案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2012年11月5日月曜日

西武山口線 井笠1号機

頚城と井笠の本物のコッペル、それに牽かれる井笠の本物の木造客車。
井笠の1号機とダブルルーフ木造客車の入線で、西武山口線の軽便は最高潮に達する。
東京近郊でこんなコッペルの蒸機列車が5年間も営業運転されたのは
今思えば夢のような出来事だった。


入線2年後の井笠鉄道1号機  西武遊園地   1975.06.01

ユネスコ村  1975.06.01
井笠1号機が牽く井笠のダブルルーフ木造客車は夢のような列車だった.
軽便蒸機列車は子供達にどんな思い出を残したのでしょうか.

西武山口線ではこの編成がベストだったでしょう.  ユネスコ村

頚城2号機と井笠1号機の列車交換

朝顔カプラーの連結作業

4 件のコメント:

lodgershinmeishrine さんのコメント...

頸城と井笠の両コッペルの列車交換が見られたのですね!
この風景を見る事の出来た時期はいつ頃から、いつ頃まででしょうか?

katsu さんのコメント...

頚城2号機が運転開始された翌年1973年7月に井笠の客車配属ということで、この時に井笠1号機も運転開始したと思われます。2両のコッペルが台湾蒸機に置き換わったのは1977年9月で、頚城と井笠の両コッペルが走ったのは1973年7月~1977年9月の4年間だったと思われます。
真っ赤に塗られた井笠客車と「信玄号」のプレートがついたコッペルでいかにも遊園地らしかったせいか、撮っている時はこの夢の出来ごとに気が付きませんでした。
あの時の光景はモノクロで見ると良いのかも知れません。

やまぎし さんのコメント...

はじめまして、やまぎしと申します。
1974年3月、東京在住の叔父のところに遊びに行った際、連れて行ってもらったユネスコ村で2両のコッペルを見かけました。小学4年に上がる前だったので、コッペルの価値も全くわからず、乗ることもせず、また自前のカメラも持っていなかったので写真も撮らずで、なんとも惜しいことしました。

その後ナローの模型をやるようになってコッペルのこと、井笠や頸城のことを知り、3年後の77年3月、父親からカメラを借りて勇んで上京しましたが、私が見ることができたのは台湾から来た大振りのコッペルだけでした。台湾コッペルと井笠、頸城のコッペルが併存していて、たまたま運用の都合とかで井笠、頸城のコッペルとは出会えなかったのでしょうか。とても心残りでした。

katsu さんのコメント...

やまぎし様
はじめまして、遠い昔の思い出をありがとうこざいました。
1974年の訪問時はちょうど頚城と井笠のコッペルが動いていた良き時代でしたね。
小さなコッペルは多くの子供達に夢を与えたことと思います。
せっかくカメラを借りて出掛けたのに小さなコッペルに出会えなかったとは、ほんと残念でしたね。
また東京近郊でこんなコッペルが動態保存されたら子供も大人も楽しめるでしょうね。