安心できる。
「会津田島の秋」
秋の休日、紅葉を求めて会津線のC11をよく撮りに出掛けたことがある。
当時のカラー写真は思うような発色にならず、そのまま長く眠っていた。
今回色調を整えてみると、鮮明なC11と紅葉、そして秋の空が現れた。
あの日の会津田島が、少しだけ戻って来た気がした。
「真夏の淡路 宇山駅」
洲本駅を発車した電車は民家の裏手をかすめるように走り、洲本川を渡り左へカーブするとほどなく宇山駅に到着した。
「京大吉田寮と市電」京都市電 1969年正月
記憶から消え行くあの時代の空気感。
電停近衛通の向こうに見える吉田寮。写真は学生寮の問題に端を発し京大全学的紛争へと発展する直前だった。この時に吉田寮生で2回生だった方からのコメントでそれが分かった。
これから大変な時代を迎える昭和44(1969)年正月の静かな風景であった。
雪の川を渡る電車は、
年の瀬の光の中を走っていた。
山は遠く霞み、
木橋の匂いまで
冷たい風に混ざっていた。
「夕暮れ時の尾道」
山陽本線尾道駅のホームが帰宅客で賑わいはじめた夕方、駅の地下道を進むと、背後に山が迫る狭い一角に「尾道鉄道のりば」があり、小さな2面のホームに電車や客車が休んでいた。
尾道鉄道 1962年夏
(モノクロ画像のAIカラー化画像)
「学校前の急カーブ」
砂利道の併用軌道を、埃を巻き上げながら木造電車がやって来る。
十分に速度を落とし、急カーブに差しかかると、
ギィギィと音を立てながら直角に曲がって、松本駅前へ向かっていった。
1962(昭和37)の北陸鉄道能登線も昭和30年代らしいカラーリングで、北陸鉄道の標準色(クリーム/朱色)になる以前は、こんな昭和30年代らしい色であった記憶がある。決して朱色の能登線ではなかった。
記憶の裏付けとなるカラー情報はネットや書物に見つからず、やっと見つけた訪問ノートのメモが裏付けとなった。窓下が北陸鉄道の朱色ではなく微妙なブルーであるのは間違いなかった。
窓下のブルーをもっと明るい水色に指定して再度AIカラー化をやってみた。
AIは昭和37年の能登線のカラーを知らない(ネットにカラー情報がない)ので何種類もブルーを試してみて、その中の1点を自分でトーン調整したのがこの1枚になった。ブルーをもう少し濃くしたいがAIは窓上クリームまで濃くしてしまうのでそれは無理であった。記憶に近い色の見本が無くて能登線も厄介な色ブルーであった。
1962(昭37)年の筑波線のカラーリングは、正に昭和30年代らしい色だったが、奇妙な色ではなくオーソドックスなツートンだった。窓下が少し明るめの紺色で、決して派手さは無かった。
#9999さん、ご指摘ありがとうございます。
側面にある常総筑波の複雑な社章、AIでは読みとれず消しました。
撮影:1962.3.31
先日、秩父鉄道SL(C58363)列車で熊谷から三峰口まで乗ってきました。
会社OB達との旅は、毎度飲み食い主体の飲み鉄であり、改めてSLと西武特急ラビューを撮りに行きたくなる絶好の季節であった。それにしても新緑の野山が美しかったこと。