案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2019年1月31日木曜日

駅・雑踏・トラム 服部一人 作品展

今日は素晴らしい鉄道写真展を見てきました。
この開催を知ったのが昨日で今日が最終日でした。
https://www.sony.co.jp/united/imaging/gallery/detail/190118/


帰りの電車の中でfacebookに投稿したのがこの文章。
銀座ど真中で本日まで開催中の服部一人 写真展「駅・雑踏・トラム」。 いや〜今日は大変なショックを受けた。写真家が仕事抜きで趣味の鉄道を撮るとこうなるのか。

服部一人さんは世界を撮り歩く写真家(ドキュメンタリー)で鉄道写真は趣味として撮っているそうで、写真展は毎年開催しているが鉄道写真展は今回初めてだそうだ。

今回のテーマ「駅・雑踏・トラム」で、私は特に雑踏(人と街)とトラムに惹かれた。
リスボン、ミラノのトラムなどはだれもが狙う定番だがトラム周辺の雑踏のとりこみ方がちがう。そしてハンガリー・ブタペストのトラム風景の作品が多かったような気がする。
もう一度見てみたいが、鉄道写真展はこれっきりで次回は分からないらしい。

日本ではもう難しくなってしまった路面電車が走る街の人々の写し込み、風情ある路面電車、それが欧州では撮れる。もちろん人は威嚇しないカメラで失礼ないように撮る。こんな撮りたい場面が今でも撮れるとは。

これまで何も知らないで来たアンチ海外派の私にとって、蒸機やナローだけでなく日本の失われた軌道線風情(例えば福島軌道線)の面影を求めて世界に飛び出すファンの存在は驚きであり、海外のトラムと言えば車両だけと思っていた自分の無知を恥じるばかりです。

そうそう、服部さんは鉄道写真集を準備しているそうで今回の作品もその一部?は写真集で見れるようになるようです。

服部一人さんが参加されている6人グループのブログがこちら「現代鉄道写真研究所」です。ブログは車両写真なども含む鉄道写真が主体のようです。

 会場のソニーイメージングギャラリー銀座
テーマは「駅・雑踏・トラム」


ミラノ(上)とブタペスト(下)の街角、そしてチェコ・リベレツのトラムの一場面.
言葉を失うほど素晴らしい情景の中を行くリベレツの未舗装路側軌道
と、名取さんの編集長敬白(2012年7月)に紹介されたリベレツのトラム.

ハンガリー・ブタペスト


65インチ大型テレビでの4K鮮明動画で、ポルトガル(リスボン)、マヨルカ島などどれも風情あるトラムと雑踏(人やクルマ)の動きに魅了される素晴らしい動画。ただ鉄道が動いているだけの動画とは違う。

銀座プレイス6階がソニーイメージングギャラリー銀座
銀座四丁目の一等地にある。

2019年1月21日月曜日

渋谷の都電のりば

刻々と変りゆく渋谷を最近撮ったのは今年9月半ばで、4か月経った今は更に変化していることでしょう。昔、東急文化会館の前にあった都電のりばと変りゆく現在とを比較してみました。

50年前にこの都電のりばが消えバスのりばとなったこの一角は、東横線の渋谷駅が地下化される前までは何となく昔のイメージを把握できていた。
ところが、今はもうそんな昔のイメージはとっくに消滅して更にわけ分からなくなっていくのだろう。



2018.9.14 バスのりばがあったところにビルを建設中。

東横線の渋谷地上駅とバスのりばがあった頃 2013.2.27

都電34系統(渋谷~金杉橋)  1967.12.03

都電6系統(渋谷~新橋)六本木行と10系統(渋谷~須田町) 須田町行


2019年1月20日日曜日

大分交通耶馬渓線 車両の坩堝(るつぼ)4

この車両の坩堝にいた車両を全て紹介すると車両図鑑になってしまうのでほどほどにしておきます。鉄道ピクトリアル「私鉄車両めぐり」でも写真がない車両がけっこうあり、丸出しでないところに反って魅力を感じたものです。


羅漢寺で見た混合列車の客車2両

昭和42年の訪問時に稼働していた客車で気になったのは羅漢寺で見た混合列車で、あの時の客車は一体何だったのか? 中津に戻ってきた客車が留置されていた場所からすると以下の客車だったのでしょう。
撮影:1967.3.5 中津車庫
ホハ2 明治31生まれの古典車 何と窓が小さいことか。

羅漢寺で見た2両はこのホハフ30+ホハ2と思われる。

中津へ帰ってきた混合列車で客車はホハフ30+ホハ2。

あとから2両を増結したのか古典客車とガソリンカー崩れの見事な編成。
左からホハフ30+ホハ2+ホハフ32+ハフ27、模型だったらこれをクラウスに牽かせるでしょう。

そしてキハ100に牽かれて盛んに活躍していたのが片ボギー車のハニフ12とハフ13

3番ホームのハニフ12

こちらは中津車庫の一番奥(奥の4両)に留置されていた使われなくなった古典客車。


参考: 鉄道ピクトリアル 私鉄車両めぐり第8分冊 大分交通耶馬渓線 谷口良忠 著

2019年1月17日木曜日

大分交通耶馬渓線 車両の坩堝(るつぼ)3

耶馬渓線の蒸機全盛期は昭和24年の8両で、訪問した昭和42年3月はクラウスの1444と4の2両の蒸機が在籍していた。昭和41年の国東線廃止によりDL2両が入線し、この蒸機2両は予備機となって中津車庫に眠っていた。

撮影:1967.3.5 中津車庫
 1444号機(省1440形式C級機) その奥に4号機

4号機(省1400形式C級機)

