案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2014年7月30日水曜日

昭和42年 西鉄北九州線100形

先日北九州を訪問されたChitetsuさんのブログ記事 西鉄100形電車との遭遇 で西鉄148号の保存車のことが紹介されていました。それを見たCedarさんと同様に私もこの西鉄100形148号と100形電車が元気に活躍していた時代の姿を集めて見ました。
撮影場所は筑豊電鉄の入口と黒崎、戸畑にかけてで、専用軌道では電車がえらく飛ばしていた記憶があります。また北九州線は余りに巨大規模の軌道線であり、これを把握するなんては容易でなく諦めの象の鼻先見物でした。こんな北九州線で見た厳つい電車が保存されていたとは嬉しいことです。

撮影日: 全て1967.02.27
戸畑大橋の下にある戸畑駅で発車待ちの門司行148号 (現在は門司港に保存)

戸畑駅から見た戸畑大橋

鹿児島本線と北九州工業地帯を見て西鉄北九州線を飛ばす148号

筑豊電鉄の専用軌道を高速で走る門司行157号.貞元-萩原

カラーリングの参考66形85

筑豊電鉄沿線のベットタウンを行く戸畑行146号. 貞元-萩原

黒崎駅前の門司行140号

北九州市内戸畑を行く砂津車庫前行144号 幸町

2014年7月29日火曜日

新宿駅南口

新宿駅南口はいつ見ても工事をやっている感じで、以前から進められている今の工事で一体何ができるのか上からのぞいてみました。工事はJRの線路とホームの上に4階建南口新駅舎とその隣に33階建複合ビルを2016年春までに完成させるそうです。


新宿南口の今  2014年7月
甲州街道の南側に工事中の南口新駅舎は、4階がバスターミナル、3階がタクシーのりば、2階が改札だそうで、4階にバスターミナルらしきが見える。 南口新駅舎の右脇に建てる33階建の複合ビルは高島屋の並びの土地にクレーンが立つ辺りでこれから鉄骨が延び始めるのでしょう。
どうやって新宿駅のホームの上に33階建ビルを建てるのか? と思っていたが、そんなことはないようです。
左に見える小田急の線路上に人工地盤を作り遊歩道と店舗を配置した新宿サザンテラスの通りは1998年に完成している。

昭和5年東京日日新聞付録。東京市外地図。
新宿駅南の甲州街道には昔京王線が走っていて小田急、国鉄を越えて新宿三丁目まで行っていた。この新宿駅南の甲州街道(橋の上)に電車が停車したのを見たという先輩がいたのには驚いた。
その後、京王線新宿駅は小田急線新宿駅の隣に地上駅で並んでいて、1963年4月に京王線新宿地下駅が開業するまで京王600V電車が甲州街道を走る光景が見られた。
新宿駅南口はこれからも果てしなく様々な開発が進むことでしょう。

以下は過去の記事より
最後の新宿地上駅 1963年4月 
新宿地上駅を出るとすぐカーブして甲州街道のど真ん中を走っていた京王線。新宿地下駅が開業する直前の光景で、甲州街道を右手へ進んだ橋の上にある国鉄新宿駅南口は工事中のようだ。 駅の周辺にはまだ高いビルもなく新宿もすっきりしていた。

甲州街道から新宿駅南口を見た現在の風景。 2014年5月
あの長閑な新宿駅周辺もあっという間にビルが林立する風景となり、新宿地上駅があったところに
京王百貨店が建つ。

2014年7月26日土曜日

昭和42年春 長崎の路面電車(車両編)

昭和42年春に在籍していた車両はその後イベント用となった保存車(150、160形)を除くと200~500形が今も現役で活躍しているようで、各形式の車両写真を並べてみると改装前の当時の姿が判る。200形以降は全て自社発注車で他線からの入線車はまだ居なかった。

長崎の路面電車風景を取上げた過去の記事は↓にあります。
長崎電軌 大浦支線 ・・・7月21日にリンク紹介済
長崎電軌 蛍茶屋支線

撮影日: 全て1967.03.02. 
その後原形に復元され保存されている160形(元西鉄) 西浜町 
原形よりもこの頃の姿に魅力を感じてしまう。

170形(元西鉄) 長崎駅前 

201形(200形奇数番) 海岸通り

202形(200形偶数番) 長崎駅前

202形 長崎駅前
昭和42年の地方大都市には既に車が溢れていた。
野山を行くローカル路線と違って、車が被さらないように撮る路面電車に疲れ果て、
九州各地の路面電車を撮るのが嫌になった事もある。観光めぐりの旅なら楽なのだが。

211形 西浜町

300形 長崎駅前

370形 長崎駅前

最新の500形 賑橋

ハーフサイズカメラ(オリンパスペン)で撮った昭和42年の長崎電軌のカラー2点。
当時のグリーンとクリームの標準カラーで今も変わらず活躍しているようだ。


1962年に導入された370形   長崎駅前 1967.03.02.


