案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2025年7月10日木曜日

小坂鉄道 軽便の面影は消えていた大館駅

 

花岡行と小坂行の発車案内が表示された大館駅. 1966.03.0



栃尾線に転じたホハ30 (元小坂鉄道のハ10)。 同時に栃尾へやって来た他の5両とは外観が異なる。 栃尾鉄道 悠久山 1964.3.22

昭和41年早春、奥羽本線の大館駅に降り立った。雪の残るホームには、ありふれたキハと機関車が発着を繰り返していた。かつて鉱山を結んで走った小坂鉄道も、今やナローゲージの面影を失い、1067mmへと改軌されていた。改軌は昭和37年10月のこと。乗車券には「同和鉱業小坂鉄道線」と記されていた。

大館からは小坂線と支線の花岡線が分岐していたが、構内の風景はどこか味気なかった。軽便鉄道らしい車両や線路の表情は、もうそこにはなかった。

書物によると小坂のナロー時代は、軽便とは思えぬほど重厚で威風堂々としていた。その時代の客車をこの数年前に越後交通栃尾線で見たことがある。今、改めてその写真を見ると、冬景色の大館駅が思い出された。

ナローが改軌されても、車両が変わっても、あの大館駅の小坂鉄道には時代を越える風格があった気がする。

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