案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2019年1月11日金曜日

大分交通耶馬渓線 羅漢寺

2019/01/13 記事
最近、facebookで耶馬渓線の廃線跡の今が紹介されましたが、
耶馬渓線の沿線でハイライトとなる羅漢寺駅は今や跡かたもないようだ。
今回の写真集や写真展で使わなかった羅漢寺の駅および周辺の写真を並べてみます。

羅漢寺駅に降りて行動した時の記録は全くないが、雨上がりの羅漢寺駅から山国川沿いにひと気が無かったのが印象に残る。一大観光地ながら観光客はバスでやってくるのだろう。沿線でカメラを持った鉄ファンに出会うこともまずない時代であった。

撮影:1967.3.5
背後に耶馬渓の競秀峰がそそり立つ素晴らしい雨上がりの羅漢寺駅であった。

写真集の「あと書き」に使う写真の候補として残ったのがこの1枚↑。車両は小さく、空は広く写った写真はなかなか無いもので「まえ書き」や「あと書き」に使う写真には苦労した。

羅漢寺駅(左に見えるホーム)と駅前の民家、そして背後に耶馬渓の競秀峰。

今回の写真展で全紙や全倍に引伸ばすのも車両が大きくては使い物にならない。
下の4枚も車両が大きく写真集では使えなかったし、ましてや写真展で大きく引伸ばすのには全く使えない。

羅漢寺に到着した「やまばと」号
悲しいかな、中津を出てすぐに運転席のワイパーのブレードがすっ飛んで無くなってしまった。雨で運転手は前方が見にくかったことだろう。

中津からやってきた列車はここで片ボギー車を切り離す。次駅が「かぶしの」

やがてやってきた上り列車。羅漢寺

梅が咲く羅漢寺駅周辺

山国川ぞいに次の冠石野へ向かう絶景. 羅漢寺-冠石野
この区間を縦横と何枚も撮った中の1枚。


4 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

日本の地方私鉄!って風景ですね、架線がなくても痺れます。
固有名詞つきのDCは、中津駅で何枚か撮影したきりです。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
耶馬渓線のDCを中津駅で撮りましたか。
例の大学鉄研の九州SLめぐりの時ですね。

U-BOAT さんのコメント...

こんにちは。
中学校の頃遠足に言ったら耶馬溪線の廃線跡が延々と続いているのを見て、今からでも線路を引きなおせば再開できるじゃないかと思った覚えがあります。
確かに青の洞門などの観光地は車で行くほうが便利ですね。
紅葉のシーズンの大渋滞を避けるなら列車だったと思いますが、それだけでは鉄道は維持できないでしょう。
中津に汽車ポッポ食堂と言うレストラン兼ホテルがあります。
耶馬溪線の車両を数両個人で保存しています。
車両の中をレストランに改造していたり、台車が無かったり、残念な気がしましたが、それでもちゃんと車両が残っているだけでも感謝しなくてはなりません。

katsu さんのコメント...

U-BOATさん
中津にある汽車ポッポ食堂の写真をつい最近 facebookで見ました。
たぶんU-BOATさんがfacebookの地方私鉄グループに投稿されたのでしょう。
もう一度見ようと思ってfacebookを探したのですが、これが中々出てこない(泣)