案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2024年12月31日火曜日

2024年12月28日土曜日

オリンパスペンから落穂ひろい(2)

北陸鉄道片山津線の動橋(いぶりばし)駅はTMS188号(1964年)やシーナリーガイドに掲載された河田耕一さんの記事「温泉電軌のりかえ」で人気になりましたね。私が訪問したのは1964年の12月29日でした。まだ北陸の温泉郷が賑わっていた時代だったのでしょう。




国鉄ホームから見たのりかえ駅風景.


隙間だらけの木造車庫の奥にいろいろな物が.


古い松葉スポーク車輪の貨車.


左の路面は線路が外されたのか、ここが代行バスの発着所になっていた.


味わい深い民家に囲まれた終点片山津駅.
下の2枚が35mmネガから

2024年12月27日金曜日

オリンパスペンから落穂ひろい(1)

オリンパスペンで撮ったハーフサイズネガにはスキャンしても未使用の模型用カットが大量にある。それを整理していると僅かに取りこぼしスキャンもあり、そんな1枚を初めてスキャンしてみると新鮮で楽しいものです。

ハーフサイズネガにあったこんな取りこぼしスキャンの1枚。 


夕暮れの動橋駅. 北陸鉄道片山津線 1964.12.29

2024年12月23日月曜日

鉄道模型アートマルシェ

年の瀬の吉祥寺で開催されたマルシェにご来場戴いた皆さんありがとうございました。
二日間多くの方との出会いがありました。

私は写真の他に初めて車両採寸ノート、模型のための車両写真集、沼尻の図面、初公開1/45九十九里鉄道貨車ケワ50を展示しましたが、採寸ノートに意外な反響がありました。これらを今の3Dプリンタによる模型製作と較べてみると、60年後の模型技術の進歩が驚異的です。
 

バス顔 単端の出会い.
1/48 根室拓殖鉄道キハ2かもめ(鉄道青年さん)と西大寺鉄道キハ1(S山さん).

根室拓殖鉄道の時刻表.昭和33年 提供 esehokuさん
中央のたった2行だけです.

ラスト(西花マキさん)と写真(風間克美)を対比させた初のコラボ展示.


アララギさんの3Dプリンターによるシェイ.


S山さんの1/48 西大寺、駿遠、沼尻.


車両採寸ノート、模型のための車両写真集、実測に基づく沼尻車両図面など60年前の活動成果.

60年前に製作したO番ナロー九十九里鉄道ケワ50の初公開.へっついとジオラマは城東電軌さん

2024年12月18日水曜日

ナロー車両の採寸ノート

今週末の鉄道模型マルシェで展示しようと思い「模型のための車両写真」や「ナローの採寸ノート」などを少し整備してみました。 


栃尾線のED51 長岡


 採寸ノートから

2024年12月12日木曜日

鉄道模型アートマルシェ

来週のアートマルシェで西花マキさんのイラストと私の地方私鉄写真をコラボで展示します。地方私鉄のイラストと写真、果してどんな感じになるか?  




ギャラリー永谷  2022年12月

2024年12月6日金曜日

東急世田谷線(旧玉川線)

青空と玉電カラーの世田谷線(旧玉川線)


下高井戸-松原 2024.11.24
沿線にドラマの民家「大沢家政婦相談所」が写っていたとは驚き!

下高井戸駅   1962.12.07
この辺りで玉電や京王線の中型車を撮っていたのは遠い昔62年前のことであった。

玉電山下近辺

団塊世代

団塊世代の高校生で賑わう朝の駅前.小さな電車が次々とやって来た。
地方に賑わいがあった頃の日本。


和歌山軌道線 東和歌山駅前. 1964.7.10

2024年11月22日金曜日

西弘前駅

中央弘前から2つ目の西弘前駅(現弘南学院前).
右手貨物上屋にリンゴがビッシリ積まれていて、
駅にリンゴの匂いが漂っていた。


弘前電気鉄道(現弘南鉄道大鰐線) 1966.03.03

リンゴを格納していた貨物上屋(左). モハ105+クハ202


西弘前の車庫風景.
元秩父鉄道木造車モハ102と モハ101車体鋼体化後.

2024年11月7日木曜日

駿遠線の荷物合造車

 特記なきは1967.7.9撮影

駿遠線の荷物合造車ハニの風景。


荷物合造車ハニ1を牽くDB607機関車.芝 1963.4.4
奥山線の帰りに初めて駿遠線を訪問したのが1963年4月。いきなりDB607が牽く旅客列車に出会ったのには驚いた。まだ盛んにDB機関車が活躍していた時代であった。その中に初めて見る荷物合造車ハニ1が連結されていた。駿遠線は全く知らない車両ばかり。それくらい鉄道誌にはまだよく紹介されていない路線であった。

次々とDB機関車の列車が発着する袋井駅. DB604とDB608 1963.4.4




新岡崎で大きな荷を担いだ乗客がハニに乗り込むと、列車は袋井へ向って行った.

