案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2024年5月12日日曜日

仙台鉄道

仙台鉄道の1枚の写真から気動車キハ3の前身が分った。


仙台鉄道の蒸機時代に使われた客車.ドア間の窓が10枚.  所蔵:安達克


キハ3 昭和3年丸山車両製の木造客車を、戦後 協三工業にて気動車に改造され最後まで活躍した.ドア間の窓は8枚で窓計10枚の車体長(バケット除く)は客車と同一のよう。

キハ3 片側がバケットで反対側はデッキのみ.アーチバー風の台車を履いた元客車のキハは、頚城の元客車ホジと同様。客車を動力化したせいか車輪径が小さい。

2024年5月10日金曜日

楽天市場 鉄道図書のランキング

楽天の通販 鉄道ランキング(週間)です。
5月8日 更新 4月29日~5月5日 第1位
5月15日更新5月6日~5月12日 第4位


2024年5月7日火曜日

表紙 有田鉄道のこと

表紙の情景は有田鉄道で全線5.8kmの小さな路線。

国鉄紀勢本線藤並駅のホームに降り立つとそこに有田鉄道の粗末な出札小屋と簡易な乗換改札口があった。改札口の先に停車していた有田鉄道キハ210はよく見かける元国鉄42000形の顔で、赤ん坊を背負った乗換客などが乗車すると金屋口へ向け発車して行った。
藤並 1964年夏


藤並を発車したキハ210は有田川沿いのミカン畑の中を15分ほど走ると有田川上流にある終着駅金屋口に到着した。駅の脇には木材が雑然と積まれ殺伐とした風景であった。1964.7.9


キハ210に乗って着いた金屋口は御坊臨港鉄道と同様で木材だらけ.
有田川上流が木材産地で御坊臨港の終点日高川とよく似ている.

こんな機関車がいた.DB10
昭和29年森製作所製でこれも蒸機の足回りを利用したディーゼル機.


殺伐とした終着駅金屋口の全景.


有田川が流れる金屋町の玄関 金屋口駅.
駅前から見ると立派な
終着駅であった。