370形広告塗装

2014年7月21日月曜日

昭和42年春 長崎の街に昭和の風景が溢れていた頃

長崎の街 1967.03.02
グラバー邸の一角から長崎の街と大浦支線を眺める。
築町から海岸通りを走り電停「大浦海岸通り」で→ へ曲がる大浦支線が見える。遠くの木立に囲まれた美しい三角屋根は活水女子大学のようだ。

 以前 長崎電軌大浦支線 で取上げた昭和42年の長崎の街↑を見ていると更に当時の長崎の街並を追ってみたくなってきた。もう47年も昔のことで学割周遊券を使った車中泊の旅はこの春が最後となった。

撮影位置が不明だが、たぶん大浦天主堂あたりの高台からか?
右手の教会風建物などから撮影位置を割り出してみる楽しみがある。→後日アップしました。


大浦石橋通りの背後に迫る高台に民家が密集している。弁天橋電停(現在の大浦天主堂下)
午前中この大浦石橋通りの路面電車を撮り、午後は長崎駅前から市内めぐり観光バスに乗ってまた同じところに舞い戻って来た。弁天橋でバスを降りて自由行動の大浦地区めぐりであった。

電車から見える長崎港.

大浦石橋通り. 弁天橋

朝の長崎駅前.   1967.03.03

昼の長崎駅前.

蒸機の旅客列車が盛んに発着していた長崎駅.

諫早から島原鉄道バスで島原街道を走り雲仙へ向かう.
愛野で島原鉄道と別れて島原街道を進むと車窓に海岸沿いの美しい風景が.
雲仙公園でバスを島鉄大手行きに乗り継ぎ島原へと向かう.

バスで到着した島鉄大手は島原城のすぐ近くにあった.
暖かい春の日差しの島原であった。

島原の街並の向こうに有明海を望む.

3月初旬、確か梅と桜が一緒に咲いていた武家屋敷跡.
バスの中で女の子が食べていた土地の柑橘系の匂いが今も記憶に残る。

2014年7月19日土曜日

西武新宿線を走った「おくちちぶ」号

今日と明日は西武新宿~西武秩父間を臨時特急「おくちちぶ」号が1日1往復するので
数年前までN101系を狙っていた撮影ポイントへ久しぶりに行ってみました。
写真で普段の特急と異なるのは「おくちちぶ」の表示だけ。


臨時特急「おくちちぶ」号 武蔵関 - 東伏見 2014.07.19

同じ場所で撮った昔の写真。
N101系10連 新所沢行 武蔵関-東伏見  2012.05.10
定期運用離脱後久しぶりに現れた急行101系10連 (2012.12.09本線から消滅)

2014年7月17日木曜日

西武鉄道国分寺線 鷹の台

国分寺線の鷹の台付近には宅地の合間に開けた畑、四季の変化が楽しめる玉川上水の雑木林などがあり自然豊かな一角である。N101系がいなくなった以外は何も変わりないその後の沿線風景なのだろう。

夕陽を受けて家庭菜園の脇をN101系が行く. 小川-鷹の台  2008.10.21

 駅前に小さな商店街と公園がある鷹の台. 2008.10.21

駅の裏手が公園になっている鷹の台. 2009.03.09



小学生から大学生まで学生で賑わう鷹の台. 2008.09.26

 雑木林の玉川上水を渡る2000系. 鷹の台 2009.03.09

2014年7月15日火曜日

西武鉄道国分寺線

西武国分寺線を撮るようになったのはこの1枚からであった。
その後、国分寺側に2連のN101系がつくその日の情報があるとよく国分寺線へ飛んで行ったが
N101系が消えてから国分寺線へ撮りに行くことはなくなった。

夏の日の小川駅  N101系2+4連 2008年7月  
拝島へ向かう時にわざわざ小川で降りて101が来るのを待った
夕方の西日がとても強かった7月初旬のあの日の事が思い出される。

ちなみに上の"日の丸写真"をやめて車両をもっと手前の位置で撮ると・・・
鉄道撮影の楽しみ方は千差万別でヒト様々だ

小川駅の国分寺線N101系