新岡崎で大きな荷を担いで乗り込んできた行商人2人.扉の向こうが荷物室で手前は定員32人の軽便の小さな客室.軽便らしい車内風景だった。



特異な外観が魅力のハニ1 新横須賀


ハニ1  新横須賀


ハニが休んでいた新横須賀駅の風景.


2024年10月1日火曜日

『軽便讃歌13』

2024年9月28日 軽便祭プレイベントの講演にご来場ありがとうございました。

綿商会館4Fホールで開催された講演と、翌29日の軽便模型祭が終わりました。
プレイベントの講演「軽便讃歌13」では私の『地方私鉄めぐり 魅力のナロー情景』と
名取編集長の「1976年、第一回軽便祭の頃」でした。


今回は、当時の旅のポリシーやエピソードも交えつつの内容と、遠州鉄道奥山線の印象深かったナロー情景や西大寺の単端などを取上げました。スタートすると会場は真っ暗に、準備した駅名などのメモが読めない・・幾つか駅名が出てこないのには焦りました。

次は名取編集長の「1976年、第一回軽便祭の頃」で紹介場面です。
約300枚ほどの画面で後半は私が知らないトワイライトゾーンを追った時代が紹介され、長髪の若者たちが何故トロッコを追ったのか? あの時代のことが分りました。あの若者たちは今や60~70才前後でしょう。


翌日の軽便模型祭の賑わい.

2024年9月22日日曜日

地方にあった人々の活気(軌道線の賑わい)

昭和39年、夏の花巻軌道線は人々で賑わっていた。
消えゆくナロー路線ながら駅や列車に乗客が多く
日本はまだ子供や若者が多かった時代。
そんなある時代の賑わいを集めた情景につけた
タイトルを「地方にあった人々の活気」とした。
地方小鉄道の衰退はその後のマイカーブームだけではなかった。

「軌道線の賑わい」
花巻温泉郷へ向かう客で賑わう花巻駅ホーム。
スイッチバック駅西花巻の賑わい。
西公園駅を降りて道路を行く人々。
電車+客車2両が満員の朝の通勤列車。
夏休みの子供達で賑わう志度平温泉駅前の遊園地。
遊園地、温泉帰りの客で満員の列車。
終点西鉛温泉に降り立つ温泉客の賑わい。
 
撮影:1964.8.2

スイッチバック駅西花巻の賑わい.


西花巻と西公園間のSカーブを行く満員列車.


朝の通勤・通学時間帯は満員.1966.3.4


志度平温泉駅の賑わい.

終点西鉛温泉に降り立つ温泉客の賑わい.

2024年9月12日木曜日

第20回軽便鉄道模型祭プレイベント『軽便讃歌13』

毎年恒例のプレイベント(講演)の宣伝です。

期日:2024年9月28日(土)
・会場:綿商会館 4Fホール

・開場13:00・開演13:30

プレイベントの案内サイト
https://keibenfes.exblog.jp/242393978/

『地方私鉄めぐり 魅力のナロー情景』
今回は、遠州鉄道奥山線をはじめとする、軽便鉄道の殊更印象深かった情景を中心に、当時の旅のポリシーやエピソードも交えつつの内容です。


あれから50~60年眠っていたネガを取り出してプリントしてみると、当初の撮影ポリシーには無かった撮影対象が新鮮で、時を経て見る情景写真にはあの時代の生活感が溢れていた。





2024年9月1日日曜日

60年前の小さな旅

先日8月17日にビックサイトで開催したJAM クリニック「地方私鉄 失われた情景」で
参加者に配布された冊子です。


冊子「60年前の小さな旅」
関東鉄道竜ヶ崎線

私が竜ヶ崎線を知ったのはTMS 89号に紹介された地方私鉄めぐり「鹿島参宮鉄道竜ヶ崎線」だった。TMS 89号は1955年12月号で昭和30年、私はまだ小学生だった。
この記事から竜ヶ崎線にすっかり惚れ込みマイカメラで真っ先に訪問したのが7年後の昭和37年とその翌年。TMS記事で見た5両の古典二軸客車は一両となり客貨混合列車は消えていたが蒸機2両が健在で、記事にあった昭和30年頃の鹿島参宮鉄道の面影が至るところに残されていた。





東京近郊でこんな蒸機が牽く列車の光景をまだ見ることができた昭和37年。 列車はハフ15(片ボギー)荷物車を連結して、まるで客貨混合列車のようだった。1962.3.29

2024年8月30日金曜日

心に残る路線 その2 北陸鉄道能登線

 先日8月17日にビックサイトで開催したJAM クリニック「地方私鉄 失われた情景」より.





国土地理院の当時の空中写真から作成した滝駅のジオラマ図.

滝駅を発車すると目前に海が開け海岸すれすれの高さを走る. 
滝-柴垣間   撮影:1962.8.2

キハ5201(元国鉄41000を改造)片側バケット付.


夏の海岸線を行く生え抜きの雨宮製キハ5102+コハフ3001.


キハ5162(元三岐)+コハフ1502(2軸車).


海岸の岩場に近い最も高さ低いところを行く線路.


国鉄の小さな40000形より更に全長短い生え抜きの気動車キハ5001.どの気動車もバケットを備えていた.