案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2025年9月25日木曜日

筑波鉄道 筑波北方

美しいツートンカラーに塗られた気動車。筑波の峰々を背に走り抜ける風景は、あまりにも日常風景に溶け込みすぎて、かつて私はその魅力に気づくことがなかった。

駅舎の佇まい、ローカル色豊かな設備、そして茨城の素朴な風土と自然。
筑波鉄道は、暮らしのすぐそばにあった。
けれど、その魅力は何十年という歳月が流れて、初めて感じられるようになった。

鉄路はすでに消え、残されたのは駅のホームや木立の痕跡、自転車道に姿を変えた廃線跡など。筑波北方に広がる沿線の風情は、今も変わってないのだろう。



紫尾(しいお) - 酒寄  1987.3.28
真壁から筑波方面へ向かい常陸桃山を過ぎると、筑波山が背後に迫ってきて紫尾(しいお)に到着する。その先にあった木立や竹藪の脇をカーブする辺りが、最も好きな撮影ポイントであった。

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