案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2013年3月19日火曜日

加悦鉄道 キハ51

思えば昭和37年の加悦鉄道を含む「地方私鉄めぐり」のスタートは渋谷駅であった。
1962年7月27日、渋谷駅の大階段を上がった東横線切符売り場あたりに集合し、東京駅から18:30発明石行急行「はりま」で西へ向かった。山陽道~山陰を経て加悦鉄道に到着したのが7月31日。
昭和37年は東京も地方同様に戦後の面影を色濃く残していた筈。なのにその時代の当たり前の風景に驚きもなく都電も渋谷駅も1枚も撮ってなかったのが悔やまれる。いつも「私鉄めぐり」の集合場所となったあの頃の東横線渋谷駅は改装前で凄まじい戦後の光景だったはず。その渋谷駅が幕を閉じ、あの時の渋谷駅から50年が経っていた。

国鉄宮津線の丹後山田駅では派手なカラーに塗られたキハ51が客を待ち受けて、日中はこのキハ1両が往復していた。

更新直後でピカピカのキハ51.  加悦  1962.7.31
船木鉄道より1962(昭37)年4月に入線し、自社改装され白に近いクリームと朱色のツートンカラーに塗られ7月21日より使用開始された。荷台付気動車はローカルムードがあったがあの渋いマッチ箱客車の加悦鉄道にはマッチしないカラーリングであった。

加悦を発車し丹後山田へ向かう

丹後山田駅の加悦鉄道線のりば. 昼過ぎで乗客もまばらであった.

キハ15と4号機

4 件のコメント:

Namiki さんのコメント...

その昔、地方私鉄の貴重な情報源と言えばやはり雑誌でした。しかし、わずかばかりのカラーページは消えゆくSLや最新車両の写真で埋まり、地方私鉄など大ていはモノクロページだけでありました。そのため、現地に行って初めてその強烈な車体カラーを目の当たりにし、まさしく仰天した記憶が残っています。時には、それが貴重なはずの木造駅舎だったり、トイレや詰所の色だったりと、モノクロは想像を豊かにしてくれますから、はずれた時の激しい裏切られ感を今でも執念深く覚えております(笑)

katsu さんのコメント...

Namikiさん
昔の地方私鉄の車体カラーには何とも言えない印象深いものがありましたね。カラーフィルムで撮るのはほんの僅かでしたので、私はノートに車体色を言葉でメモしていました。これでかなり色が思い出せます。メモで思い出せるのも地方私鉄独特のあの田舎臭い色あいのせいだと思います。

モノクロ写真でしか知らない鉄道を現地でカラーで見た時に別物のような何とも言えないものは確かにありました。私の場合は期待外れはほとんどありませんでしたが、どうにもならない酷いカラーリングが出始めたのは昭和40年代以降のような気がします。

加連之智 さんのコメント...

加悦鉄道には1972年小学校6年の時に撮影に行きました。竜雷太さんが主演されたTVドラマ「大いなる旅路」のロケ地がここだと知って訪ねました。買ってもらったばかりのPENTAX SPFを持って出かけ、たくさん写真を撮りました。懐かしい思い出です。
残念ながら阪神大震災で実家が倒壊し、置いてあった写真もネガも無くなってしまったのが残念です。

katsu さんのコメント...

加蓮之智さん
昭和47年の加悦鉄道訪問でしたか。
この頃はいかにも加悦鉄道らしい古典車両がまだ残っていた事と思います。
「大いなる旅路」がTV放映された頃はSLブーム到来の時代でしたね。
地方私鉄ながら加悦鉄道もきっと人気があったのでしょう。古典機の列車など映画にもよく使われたようですね。
その時の写真やネガを失ったとのこと、ほんとうにお気の毒です