案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2018年12月15日土曜日

花巻電鉄軌道線 朝の中根古

先日の鉄談義で話題となった花巻電鉄軌道線の中根古あたり、田辺さんが望遠で撮った風景を紹介します。
中山街道は非舗装路で朝のラッシュ時でもクルマは少なく、トレーラ2両を牽いた電車は満員であった。道路にはオートバイや道行く人でクルマ時代到来の直前で、昭和41年の軌道線にまだ活気があった。

撮影:田辺多知夫 1966.3.3
朝、花巻へ向かう電車は満員で道路にクルマは滅多に来ない。道路には徒歩の小学生、親子連れ、自転車と朝の中山街道はのどかであった。 中根古-石神

のどかな花巻風景。 中根古-石神

カーブのところにある「中根古」を過ぎ西鉛温泉に向かう電車。中根古

中山街道のクルマと人影 中根古

ドロの中山街道 石神-西公園

中山街道

花巻の車庫ではこんな風景が。馬づら電車の狭い屋根に4人も乗ったらさぞや怖かったことでしょう。

5 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

素晴らしい情景をありがとうございます。このような一瞬を捉えたお写真は、光景というよりも、心のこもった情景です。未舗装道路の併用軌道、ポール集電のナロー電車。それが満員の乗客を乗せた客車を2両も牽く姿。もう二度と見ることができない、いや写すことができないお写真を拝見し、遠い時空の彼方に心が洗われました。重ねまして感謝申し上げます。

U-BOAT さんのコメント...

こんにちは。
前にも書いたかもしれませんが、平成13年頃の一時期軌道線沿いで仕事をしていた時期があります。
その時どなたかが、その会社にいた運転手さんが元花巻電鉄の運転手だったと言っていた記憶があります。
確かめてみたかったのですが、その方が少々変わった方で、ついぞ確認することはありませんでした。
また花巻電鉄の社長さんの事も、地元の方からとても良い人だったと伺いました。
花巻電鉄と盛岡市内に「まつや」と言うデパートを経営していたそうです。
花巻電鉄の事をとても愛していたのですが、組合がしょっちゅうストライキを打つため、嫌気がさして廃止にしたと。
確か花巻電鉄は中央バスかどこかに吸収されているから手放したという表現が正しいかもしれません。
60年代は組合がしょっちゅうストライキを打つせいで傾いた会社も少なからずあったと言う印象があります。

katsu さんのコメント...

匿名さん
ありがとうございます。
朝の中根古のアップはこれが2回目で、今回はこの時に同行した田辺さんの画像を使わせてもらいました。
田辺さんは松尾鉱業の東八幡平で滑ってカメラが調子悪くなり、その後は望遠レンズ付きのカメラで最後まで撮っていました。同じ中根古を撮っても私の45mmと彼の望遠ではずいぶん雰囲気が異なるものです。
こんなのどかな光景も、その後一瞬にして変わってしまったと思われます。
それは花巻に限らず全国いたるところだったのでしょう。

katsu さんのコメント...

U-BOATさん
貴重なお話ありがとうございます。
花巻電鉄というとこの温泉行き電車を利用した宮沢賢治や高村光太郎をイメージしてしまいます。
花巻電鉄の軌道線はそれほど詩的なものがあったと思います。
地方私鉄にはその土地独特のもが絡んで魅力が高まると私は思っています。
社長さんもきっと花巻電鉄の由緒ある歴史に魅力を感じていたのではないでしょうか。





匿名 さんのコメント...

花巻電鉄と組合のストライキとの関係は、「花巻物語事典」というHP(https://hana-isan.com/Home)の中で、熊谷幸夫さんという方の証言(2011年12月14日の記録)に詳しく述べられています。それによると、旧満州出身者がシベリアに抑留され、共産主義教育を受け、帰還後に花巻電鉄に就職。労働組合を結成し、低賃金を理由にたびたびストライキを決行。沿線利用客にもかなり迷惑をかけたそうです。このために会社は花巻温泉電鉄株式会社として電鉄業と温泉業を分離。ストライキが盛んだった電鉄業は、結局は自分で自分の首を絞めたのだそうです。一方で同HPには、興味深い記事も数々掲載されています。たとえば昭和16(1941)年11月14日の記録で、「花巻駅花巻温泉間に急行電車」花巻電鉄では花巻駅花巻温泉間の電車のスピードアップを計るため、急行電車を運転すべく仙鉄局に申請中の所、11日許可されたので15日から運転される事に決定した…という記事が掲載されています。しかしせっかく許可されたのに、実際に花巻電鉄で急行が運転された記録は見当たりません。このような秘められた歴史のひとコマが、花巻電鉄には存在していたようです。