案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2011年4月12日火曜日

大分交通 別大線

耶馬渓線の車庫を撮り終えると中津から別府へ移動し、大分交通別大線に向かった。
別府駅に近い北浜電停は、温泉町別府の中心地のようで大分交通のバスの拠点でもあった。

電車のりばの看板が見える北浜電停  1967.3.5

東別府駅前

東別府駅前

日豊本線に沿って国道脇を走る。 両郡橋


日豊本線の列車と並走する。


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4 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

日本で最初のインタアーバン(都市間電車)としてユニークな存在だった別大線。
昭和45年に一度撮影に行ったのですが、そのときのカメラのトラブルでフィルムが感光してオシャカになった、恨みの線です。

katsu さんのコメント...

私の3年後、昭和45年のCedarさんの九州撮影旅行を貴ブログで拝見しています。
別大線は昭和47年に廃止されてしまい、カメラのトラブルとは惜しいことをしましたね。
別大線がもし残されていれば、今頃は大分、別府の観光と市民の足として活躍できたのでは。

猫が好き♪ さんのコメント...

 別大線ですか・・・。

 おれ、甘木(福岡だか大分だか)と磯辺(群馬だったっけか)のハーフブリードで、なにがどうすれば甘木出身の母親と磯辺出身の父親が出会ってケコーンして子供を作るんだかがよくわかんないでいるのですが、まあもう両方とも死んでしまったんでいまさら聞くわけにもいかず。なんてことはどーでもいいのだ。
 で、母親の里帰りに付き合わされて九州に上陸したことがあって、そんとき瀬戸内海航路の豪華客船(=^_^;=)に乗って大阪港から別府港に向かったのですね。で、別府に上陸して高崎山のニホンザルに襲われに行ったりして、そんとき別大線は「見て」いるのです。でも「乗って」ないんですよねー。なんせがきんちょだったんで写真も撮っていません。

 親が撮影した写真がどっかにあるかもしらんのだが、どこにあるのだろう。

katsu さんのコメント...

猫が好きさん
貴重な昔のお話ありがとうございました。
ブログで、東別府駅前電停で母子が写っている昭和42年のカラー画像があるのですが、別府に上陸した猫好きさん母子はちょうどこんな感じだったのでしょうか。
サルの高崎山はこの2つ先の別院前ですが、別大線には乗らなかったということで別府港からハイヤーにでも乗って行ったのでしょう。遠い昔の母子の想い出は貴重ですね。