廃線前の昭和36年に台風で黄瀨川に架かる橋が流出し、三島広小路から沼津行きは国立病院前で折り返し運転となり、その先の国立病院前~沼津間は代行バスを運転していた。川向うの沼津側に残された3両は廃車になり、最終日まで残ったのは7両(内1両休車)であった。
ED11(元国鉄アプト式電機ED40形)の背後に見える軌道線の車両.大場工場
鉄道線の大場工場に集結した軌道線の車両.1963.2.22
最終日まで残った7両がそのまま留置されていた.
廃線記念にオープンデッキの花電車3号に改造されたモハ202.
201と202の西武時代はこんなオープンデッキで伊豆箱根転入時にドアをつけた.
モハ202
モハ201.202と伴に西武から昭25年譲受、枝光ペックハム系台車が美しい.
モハ201の車内
モハ15(元大雄山線)車中から見た隣の運転台が異様に低いモハ206頭部.
最後まで残った小ぶりで頭が下がった最も魅力的な電車モハ206 5か月後1963年7月
以下は大場工場風景
モハ45さてこの車両は何か?
昭和29年に国鉄から譲受けた電車で、伊那電気鉄道買収のデ200が前身である.大雄山線モハ45で活躍していたが昭和34年に西武から来た車体に乗せ換えた.写真↑はモハ45鋼体化で不要になった廃車体.(鉄道ピクトリアル私鉄車両めぐり第6分冊より)
大雄山線の鋼体化後モハ45 1963.2.22
大雄山線の木造車クハ20形の23.同型の木造車22と24が大雄山線で活躍していた.
鉄道線大場工場の中では西武へ発注したモハ1000系の自社艤装中であった.
昭和38、39年に2編成6両が導入された.車内のクロスシートが見える.