ところが今では、廃線跡や廃駅を撮る“廃墟写真”という分野が市民権を得ている。鉄道が廃止になったあとの風景にこそ、賑わいがあった時代を想像する物語があるという。現役時代の痕跡を辿り、その余韻をデジタル画像で浮かび上がらせる試み。それが今の写真表現の一つになっている。
確かに、現代のデジタル処理は目を見張るものがある。色の演出、コントラストの妙、空気感の操作── もし60年前の七窪駅を今の技術で再現したなら、この風景はどんなふうに蘇るのだろうか。
潮風に揺れる防風林、枯草、木造駅舎の風化した壁、かすかに感じる生活感。 そんな細部に七窪駅にかつて刻まれていた時代のことを、今だったらもっと深く捉えられた気がする。
そして、鉄道が“動いていた”こと以上に、鉄道が“消えた跡”の深さを知ったのは、つい最近である。
2 件のコメント:
こんにちは。ご無沙汰しております。廃線跡に興味が向けられるようになったのは、もう乗る事が出来ない鉄道の走っていた頃の情景を思い浮かべているからだと思いますよ。
日本人特有の侘び寂びの世界だと思います。
私は中学生の頃、人里離れたところに廃線跡があるのを見つけて興奮した覚えがあります。福岡県だったので、炭鉱の専用線だったりしたわけですが。
U-BOTさん
確かにその通りだと思います。ただ今の廃墟や鉄道の廃墟跡(廃線跡)ジャンルはそれだけではなく、如何に廃墟を感動的に表現するか写真の世界だと思います。ただ撮っただけの写真では記録に過ぎない。最適な季節、天候、雲、太陽光線を待って撮影し、RAW現像で表現する写真の楽しさだと思います。
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