案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2012年11月11日日曜日

御坊臨港鉄道 終点日高川

御坊臨港鉄道の西御坊から先 日高川までを現在の地図上に赤で記してみました.
日高川の駅全景. 1964.07.09
日高川の手前で線路は終わり、右手に日高川を渡る熊野街道の天田橋が見える.
日高川上流に日高材の産地があり、河口にある御坊市には製材・製紙業が多かったそうである。




日高川の駅  
駅周囲には木材が積み上げられ雑然としていた.
ここにあった機関庫は戦災で破壊され西御坊へ移転したが日高川氾濫で水没し
災害続きの機関庫は紀伊御坊構内へ移転され屋根なし機関庫となった.

街外れにある日高川駅の駅前はひと気なく閑散としていた.

2 件のコメント:

風旅記 さんのコメント...

こんばんは。
いつも楽しく拝見させて頂いております。昨日コメントを入れさせて頂いたタイミングが偶然だったようで、お返事を拝読致しまして私まで不思議な気持ちになりました。
数年前になりますが初めて紀州鉄道を訪ねる機会がありました。紀勢本線を旅していました際に偶々駅で見た時刻表の地図、こんなところに私鉄があるとその場で決めて夜のひと時列車に乗ったのでした。
西御坊で突然のように切られた線路は、きっと廃止された時のままなのだろうと思います。終点は荷役のための駅だったようですね。
お写真を拝見していていつも思うのですが、1960年代から今までの半世紀で、日本お社会は本当に大きく変わったのですね。趣味的には、このような日本各地の小さな私鉄が失われていったことを本当に残念に思いますが、それは今の自分の暮らしのスタイルの結果なのだと感じます。
あちこちが悪路で、家まですぐに荷物が届くことも、近くにコンビニがあるといった便利さのない時代、お写真を拝見しながら、その鉄道の沿線での暮らしはどんなだったのだろうと想像を膨らませています。
いつもありがとうございます。
風旅記: https://kazetabiki.blog.fc2.com

katsu さんのコメント...

風旅記さん
社会の進化であの時代の長閑な情緒や風情などは今や吹っ飛んでしまいましたね。
暮らしの便利さ快適さを求めて果てしない発展を繰り返して来た結果、
かってなかった大災害などいよいよ大きな問題に直面してきましたね。
今と1960年代頃の生活と一体どっちが幸せなのか。
効率追求の社会はもう後戻りも停止もできない、どんどん先に進む。
私のような昔人間はもう社会についていけない時代にきていると思います。

そんな今の時代に元御坊臨港鉄道が今も走っているのは奇跡、
大変な文化遺産、観光資源でもあると思います。
私も乗りに行ってみたくなりました。