案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2014年7月1日火曜日

marimoさんを偲んで 中千住貨物線

東武のこの貨物線が撮られたのは8(3代目)号機ピーコックが消える直前の1963年。
中千住駐泊所から分岐して道路を横断し京成の高架下を潜って隅田川へ出る中千住貨物線に
ピーコックが動いていた時代で、いかにも日本の高度経済成長の始動期1960年代前半らしい風景です。 
写真は全てmarimoさん撮影

工場の大きな煙突、踏切、京成関屋に近い京成高架線、左の東武線など
ここは中千住貨物線であることが判る. 1963.09.25

京成の下を抜け道路を渡り中千住駐泊所へ向かうピーコック

8(3代目)号機ピーコックで1963年廃車.この2ヵ月後に業平橋の廃車古典蒸機にいた8号機である.
(業平橋の号機不明機は皆さんの情報により8号機が判明したもの)

東武の中千住駐泊所はここで紹介したことがあります。→中千住駐泊所
中千住貨物線の判り易い地図や航空写真の紹介がここにあります→轍のあった道

58(2代目)号機ピーコックで1964に廃車. 中千住駐泊所 1963.09.25

2011年1月23日のmarimoさんとのメール

Subject: Re: 業平橋界隈のこと

田辺さん 
いろいろ調査戴き、ありがとうございました。
SLの給水炭設備があった場所は、中千住の駐泊所(俗称)だそうで
やはり北千住の日比谷線高架の手前でした。私は50年近くも業平橋
の機関区と思い込んでいました。
諸河さんから花上さんにも確認してもらいやっと正解が判りました
杉戸所属のネルソンは、この駐泊所脇と業平橋の貨物ヤードを往復
作業を終えると中千住駐泊所の転車台で転換し、杉戸に帰って行ったそうです。
我々が撮った昭和38年3月はSL廃止直前で、田辺さんがその後
撮られたという事は正にSL廃止のギリギリ一杯と思われます。
と言う事でお騒がせしました。
風間

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