案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2026年4月29日水曜日

記憶にある色を求めて 尾小屋DC121

昭和30年代の地方私鉄独特なカラーリングの中で、今回のカラー化は尾小屋、沼尻、松本浅間線などの奇妙で曖昧な色を出すことが主目的であった。この路線に限らず昭和30年代の地方私鉄の奇妙な色はその殆どが昭和40年代に塗り替えられて、消滅してしまった。

その一つ尾小屋DC121が赤系になる前の1962年に見た曖昧な色を、記憶とノートのメモを元にAIカラー化してみた。当時の色は紙媒体があったとしても仕上りにバラツキがあり正確な色の記録は無く、見た人各人の記憶にあるのみ。

FBに投稿したカラー化DC121を更に仕上げたのが今回です。



窓回りの緑がかったクリームが印象的であった
DC121  金平 1962.8.1


2026年4月26日日曜日

記憶にある色を求めて 北陸鉄道能登線

1962(昭和37)の北陸鉄道能登線も昭和30年代らしいカラーリングで、北陸鉄道の標準色(クリーム/朱色)になる以前は、こんな昭和30年代らしい色であった記憶がある。決して朱色の能登線ではなかった。

記憶の裏付けとなるカラー情報はネットや書物に見つからず、やっと見つけた訪問ノートのメモが裏付けとなった。窓下が北陸鉄道の朱色ではなく微妙なブルーであるのは間違いなかった。

窓下のブルーをもっと明るい水色に指定して再度AIカラー化をやってみた。
AIは昭和37年の能登線のカラーを知らない(ネットにカラー情報がない)ので何種類もブルーを試してみて、その中の1点を自分でトーン調整したのがこの1枚になった。ブルーをもう少し濃くしたいがAIは窓上クリームまで濃くしてしまうのでそれは無理であった。記憶に近い色の見本が無くて能登線も厄介な色ブルーであった。


撮影:1962.8.2

昭和37年 夏の能登.能登線のカラーリングが能登によく似合っていた時代、これが記憶に近い昭和30年代の車体カラーリングであった。


2026年4月25日土曜日

記憶にある色を求めて 常総筑波鉄道筑波線

 1962(昭37)年の筑波線のカラーリングは、正に昭和30年代らしい色だったが、奇妙な色ではなくオーソドックスなツートンだった。窓下が少し明るめの紺色で、決して派手さは無かった。

#9999さん、ご指摘ありがとうございます。
側面にある常総筑波の複雑な社章、AIでは読みとれず消しました。

撮影:1962.3.31


キハ401。真鍋


キハ305。真鍋


2026年4月20日月曜日

秩父鉄道 熊谷駅

 秩父鉄道と言えば熊谷駅構内で見た美しい電機たち。あの頃の貨物輸送にこんな魅力的な電機が活躍していた。それと秩父鉄道のホームの先にいた東武熊谷線の美しい気動車。

熊谷駅 撮影:1965.5.30


東武熊谷線の気動車はまだブタ鼻ヘッドライトに改造前で、ツートンカラー(クリーム/濃紺)に塗られた美しい気動車の時代があった。改造後の姿とは印象が全く違う。



クハ600形+デハ500形 と ED381     熊谷 1965.5.30

デキ3  1984年廃車

デキ7  1977年廃車
1925年(大正14年)、秩父セメント(当時)秩父工場の操業開始に合わせてイギリス・イングリッシュ・エレクトリック(デッカー)で製造されたデッキ付き箱形B-B機。同型車は東武鉄道(ED10形)にも存在した。


ED381  1988年廃車
日車1930年製で阪和電気鉄道ロコ1000形として製造され、国有化後1952年に改番されて国鉄ED38形電気機関車となり、1959年に秩父鉄道へ譲渡された。


2026年4月19日日曜日

秩父鉄道SL列車と、63年前のC58 363

先日、秩父鉄道SL(C58363)列車で熊谷から三峰口まで乗ってきました。 
会社OB達との旅は、毎度飲み食い主体の飲み鉄であり、改めてSLと西武特急ラビューを撮りに行きたくなる絶好の季節であった。それにしても新緑の野山が美しかったこと。

撮影:2026.4.18



新緑を背にSLを眺めて楽しそうな家族連れなど素敵な風景でした。撮影がスマホなのでデジタルズームでかなり無理をしています。




C58 363 三峰口



63年前の美しい現役時代 C58 363. 
仙台駅  1963.9.29 (AIカラー化)



仙台機関区

2026年4月16日木曜日

西大寺の色

 西大寺鉄道を模型化するならマルーンはこんな感じだったか。


ホハ3   1962年夏


2026年4月13日月曜日

Oナローの線路

昨日のイベントで見せてもらったOナロー(1/48)線路の作品。 
 
マイクロエンジニアリングのコード83(レール高2.1mm)(実物30kg相当)のスパイク打込み。実物で30kg相当は沼尻の太いレールくらいになるが、模型にすると沼尻より細く見える。Oナローの地方私鉄ではレールはコード83と70で十分か?  林鉄やトロッコでは更に細いコード55や40のレールか使われるようだ。





足元の線路で素晴らしい風景になる。

2026年4月8日水曜日

記憶にある色を求めて 沼尻鉄道

モノクロ写真の生成AIによるカラー化。
AI任せでは色が出ない昭和30年代の難解色の代表が尾小屋DC121、浅間線、沼尻。

沼尻のカラー写真の事例がネットに多々あるが、その多くは模型のカラー写真。
書物の印刷でイメージに近いのが機芸出版社「軽便探訪」の表紙くらいであった。
青でもない緑でもない、何とも言葉で表現できないのが沼尻の色であった。



青に寄り過ぎた青緑


カラコード「#24B5B5」をAIに指定、+微調整(彩度-30 色温度-10)
★記憶にあった緑を感じる青緑
 

電動バイクLUUPのブランドカラー


日産最新EVリーフのルミナスターコイズ


沼尻

青でもない緑でもない難解な沼尻カラーをカラーコードで生成AIに指定した。

2026年4月4日土曜日

記憶にある色を求めて 松本電鉄浅間線

刻々と進歩している生成AIによるカラー化。
試しに63年前の松本駅前の浅間線を生成AIカラー化してみた。

街並みの色に不自然さはないが、
浅間線のカラーリングがどうしても再現できなかった(1枚目)。

昭和30年代の地方私鉄カラーリングは独特で、特に浅間線のくすんだカラーリングの再現は最難関の部類と思われる。数年前まで松本市内を走っていた浅間電車カラーのバスもイメージが違っていた。

街並みの色に比べて、浅間線の色の情報が如何にネットにないかである。
ヒギンスさんの写真集にあった1枚の写真がの色が唯一近いと思われるがネットにはない。



AI任せでは再現できない浅間線のカラーリング。



2枚目は3枚目の色見本+プロンプト(細かな色合い指示)を指示して画像生成したもの。

3枚目は色あいを文章で指定し様々作成したうちの1枚で、おぼろげな記憶に残る色にほぼ合う色合い


美ヶ原高原の山並みを背に松本駅へ向かう.
当時の微妙な色にだいぶイメージが近づいた仕上り。当時の色は実車を見た人それぞれの脳裏に残る記憶のみ。