案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2022年6月20日月曜日

相模鉄道 海老名

新宿始発の相鉄ネイビーブルーの乗車を楽しんで海老名に行き、小田急海老名駅に併設された小田急ロマンスカーミュージアムの見学を楽しむ、なかなか良き一日であった。



新宿駅2番線に到着する相鉄ヨコハマネイビーブルー

新宿「新南改札」下の暗がりでブルーの車体が光輝く9:27新宿始発の海老名行。
休日ともなれば先頭車に子供たちが張り付くので落ちつける最後部車両が良さそうです。


現在の跨線歩道橋から海老名駅方面の撮影は困難。


僅かの隙間からスマホを当てて垣間見た海老名駅と小田急車両基地。
下が相鉄線で右手が小田急線。

一面田畑の中にポツンとあった海老名駅。 1963.10.20
この年の2月にNSE3100形がデビューした。

相鉄線と小田急線と右手に相鉄貨物線が見える海老名風景。1962年10月
撮影:山本忠夫氏


跨線歩道橋からJR海老名駅方面を見た現在の相鉄旧貨物線。


1963年の相鉄貨物線。 海老名


海老名のロマンスカーミュージアム。

新宿駅西口から芦ノ湖まで巨大スペースのジオラマ。
ロマンスカーミュージアム


小田急モハ1
ロマンスカーミュージアム

熊本電鉄モハ301 北熊本 1967.3.6 
小田急が買戻し開業時の1形に復元した。


モハ303  藤崎宮


2022年6月14日火曜日

広島風景

路面電車の写真は人、クルマ、看板、建物など昔の街風景が写っているのが楽しい。


撮影:1967.3.7


広島電鉄  宮島行き直通電車。 小網町-土橋

 2系統の己斐から広島駅へ向かう400形。 小網町-土橋


己斐行きの400形。 小網町-土橋


土橋の分岐点。

単車で賑わう十日市町分岐点。単車は150形

2022年6月12日日曜日

3種のカメラ

3種のカメラを適材適所で使い分けたある日の撮影。

梅雨入りの日に撮った雨の紫陽花。
花の色合いをフルサイズ機で楽しめるようになった。
フルサイズ機で花を撮るならSony α7Ⅲに40mm単焦点レンズ(173g)装着し、軽量コンパクトでフラッと撮りに行くのが楽しくなる。 


日本橋のステンドグラス「日本橋南詰盛況乃圖」高島屋前の地下通路にて。
ポケットに入れて街歩き撮影するなら断然スマホ。

梅雨入りの早朝に姿を見せた富士山。
自宅で富士山撮るならLumixマイクロフォーサーズ機GX1に140mm(265g)望遠で。


2022年6月11日土曜日

昭和51年 尾小屋最後の時代

尾小屋鉄道を最後に訪問したのは昭和51年春であった。
廃線1年前で構内の線路もだいぶ外されて寂しくなっていた。
初めて訪問した1962年夏から14年も経っていてよく生き延びたものである。
散々楽しませてもらった尾小屋鉄道を見るのもこれが最後となってしまった。

2012年4~5月にアップした「昭和51年の新小松駅」の続編です。


撮影:1976.04.09


尾鉄バスの観光事業で賑わう新小松駅。

新小松を発車すると民家や工場が並ぶ。




新小松駅の風景。


バスが同居していた新小松の車庫・工場。


かつては給水塔があった機械工場の一角。




2022年6月2日木曜日

ある夏の新小松車庫

 昭和37年、尾小屋鉄道の新小松で見た車庫風景です。
機関車DC121のカラーもまだクリーム/赤になる前で濃淡の緑だったような?
これから時代が変わる前で、それまでの尾小屋鉄道がそのまま残されている
感じがした昭和37年の真夏でした。


撮影:1962.8.1


機械工場。


機械工場の一角。


当時の日本鉱業㈱の社紋が入っていた。
この年(昭37)に日本鉱業が尾小屋鉱山から撤退。

協三工業製の美しいDC121足回り。
一部に蒸機の部品を利用していると言われている。


新小松の車庫と工場の全景。


車庫の反対側には新小松駅。踏切番がいるようです。


炎天下の日立製キハ2.旧塗装で赤帯が入っていた。


キハ2のエンジン回り






赤帯入りの旧塗装 キハ1。


立山重工製14.5tCタンク 5号機。
まさかこれが動く時代がやって来るとは思ってもいなかった。