「せせらぎ」キハ105 (元北九州鉄道 昭和11年汽車支店製)
と国東線からやって来た近代型DCキハ604

なんと魅力的な顔つき。

以下はキハ100形でこの時は101~104の4両が活躍していた。
 せきれい キハ104

 かわせみ キハ102

ひよどり キハ103

青の洞門の脇を行く やまばとキハ101

2019年1月16日水曜日

大分交通耶馬渓線 車両の坩堝(るつぼ)2

中津の奇怪な車両群でまず目についたのが驚きのホハフ101、102、103の客車であった。
昭和40年8月の宇佐参宮線廃止による余剰客車から、比較的程度のよいものを耶馬渓線に転属させ、混合列車の輸送力増強とともに2軸車の取り替えに引き当てられたそうだ。

愉快なのはボギー台車のオーバハングの関係から101、102は横揺れが激しく予備車になり下がってホハ103のみが元気に走っていたそうだ。
(鉄道ピクトリアル私鉄車両めぐり第8分冊より)

撮影:1967.3.5 中津車庫
 ホハフ102と101は宇佐参宮線より転属。
二軸、ボギーどちらにも対応できるように設計された驚きの客車。



ホハフ102と同形のホハフ101

ホハフ101(右)を真横から見ると、なんとアンバランスな台車とオーバハング。そしてなんと繊細なアーチバー台車と松葉スポーク車輪。きっと車体前後が頭ふりふりして走ったのだろう、こんな珍品客車に乗ってみたかった。 

そして 宇佐参宮線より転属してきたホハフ103。この台車の位置はバランスがとれている。車体が小さいせいか車輪径がとても大きく見える。

ハフ16(宇佐参宮鉄道 昭6年雨宮鉄工所製ガソリンカー)

2019年1月15日火曜日

大分交通耶馬渓線 車両の坩堝(るつぼ)1

大分交通の非電化路線は昭和40年8月に宇佐参宮線、昭和41年4月に国東線が廃線となり、昭和42年の耶馬渓線 中津車庫には各線の残党が集まり奇怪な車両の坩堝(るつぼ)であった。多くのファンが日豊本線中津駅から耶馬渓線の車両を撮ったことでしょう。

撮影:1967.3.5
日豊本線 中津

中津の3番線が耶馬渓線のりば

昭和42年の中津の車庫には、蒸機2両、DL3両、気動車13両、客車19両、貨車16両の計53両が在籍しまさに古典車両博物館であった。
余りに奇怪な車両が多く、夢中で撮りまくって疲れ果てたことが鮮明に記憶に残る。そして、こんな現場に好き勝手に入って撮影するのを許可してくれた良き時代が今では考えられない。


  参考:「消えた轍」ローカル私鉄廃線跡探訪 寺田裕一著 ネコ・パブリッシング

2019年1月11日金曜日

大分交通耶馬渓線 羅漢寺

2019/01/13 記事
最近、facebookで耶馬渓線の廃線跡の今が紹介されましたが、
耶馬渓線の沿線でハイライトとなる羅漢寺駅は今や跡かたもないようだ。
今回の写真集や写真展で使わなかった羅漢寺の駅および周辺の写真を並べてみます。

羅漢寺駅に降りて行動した時の記録は全くないが、雨上がりの羅漢寺駅から山国川沿いにひと気が無かったのが印象に残る。一大観光地ながら観光客はバスでやってくるのだろう。沿線でカメラを持った鉄ファンに出会うこともまずない時代であった。

撮影:1967.3.5
背後に耶馬渓の競秀峰がそそり立つ素晴らしい雨上がりの羅漢寺駅であった。

写真集の「あと書き」に使う写真の候補として残ったのがこの1枚↑。車両は小さく、空は広く写った写真はなかなか無いもので「まえ書き」や「あと書き」に使う写真には苦労した。

羅漢寺駅(左に見えるホーム)と駅前の民家、そして背後に耶馬渓の競秀峰。

今回の写真展で全紙や全倍に引伸ばすのも車両が大きくては使い物にならない。
下の4枚も車両が大きく写真集では使えなかったし、ましてや写真展で大きく引伸ばすのには全く使えない。

羅漢寺に到着した「やまばと」号
悲しいかな、中津を出てすぐに運転席のワイパーのブレードがすっ飛んで無くなってしまった。雨で運転手は前方が見にくかったことだろう。

中津からやってきた列車はここで片ボギー車を切り離す。次駅が「かぶしの」

やがてやってきた上り列車。羅漢寺

梅が咲く羅漢寺駅周辺

山国川ぞいに次の冠石野へ向かう絶景. 羅漢寺-冠石野
この区間を縦横と何枚も撮った中の1枚。


2019年1月5日土曜日

美流渡の2146 (3)

田辺さんが撮った美流渡のB6で、背後に写った炭鉱町や鉄道施設はこれ以上なかったので美流渡に到着するまでの2日間を何枚かアップしてみます。

撮影:田辺多知夫 1965.7.26~27
憧れの藤田炭鉱小石を訪問したのが7月26日であった。私は北の果て小石や猿払の土地名にしびれます。

美唄の迫力
 翌7月27日は三菱鉱業美唄鉄道を訪問。ここで田辺さんは北海道炭鉱蒸機の洗礼を受けたことでしょう。 美唄

常盤台の衝撃的な世界

美唄から常盤台まで走っていた三菱鉱業美唄鉄道の盤ノ沢駅。「がろ」と「とうめいの」の駅名に思わずシャッターを切ったのでしょう。 

そして美唄を訪問した7月27日に北星炭礦美流渡礦専用鉄道まで足を運んでいる。ここで美流渡の2146に出会えて感無量!!   細部のアップを撮りまくっている。