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高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2023年7月10日月曜日

最近の再スキャンより 頸城鉄道1

 1962(昭和37)年夏の頸城鉄道を再スキャンしてみました。
これまで掲載してきた画像に比べ格段に画質がアップしています。
下の61年前のネガのスキャンで4点以外はゴミ削除やトーン調整が全く不要でした。


撮影:1962.8.3
明治村に到着する客貨混合列車。
1968年もこんな客貨混合の長大編成がまだ走っていた。


マキを満載したトフを牽く交換列車。明治村


小さな貨車から国鉄貨車へ積替え。新黒井


夕暮れの新黒井。


夏草茂る百間町。



百間町の車庫。



コッペル2号機。


十勝鉄道からやって来たDC123。


トラックから小さな貨車に荷の積込み 浦川原。

4 件のコメント:

鹿部電鉄 さんのコメント...

懐かしい画像を見せていただきました。というか、アーカイブで時々色々な鉄道の過去をのぞき見していますが。百間町の草生した真夏の光景は生々しく記憶に残っています。1970年のことですからKatsuさんの写真のさらに8年後ですが全く同じ、と言うことはその頃は時間の流れが今と違ってとても遅かったンでしょうね。バスで車庫の近くまで行き、遥かにホジの姿がみえるものの道が見つからないので畑か草原を横切って辿り着きました。車庫の横で休んでいたオジサンに「神戸から来ました」と言ったら「えっ、そんな遠い所から?」と驚かれましたが、色んな話を聞かせてもらいました。「ホジ」のジはジーゼルのことかと思っていたら自動車のジだと教えてくれました。後で調べたらガソリンカーの頃から「ホジ」だったようです。
帰りもバス停を探して結局ホジには乗らずじまいでしたが、ずっと心残りになっていました。

青木秀敏 さんのコメント...

更新するたびに製作意欲をそそられる写真が掲載されますね。特に2枚目や4枚目の、だだっ広くて長閑な風景を作ってみたいものですが、普通のレイアウトでも得意の?強制遠近法ジオラマでも、こういった何も無い風景というのが意外にハードル高いんです。

katsu さんのコメント...

鹿部電鉄さん
私も何回か百間町を訪れていますが確かに駅の佇まいはそれほど変わっていませんね。
終焉ちかい1970年秋の訪問では部分廃線により新黒井へ延びる線路が消えていました。
駅前から百間町~直江津間のバスは出ていてホジでやって来た通勤客が直江津に向かっていました。
鹿部電鉄さんが乗られたのは頸城鉄道と列車接続していないバスだったかも知れません。

katsu さんのコメント...

青木さん
ありがとうございます。
これまでまともにスキャンしてこなかった1962年撮影のネガを再スキャンして落穂拾いをやっています。
1962年は私の撮影開始年でどうしても車両主体の写真ばかりですが
車両の背景にちょっとだけ写った建物などによく目が行きます。
この時代は模型にしたくなる建物ばかりだと思います。車両よりも建物をもっと撮影すべきでした。
青木さんのセンスでまたどこかのシーンをジオラマで再現されるのを楽しみにしています。