案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。
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2023年12月8日金曜日

衝撃の一枚

「あと何年早く生まれていたら」よく聞く言葉です。
先輩方の写真に衝撃を受けるのは、私の場合1950年代で、
高橋弘氏の名作作品集で最も衝撃受けた1枚がこの1953年の黄瀬川停留所です。
私が伊豆箱根鉄道軌道線を訪問したのはその10年後、廃線18日後でした。


黄瀬川停留所 1953年8月夏  高橋弘 作品集3

高橋弘 作品集3


10年後の黄瀬川停留所.1963.2.22
道路に置かれたレールと、枕木を掘り返した跡が残る廃線直後.

2018年11月19日月曜日

伊豆箱根鉄道軌道線 モハ7

昨日から本日まで吉祥寺で開催中の鉄道模型コラボ展に、伊豆箱根の単車モハ7が出展されていました。
城東電軌さんでは数年前から1/87で車体と台車のエツチング板を発売しているそうです。
伊豆箱根鉄道モハ7を調べてみるとS28年に休車になってS38年廃車でした。
城東電軌さんの製品化は毎度大変に欲しくなる題材ばかりで目が離せません。
1/80 13mmゲージなら完成品(あれば)迷わず買います。



渋いですね伊豆箱根鉄道のツートンカラー。

2018年11月9日金曜日

旧東海道を走ったモハ205と206

facebookで伊豆箱根鉄道軌道線のポール電車で最も魅力溢れるモハ205、206の模型の写真が出てきて驚きました。こんな渋い電車を作る方がいるんですね。伊豆箱根鉄道のツートンカラー(グリーンとクリーム)が懐かしい。

ペーパークラフト工房 フジドリームスタジオごーまるいち【Fuji Dream Studio 501】さんの模型(未製品化)は1/40だそうです。
こんな模型を部屋に飾ってみたい!

撮影:1963年2月、7月
こんな旧東海道を走っていた軌道線の電車。1963年2月は廃線直後で線路が外されていた。

線路が外された廃線直後の長沢車庫。

 モハ206(田中車両製) 旧西武 大場工場 1963年7月
松本電鉄浅間線と同様に運転台が一段下がったタイプ。

モハ15(元大雄山線)車中から見ると、隣に見えるモハ206の運転台が異様に低い。

左モハ16(元大雄山線)と右モハ206の高さの差。

モハ206と同型のモハ205 旧西武

2017年3月10日金曜日

旧東海道を行く木造ポール電車4 物置小屋のような駅

廃線になる以前、1961(昭36)年6月の台風による木瀬川橋の流失で国立病院前~沼津がバス代行運転を行っていました。このバス代行区間を国立病院前から廃線跡を歩いて沼津駅前まで向かったが何故か軌道線沼津駅の写真が1枚もなく下記のこんなメモがありました。

レールを組んで板を張った軌道線沼津駅
この時、残された3両の車体が大場車庫にあったのでこの駅に車両はいない筈、窓から見える電車は想像で書いてしまったのでしょう。

軌道線沼津駅
軌道線沼津駅は確かに物置小屋のような駅で中に電車が何両か留置されていた。廃線1963年2月の1年半前から使用されなくなった沼津駅。 1963.2.22記


廃線前にバス代行運転していた時代の沼津駅の風景1枚を、HP「む~さんの鉄道風景」からお借りしました(掲載許可済) 

こんなだったのですね、軌道線沼津駅. 1962.1.28 撮影:む~さん

この時、203、205、17の3両がこの沼津駅に取り残され廃線以前に廃車となり、大場車庫でダルマになっていた3両と一致する。

2017年3月6日月曜日

旧東海道を行く木造ポール電車3 リニューアル

廃線直後に鉄道線大場車庫に集められた車両は休車1廃車体3を含め計10両で、半年後に訪問した時もそのままの状態でした。旧東海道を走った木造ポール電車の車両一覧としてみました。


モハ15(雨宮製作所製) 15~17が大雄山線から昭25年に転入.元鉄道線用でかなり車体が大きい.1963.2.22
モハ16(雨宮製) 1963年7月
モハ17(車体は鶴見木工製)
木瀬川橋流失後、沼津駅に取り残された2両はこの17と203であった.

