案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2025年5月26日月曜日

寂れた七窪駅



庄内砂丘の中にひっそり佇む現役時代の七窪駅.1966.2.28


寂れた駅と言えばまず思い浮かぶのは、庄内砂丘の中にぽつんとあった庄内交通七窪駅の風景だった。 ここはまだ列車が走っていた時代の記録だが、列車が去った構内には人影もなく、潮風に晒された駅は静まり返っていた。いわば“現役鉄道の寂しさ”が漂っていた駅だ。

当時の私は、列車が写っていない写真にあまり関心がなかった。ましてや廃線跡などは、自分にとっては“終わった場所”にしか見えなかった。だから、こうした寂れた駅の写真も、当時の私にはただの一枚にすぎなかった。

ところが今では、廃線跡や廃駅を撮る“廃墟写真”という分野が市民権を得ている。鉄道が廃止になったあとの風景にこそ、賑わいがあった時代を想像する物語があるという。現役時代の痕跡を辿り、その余韻をデジタル画像で浮かび上がらせる試み。それが今の写真表現の一つになっている。

確かに、現代のデジタル処理は目を見張るものがある。色の演出、コントラストの妙、空気感の操作── もし60年前の七窪駅を今の技術で再現したなら、この風景はどんなふうに蘇るのだろうか。
潮風に揺れる防風林、枯草、木造駅舎の風化した壁、かすかに感じる生活感。 そんな細部に七窪駅にかつて刻まれていた時代のことを、今だったらもっと深く捉えられた気がする。

そして、鉄道が“動いていた”こと以上に、鉄道が“消えた跡”の深さを知ったのは、つい最近である。



七窪駅の引込線に使われなくなった客車が休む.七窪駅の片隅.


先日、出版された凄い廃線写真集.




2 件のコメント:

U-BOAT さんのコメント...

こんにちは。ご無沙汰しております。廃線跡に興味が向けられるようになったのは、もう乗る事が出来ない鉄道の走っていた頃の情景を思い浮かべているからだと思いますよ。
日本人特有の侘び寂びの世界だと思います。
私は中学生の頃、人里離れたところに廃線跡があるのを見つけて興奮した覚えがあります。福岡県だったので、炭鉱の専用線だったりしたわけですが。

katsu さんのコメント...

U-BOTさん
確かにその通りだと思います。ただ今の廃墟や鉄道の廃墟跡(廃線跡)ジャンルはそれだけではなく、如何に廃墟を感動的に表現するか写真の世界だと思います。ただ撮っただけの写真では記録に過ぎない。最適な季節、天候、雲、太陽光線を待って撮影し、RAW現像で表現する写真の楽しさだと思います。