日本で最初のインタアーバン(都市間電車)としてユニークな存在だった別大線。昭和45年に一度撮影に行ったのですが、そのときのカメラのトラブルでフィルムが感光してオシャカになった、恨みの線です。
私の3年後、昭和45年のCedarさんの九州撮影旅行を貴ブログで拝見しています。別大線は昭和47年に廃止されてしまい、カメラのトラブルとは惜しいことをしましたね。別大線がもし残されていれば、今頃は大分、別府の観光と市民の足として活躍できたのでは。
別大線ですか・・・。 おれ、甘木(福岡だか大分だか)と磯辺(群馬だったっけか)のハーフブリードで、なにがどうすれば甘木出身の母親と磯辺出身の父親が出会ってケコーンして子供を作るんだかがよくわかんないでいるのですが、まあもう両方とも死んでしまったんでいまさら聞くわけにもいかず。なんてことはどーでもいいのだ。 で、母親の里帰りに付き合わされて九州に上陸したことがあって、そんとき瀬戸内海航路の豪華客船(=^_^;=)に乗って大阪港から別府港に向かったのですね。で、別府に上陸して高崎山のニホンザルに襲われに行ったりして、そんとき別大線は「見て」いるのです。でも「乗って」ないんですよねー。なんせがきんちょだったんで写真も撮っていません。 親が撮影した写真がどっかにあるかもしらんのだが、どこにあるのだろう。
猫が好きさん貴重な昔のお話ありがとうございました。ブログで、東別府駅前電停で母子が写っている昭和42年のカラー画像があるのですが、別府に上陸した猫好きさん母子はちょうどこんな感じだったのでしょうか。サルの高崎山はこの2つ先の別院前ですが、別大線には乗らなかったということで別府港からハイヤーにでも乗って行ったのでしょう。遠い昔の母子の想い出は貴重ですね。
いつも懐かしい画像を楽しみに拝見しています。路面電車と言えばYoutubeで「現代の記録 停留所」と言う映像を見ました。それには各都市の路面電車やバスの停留場が映るのですが、特に都電の電停での乗客が延々100m位の列を作って並んでいるのには驚きました。とても一両には乗り切れないでしょう。時代は走っている車の車種から昭和38~40年ごろと思われます。特に雨の日、傘をさして待つ乗客に通りかかる車が水しぶきを掛けて走り去る画面では,子供のころ車のはねる泥水を傘で避けたことが懐かしく思いだされました。こう言う映像を見るとやはり大都市の路面電車は地下鉄化して廃止の方向に行かざる得なかったと感じざるを得ません。
toshiさんこの時代は高校生がピークだったのに最近気がつきました。この頃の都電もきっと高校生が殺到したことでしょう。まだ地下鉄も少なく都電とバスの時代で多くの乗客が利用したと思います。確かに小さな路面電車1両には乗り切れないですね。西日本の地方都市では今も路面電車が元気に活躍していて、路線周辺の整備が進み昔のような悲惨なことはなくなりましね。路面電車も大きく進化したと思います。
最近の高校生は地方だと公共交通機関を使わずに、親に送ってもらっているてな話です。考えてみれば、私の田舎でも昔はラッシュ時には10分に1本、休日の昼でも30分に1本のバスが走っていましたが、今はラッシュ時ですら分に20分に1本、休日の昼だと2時間に1本運転手不足で、さらに減便するというのですから、高校生どころか病院通いのジジババ様でも不便なものになってしまいました。
ねこあたまさんクルマ社会で地方の公共交通の衰退は仕方ないけど、駅前に人の活気がないのは寂しいものです。
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8 件のコメント:
日本で最初のインタアーバン(都市間電車)としてユニークな存在だった別大線。
昭和45年に一度撮影に行ったのですが、そのときのカメラのトラブルでフィルムが感光してオシャカになった、恨みの線です。
私の3年後、昭和45年のCedarさんの九州撮影旅行を貴ブログで拝見しています。
別大線は昭和47年に廃止されてしまい、カメラのトラブルとは惜しいことをしましたね。
別大線がもし残されていれば、今頃は大分、別府の観光と市民の足として活躍できたのでは。
別大線ですか・・・。
おれ、甘木(福岡だか大分だか)と磯辺(群馬だったっけか)のハーフブリードで、なにがどうすれば甘木出身の母親と磯辺出身の父親が出会ってケコーンして子供を作るんだかがよくわかんないでいるのですが、まあもう両方とも死んでしまったんでいまさら聞くわけにもいかず。なんてことはどーでもいいのだ。
で、母親の里帰りに付き合わされて九州に上陸したことがあって、そんとき瀬戸内海航路の豪華客船(=^_^;=)に乗って大阪港から別府港に向かったのですね。で、別府に上陸して高崎山のニホンザルに襲われに行ったりして、そんとき別大線は「見て」いるのです。でも「乗って」ないんですよねー。なんせがきんちょだったんで写真も撮っていません。
親が撮影した写真がどっかにあるかもしらんのだが、どこにあるのだろう。
猫が好きさん
貴重な昔のお話ありがとうございました。
ブログで、東別府駅前電停で母子が写っている昭和42年のカラー画像があるのですが、別府に上陸した猫好きさん母子はちょうどこんな感じだったのでしょうか。
サルの高崎山はこの2つ先の別院前ですが、別大線には乗らなかったということで別府港からハイヤーにでも乗って行ったのでしょう。遠い昔の母子の想い出は貴重ですね。
いつも懐かしい画像を楽しみに拝見しています。
路面電車と言えばYoutubeで「現代の記録 停留所」と言う映像を見ました。それには各都市の
路面電車やバスの停留場が映るのですが、特に都電の電停での乗客が延々100m位の列を作っ
て並んでいるのには驚きました。とても一両には乗り切れないでしょう。時代は走っている車の車種から昭和38~40年ごろと思われます。
特に雨の日、傘をさして待つ乗客に通りかかる車が水しぶきを掛けて走り去る画面では,子供の
ころ車のはねる泥水を傘で避けたことが懐かしく思いだされました。こう言う映像を見るとやは
り大都市の路面電車は地下鉄化して廃止の方向に行かざる得なかったと感じざるを得ません。
toshiさん
この時代は高校生がピークだったのに最近気がつきました。
この頃の都電もきっと高校生が殺到したことでしょう。
まだ地下鉄も少なく都電とバスの時代で多くの乗客が利用したと思います。
確かに小さな路面電車1両には乗り切れないですね。
西日本の地方都市では今も路面電車が元気に活躍していて、
路線周辺の整備が進み昔のような悲惨なことはなくなりましね。
路面電車も大きく進化したと思います。
最近の高校生は地方だと公共交通機関を使わずに、親に送ってもらっているてな話です。
考えてみれば、私の田舎でも昔はラッシュ時には10分に1本、休日の昼でも30分に1本の
バスが走っていましたが、今はラッシュ時ですら分に20分に1本、休日の昼だと2時間に1本
運転手不足で、さらに減便するというのですから、高校生どころか病院通いの
ジジババ様でも不便なものになってしまいました。
ねこあたまさん
クルマ社会で地方の公共交通の衰退は仕方ないけど、
駅前に人の活気がないのは寂しいものです。
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