モハ206(田中車両製) 旧西武 1963年7月
モハ206と同型のモハ205 旧西武

モハ8  旧武蔵野中央電気鉄道軌道線.大雄山線を経て昭和24年本軌道線へ.
当線唯一の半鋼製で廃線時は休車中. 

モハ201(枝光鉄工所製) 旧西武

モハ202(汽車製造製) 旧西武

モハ204 旧西武 元はオープンデッキ.
モハ204と同型の203 旧西武

参考文献: 鉄道ピクトリアル私鉄車両めぐり第4分冊

2017年3月3日金曜日

旧東海道を行く木造ポール電車2 リニューアル

廃線前の昭和36年に台風で黄瀨川に架かる橋が流出し、三島広小路から沼津行きは国立病院前で折り返し運転となり、その先の国立病院前~沼津間は代行バスを運転していた。川向うの沼津側に残された3両は廃車になり、最終日まで残ったのは7両(内1両休車)であった。

ED11(元国鉄アプト式電機ED40形)の背後に見える軌道線の車両.大場工場

鉄道線の大場工場に集結した軌道線の車両.1963.2.22
最終日まで残った7両がそのまま留置されていた.

廃線記念にオープンデッキの花電車3号に改造されたモハ202.
201と202の西武時代はこんなオープンデッキで伊豆箱根転入時にドアをつけた.
モハ202

モハ201.202と伴に西武から昭25年譲受、枝光ペックハム系台車が美しい.

モハ201の車内

モハ15(元大雄山線)車中から見た隣の運転台が異様に低いモハ206頭部.

最後まで残った小ぶりで頭が下がった最も魅力的な電車モハ206   5か月後1963年7月

以下は大場工場風景
モハ45さてこの車両は何か? 
昭和29年に国鉄から譲受けた電車で、伊那電気鉄道買収のデ200が前身である.大雄山線モハ45で活躍していたが昭和34年に西武から来た車体に乗せ換えた.写真↑はモハ45鋼体化で不要になった廃車体.(鉄道ピクトリアル私鉄車両めぐり第6分冊より)
大雄山線の鋼体化後モハ45  1963.2.22

大雄山線の木造車クハ20形の23.同型の木造車22と24が大雄山線で活躍していた.



鉄道線大場工場の中では西武へ発注したモハ1000系の自社艤装中であった.
昭和38、39年に2編成6両が導入された.車内のクロスシートが見える.

2017年2月26日日曜日

旧東海道を行く木造ポール電車1 リニューアル

2011年5月に投稿した伊豆箱根鉄道軌道線、あれから6年が過ぎ、今のフォーマットに合わせてリニューアルします。当時のコメント欄はそのまま残してあります。

旧東海道の未舗装路の脇を木造ポール電車が三島と沼津の間を走っていた。この軌道線がまもなく消えるのを知り、正確な廃線日も知らずに訪問したのが1963年2月22日、廃止して18日が経っていた。旧東海道を行くこの素晴らしい軌道線の光景を僅かの差で逃してしまい悔しい思いをした。三島広小路の駅は何もかもがそのまま残っていて今にもポール電車がやってきそうな雰囲気があった。

その先には外されたレール、道路の凸凹など軌道の形跡残す旧東海道が沼津方面へと続いていた。幸い車両の殆どは鉄道線大場工場に集結し解体前であり、軌道跡からポール電車が走っていた光景を想像することができた。素晴らしき伊豆箱根鉄道軌道線。
1963(昭和38)年2月4日が最終日であった。

旧東海道脇のドロ軌道を、三島広小路から沼津までポール電車が走っていた風景.
廃線直後の道路に外されたレールと軌道跡の凸凹が残る. 1963.2.22

鉄道線の三島広小路から軌道線が出ていた.廃線直後の駅はそのままの状態で、今にも電車がやってきそう.

三島広小路を出ると右にカーブし旧東海道に入る.左は鉄道線への連絡線

部分拡大してみると、中華料理店の支那忠、その隣に映画館のミサイル珍道中の看板が並ぶまるで模型のような昭和の街並み.

廃線直後の三島広小路の商店街.軌道跡は舗装路に.

線路がはずされた旧東海道.

国立病院前の一つ手前 長沢にあった車庫. 
 
長沢車庫から三島方面を見る.道路の右側が廃線跡