案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2011年3月8日火曜日

京福電鉄 永平寺から東尋坊へ1

1968(S43)年1月の京福電鉄永平寺線、三国芦原線は昨年4月18日4月20日に簡単にアップしましたが、
今回は丸岡線を入れて、再度 永平寺から三国港そして東尋坊へと向ってみます。

単行でやってきた永平寺線 デハ107  東古市 1968.1.14

福井から京福越前本線に乗り、東古市で永平寺線に乗換え単行電車に詰め込まれて永平寺までやってきた。永平寺は山が迫り典型的な田舎電車の終着駅であった。
山が迫ってくる永平寺駅
永平寺駅前

金津行き永平寺線 デハ105

永平寺線金津行に乗って本丸岡へ向かった。車内は団体の参拝客や温泉客で込み合い、皆一杯飲んでいる様子で赤ら顔をしていた。若い旅行グループも見られ、乗客の多くは金津から芦原温泉や東尋坊へ向かうのであろう。
永平寺線から丸岡線が分岐する本丸岡の駅は、田んぼの中にあり吹きっさらしで寒いこと!
本丸岡に到着した永平寺線金津行き デハ105。
1番線は金津行 2番線は永平寺行、 隣に丸岡線のホームがある。

5 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

いいですね~!これぞ地方私鉄の典型という施設と車両です。都会派(?)を自認していた私も北陸の私鉄たちは魅力的に移り、何度か通いましたが、京福は永平寺線は末端部のみ、丸岡線は消えた後でした・・・

katsu さんのコメント...

Cedarさん
私も北陸の私鉄たちには格別な魅力を感じていました。
京福はあのツートンカラーが絶品でしたね。永平寺線のボウはパンタに変わっていましたが素晴らしい電車でした。
この時代以降は車両が激変で京福福井の感じがしなくなり、私は長い間遠のいてしまいました。

匿名 さんのコメント...

単車で永平寺駅に着く電車の後ろに見える踏切には今でも当時の線路がアスファルトの中に残っています。見つけた時にはわからなかったのですが、あの写真で永平寺線の名残と分かりました。やすし

匿名 さんのコメント...

Cedarさん、Katsuさん、おっしゃる通り、僕が芦原の電話局から福井に転勤になった1970以降、南海や阪神の車両が入って来ましたが、いかにも中古という感じで、情緒もなく地元の僕たちさえ乗る気がしませんでした。そのうち南海からきた車両以外無くなりました。運転手さんに聞いたら、台車はそのままで車体でだけ替えたとの事、その時、永平寺線の下り勾配でブレーキロッドが折れて暴走し、勝山行きの列車と正面衝突した姥桜も生まれました。やすし

katsu さんのコメント...

やすしさん
旧永平寺鉄道から引継いだ永平寺線の美しい電車は、見てくれだけでなく古くても安全面でしっかり作られていたのでしょう。
保存されていれば会いに行きたくなります。